しばらくの間、誰も口を開かなかった。その中で沈黙を破ったのは、望月だった。
「根津くんにも、話を聞く必要があるのは明らかだわ。副部長、何度もごめんなさい。頼めるかしら?」
「おう。任せろ」
今度は、岩崎だけでなく皇も仲介してくれるだろう。根津がどんな人物だかわからないから、機嫌だけは損ねないようにしなければ。理事長の親戚ということは、最悪放校処分などもありえそうだ。慎重にならなければ。
「とりあえず、今日は解散にしよう。明日根津と接触してみる」
俺の一言で、この場は解散となった。
家に帰り、早速岩崎にメッセージを送る。
『明日、根津を紹介して貰うことって出来るか?』
『勿論だとも。今日みたいに謁見室の前に立っていてくれるかな』
相変わらず、返事が早い。暇なのだろうか?
『わかった。じゃあ、昼休みによろしく頼む』
そこで会話を打ち切り、夕飯を食べにリビングへ向かう。今日の夕飯は何だろうな……。
食事中は根津のことについてばかり考えていたせいか、あっという間に皿が空っぽになっていた。
「獏、ぼーっとしてないで食器を片付けなさい」
「はいはい」
考え事をしながら食器を洗う。根津は、どんな人物なのだろう? 優しいといいのだが……。
***
翌日の昼、昨日と同じく謁見室前で岩崎を待つ。彼はすぐに中から出て来た。根津敦と共に。
「君か、圭介から聞いたよ。理事長の話が聞きたいんだって?」
長髪を一つに束ねた、背は俺と同じくらいの男子高校生。目はツリ目で、少し威圧感がある。これが根津敦か。
「俺、夢野獏っていうんだ。よろしく」
「知ってる。三成の時、自己紹介していたのを聞いたからね。よろしく。ここだと他の皆も居るから、そうだな……アフターヌーンティーといこう。午後の授業は休ませてあげるから、僕の行きつけのホテルで理事長の話をしよう。君はこの話を、聞かれたくないはずだから」
直感が随分と冴えている様だ。それにしても、ここまで推察出来るのはやはり心当たりがあるのだろうか。
「午後の授業はどうなるんだ?」
「出席扱いだよ。僕がそうさせる」
岩崎や皇とは、文字通り格が違う。こいつ、理事長の親戚なだけあるな。
「さて、そう決まったら行こうか——ホテルがあるのはみなとみらいだから、車を呼んでおいたよ。さあ、行こう」
「お、おう」
根津は俺の手を引き、校門の方へ向かい始めた。エスコートに慣れているのだろう。スマートな動きだった。
車は、緑色で海外のメーカーの証拠であるマークがついていた。
「敦様、ご学友様をお連れするのはいつものホテルでよろしいでしょうか?」
「うん。さあ、出発だ夢野くん——いや、獏くんでいかい? 苗字呼びはどうも慣れなくてね」
「別に呼び方なんて何でも構わねえよ、根津」
「ああ、僕のことも敦でいいよ。片方だけ苗字呼びっていうのもおかしいだろう?」
「そ、そうか。じゃあ、敦」
「うん、それでいい」
車の中では、岩崎と皇の話題が出た。
「それにしても、僕らに近づくなんて珍しいことするよね。たまたま今在籍してるのが、お人好し寄りの僕らで君はラッキーだ」
自分でお人好しって言ってしまうのか……。しかしまあ、事実だろう。そうでなければ、ここまでトントン拍子に事は運ばなかったはずだ。
「そうだな、感謝してる。ところで、四大名家って序列とかあるのか?」
「ないよ。僕らは対等だ。僕がそう思っているだけかもしれないけど」
岩崎も皇も、序列という言葉とは縁が遠いイメージだ。理事長に近ければ偉い、という訳でもないらしい。
「そうなのか。それにしても、何で皆俺に優しいんだ?」
「多分、物珍しさかな。僕らに話しかける猛者は中々居ないからね」
