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 第七十三話 積み上げてきたもの

 大事にしたいものがあった。

 人として、大事にしなければならないと学校で教わったことがあった。

 大事なもののために、手放さなければいけないということもあるのだと知った。

 でも、そんなことを姫乃が、認めるはずがなかった。

 手放さなければならないのは、きっとそれを手に入れるに相応しい力がなかったから。

 積み上げてきたものが、あまりに小さいから。

 そう考えた姫乃は、とにかく努力を続けた。

 幼少の頃から得意だったことはもちろん、苦手なものも克服とまではいかないものの、常人よりも上の成績、結果を出せるようにした。

 どんなに可愛い、素敵だと言われるお姫様のような姫乃でも、努力なしではそこまでの自分を作り上げることは出来なかった。

 だからこそ、今のこの事態が、ありえない異常事態だと言えるのだ。

 幼い頃から欲しかったものを奪われ、努力を重ねていた姫乃。その奪っていった「優菜」よりもずっと欲しいと願っているのに、何故か自分よりも劣っているはずの優菜がその全てを奪ったまま、守られている。

——自分の、大好きな、愛したい人に。

 どうしてこんなことにと来る日も来る日も考えた。

 しかし、答えなど出てこない。

 あの優秀な姫乃でさえも、わからない答えはとても単純で簡単なものなのに。

 利益や結果ばかりを追うから、きっと見えなくなってしまったのだろう。

 姫乃は、まだその答えを見つけられてはいない。

 しかしそんなことは関係ないと、姫乃は一見すると素敵な女性へと成長していった。

 心の中は、寂しさや虚しさといった空洞があるのだが、見た目からはわからない。

 周りの人々は完璧とも言える姫乃のことを、頼れる人、素敵な人、憧れの人などと言って近づき、姫乃に取り入ろうとしていた。

 姫乃はその周りの人々を見て「自分はやっぱり間違っていなかった」と安堵した。

 でも「違う」と、心のどこかで思っている。

 姫乃は自分が正しいのかどうかはわからない。だが、間違ったこともしていないと自分に言い聞かせる。

 今も、その「違う」という自分の声には気づかない振りをして。

 そして誰もが皆、姫乃に違うなどと言うことはない。

 だから姫乃も目を背けることが出来た。

「本当の自分」から。

 自分の積み上げてきたものとは違う、その奥にある本質的な自分から姫乃は「成長」と体のいい嘘をついて、逃げている。

 そして優菜のことを恨みながら、本当に心の中で恨んでいる相手のことを知らない姫乃は、いつも気づかないまま、周りに人がいながらも、どんどん孤立していった。

 あまりに出来すぎる人は、常人とは違うからと一目置かれる。

 そして一歩下がり、眺めるようになる。

 だから、その出来すぎる人は孤独を感じる。

 姫乃も、その一人だった。

 令も、その内の一人なのだと、姫乃は思っていたから安心していた。

 でもそこに、徐々に優菜という邪魔な光が入って来るようになる。

 令にとっては優しい光かもしれない。

 だが、姫乃にとってはあまりに平凡すぎて、でも、自分の欲しいものを全て持っている太陽のように眩しすぎる光だった。

 なんで、自分があんなものに嫉妬しているの?

 そう思う姫乃は、やはり令を取り戻さなければと思うのだった。

 それが社会人になって、一番強く願ったことだった。

 優菜はどんどんその眩しさを強くしていき、令は惹かれていく。

 姫乃はその令の手を掴もうとするが、掴めない。

 何故ならば、令はもう、姫乃のことなど見ていなかったのだから。

「なんで」

 幼い姫乃が遠くから令と優菜を見てそう言った。

 姫乃の心の中にいる、幼い姫乃は不満そうに頬を膨らませている。

 成長した今の姫乃が、その幼い姫乃を抱きしめてこう言うのだ。

「大丈夫だよ。絶対に、私が令を取り戻す。私の欲しかったものを、奪ったあの優菜から取り戻す。だから、安心して……」

 幼い姫乃は首を傾げた。

「欲しかったものって、なんだったか覚えてる?」

「え?」

 姫乃は目を覚ます。

 スマホの聞き慣れたアラームを消して、ベッドから身を起こす。

「夢……。あんな、昔の……。でも」

 姫乃は何とも言えない奇妙な感覚を味わっていた。

 幼い頃の自分と、大人になった今の自分。

 そのどちらの気持ちも混ざってしまったような、そんな感覚。

「そっか……。あの後、ベッドで寝ちゃったんだ……」

 姫乃は自身の爪を見てみる。

 綺麗に施されていたはずのネイルが、一部剥げていた。

 ぎゅっと手を握ると、剥げたネイルの感触が、気持ち悪く感じられた。

「我慢……しなくちゃ。近々、予約を取って直してもらおう」

 その時、ふと姫乃は思った。

「我慢って、いつまで我慢すればいいの……」

 思い出されるのは、まだ優菜が入って来る前までの社会人になりたての自分の記憶だった。

 あの頃だって、私は我慢していたんだ。

 そう思いながら、姫乃は唇を噛む。

 赤い雫が、ぷつりと溢れた。

 なんで今になって、こんなにもいろんなことを思い出すのかわからない。

 でも、恨みを思い出すなら、恨みを、持ち続けるためなら、それもいいと思うのだった。


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