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 第七十二話 信じられないのはこちらも同じ

 全然、こちらの思い通りになってくれない。

 そう爪を噛んでいたのは姫乃だった。

 可愛らしく、綺麗な部屋で、ベッドの上でアルバムを開きながら、写真にある三人の姿を見て悔しそうに顔を歪める。

「信じられない……。あんな子が、私から私の『全て』を奪うなんて」

 写真には令と姫乃が仲睦まじく寄り添い、その後ろで控えめに立っている優菜が写っていた。

 姫乃は心底嬉しそうに笑みを見せていたが、令はどこ吹く風でカメラの方など見ていない。ただ、今よりもずっと表情が硬いような気がした。

「今の令は、令じゃない……」

 姫乃にとって、令は姫乃の全てだった。

 生まれてからずっと、居るのが当たり前で、ずっと一緒になるのだと思っていた。

 だが、少しすると優菜が現れて、親から告げられる。

「あの子はね、悪魔なのよ。悪い子なの。あなたから、令を奪おうとする、悪い女の子なのよ」

 その言葉通り、姫乃はすぐに優菜を悪魔だと思うようになる。

 結婚するのは当然自分だと思っていた。しかし、中学生くらいになって、令から言われた言葉は「恋愛ごっことか、そういうのはしたくない。俺には優菜という許嫁がいる。お前とはどっちにしろ、一生結婚出来ない」という冷たい言葉だった。

 幸せだったのは一瞬だけだったのだろう。それでも耐えられたのは、その後も令の存在があってのことだった。

 姫乃の幸せは恋に生き、恋を果たし、愛へといつか変えることだ。

 そう自覚したのは、高校生くらいの頃。

 姫乃がそのくらいの年齢になると、家庭環境がおかしいということにさすがに姫乃も気づいた。

 自身の父親がまず、基本的に帰ってこない。単身赴任ということでもないと、母親は言っていた。ということは、女だろう。

 姫乃は幼少期に父親が何人かの綺麗で、安っぽい香水の匂いがする女性に囲まれていたのを見ていた。

 母親はそれに対し、何も言わない。

 ただ、その寂しさをぶつけるかのように、姫乃に対してどんどん甘く、優しくなっていった。

 そしていつしか「あなたが令と結婚したら、きっと幸せになれるわ」と子守歌のように寝る前に必ず呟くようになっていた。

 姫乃はそれを信じ、いつも令と結婚することを夢見ていたのだった。

 でも、実際はどうだろう。婚約者がいて、自分よりも若くて、純粋そうで……。

 何の苦労もしていないんだろう。

 自分のように「可哀想」な女の子なんかじゃない。

(優菜……だったかしら。あんな子、どうして許嫁なんかに。どうして)

——大切なものを奪わないで。

 姫乃は常ににこにこ微笑み、令から好かれるように努めていた。

 湿っぽい女は嫌いだろうからと、明るい性格でいるように、常に自分に厳しくあった。

 成績優秀、文武両道、料理だって、なんでも頑張った。

 その間、言い寄ってくる男の数も多かったが、全て断った。

 年齢が上がっていくと同時に、擦り寄って来る同性の子達も多くなっていく。

——ああ、邪魔だな。

 姫乃は令と二人だけの世界を、いつしか夢見るようになった。

 他の誰も存在しない世界に、二人だけで閉じこもって、死ぬまで一緒に生きたいなどと、願ってしまった。

 でも、その願いを叶えるためには、優菜があまりにも邪魔だった。

 見る度に、見る度に、力なく笑うその顔が、声が、性格が、何もかもが嫌いになっていく。自分の欲しいものを持っているくせに、それに気づきもしないで悲劇のヒロインのような、そんな優菜の態度が大嫌いだった。

 だから、ちょっかいを出すことにした。

 ほんの少し、可哀想な目に遭えばいいと思った。

 そんな出来心で、まずは足を引っかけて転ばせてみる。泣きそうな目をして、こちらを見る優菜。姫乃は、得も言われぬ快感を得た。

 ぞくりと背筋を通り抜ける、甘い痺れのような、そんな気持ちよさ。

 それは次第に度を超していくようになる。

 だが、姫乃はあの快感が欲しいがためにずっと続けていた。

 令が優菜を見ていないのをいいことに、優菜をいじめるつもりはないと最初は自分に言い訳をしながら、いじめていた。

 でも次第に自分の取り巻き達をも使って、自分が一番に見えるようにするのが、より大きな快感を生むとわかると、そちらへ力をよく使うようになった。

 だが、それでも足りなかった。

 胸にある大きな大きな穴が、呪いの言葉が姫乃を縛り付ける。

「あの子は、令をあなたから奪う子よ」

 令と一緒にいる優菜を見る度に、姫乃はその母親の言葉を思い出していた。

「どうして私じゃないの」

 そう思って呟くのは、何歳になっても同じだった。

 姫乃は、優菜のことが、最初から大嫌いだったのだ。

 可愛いなんて思えるわけがなかった。

 母親から言われた通り、姫乃から令を奪っていった。

 令は、姫乃と恋愛をするつもりはないとはっきりと伝え、姫乃は深く傷ついた。

「わかってるよ。令は、御曹司だものね! 大丈夫、優菜ちゃんならきっと……」

 何が御曹司だ。何が、婚約者だ。

 そんなものの、どこに価値があるの。

 そして姫乃はすぐに心の中で強く祈るようにして、願いを、呪いを呟く。


 私から大事なものを奪った優菜を、私は絶対に許さない!


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