車はみなとみらい地区に突入した。所謂、『観光客向けの横浜』だ。俺はそう何度も行ったことはないが、敦は常連らしい。この景色を見て、何とも思ってなさそうだ。
「ほら、獏くん。あそこのホテルだよ。入ろう」
敦が指し示したのは、いかにも高級そうな高層ホテルだった。入り口付近に車が停まると、俺は再びエスコートされながら車を降りる。敦の立ち振る舞いは、どこをとっても完璧で美しい。計算された動きだ。
ホテルのエントランスで、「根津です」と敦が名乗ると、「お待ちしておりました」とカフェに通された。床が一面大理石なのが、このホテルが高級であるということの何よりの証明だろう。アフターヌーンティーなんて初めてだから、作法が分からない。とりあえず敦の真似をしよう。
海を見ながらのアフターヌーンティー。眺めは絶景だが、それより俺には訊かなくてはならないことがある。
「なあ、敦」
「何?」
彼は紅茶を一口飲むと、俺と目を合わせてきた。
「理事長のことなんだけど、普段何処に居るとか知ってるか? どんな些細な情報でも良い、理事長の情報が必要なんだ」
「……どうして?」
流石に不自然すぎたか。かといって、抱え込んでいること全てを敦に話すことは出来ない。
「……世界平和のため」
「君も冗談を言うんだね。面白かったから、いいよ。教えよう。理事長は副業が案外忙しくてね。大体そっちの仕事をしているみたいだよ。確か名前は、『トワイライト・ゾーン』とか言ったっけな」
別に冗談ではないのだが……。しかしこれで、掴めた。月見野鶯が最終的な敵なのも確定だ。
「その、『トワイライト・ゾーン』って副業は何をしてるんだ?」
核心をつく質問だと、我ながら思う。敦は「何だったっけな……」と思い出す素振りを見せてから、答えた。
「そうだ、『全人類を平和にするのが、私の使命だ』って言ってたな。それで始めた事業だよ。内容は、『全人類の不老不死化』。僕は、そんなことが出来るとは思ってないけどね。理事長は本気みたいだよ。東京の郊外に実験施設まで作ってさ」
恐らく、俺と咲夜が連れて行かれたあの研究所のことだろう。場所も東京の郊外ということで、一致している。
「獏くん、君は信じる? 不老不死の世界を」
「……とてもじゃないけど、信じられねえよ。そういう敦、お前はどうなんだ?」
彼は紅茶に再び口づける。そして、言った。
「信じているわけないよ。あれは理事長の理想の世界であって、僕の理想じゃない。理事長は、どこかおかしいんだ。学校の経営にだけ悩んでいれば良かったのに、全人類がどうとか言い出してさ。まるで、何かに取り憑かれているみたいだ」
親族からもそう言われるとは、本人が聞いたらどう思うのだろうか。まあ、俺は月見野鶯の性別すら知らないわけだが。
「……今更だけど、理事長って男? 女?」
「知らなかったのかい? 入学式での挨拶程度の印象じゃ、忘れられても仕方ないとは思うけどね。女性だよ、彼女は。もう四十を越えたとは思わないくらい見た目が若い。本物を見たら、きっとびっくりするんじゃないかな」
そういえば、おじさんも氷川さんも四十を過ぎている。はずだ。ということは、月見野鶯とは同年代ということになる。もしかしたら、同級生だったのかもしれない。おじさんは月見野学園高校の出身者だ。月見野鶯と何かあったとしても、不思議ではない。
「そうなのか。敦、俺はこの辺で失礼するよ。ちょっと他の人に聞きたいことが出来た」
「そうかい。じゃあまた、お茶に誘おう。帰りの車を手配しておいたから、それに乗って帰るといい。それじゃあ、またね」
やけにあっさりと敦は解放してくれた。この行動も月見野鶯に漏れているのだろうか?