鶯の家は、確かに大豪邸だった。広大な敷地には噴水や植木のアート、家そのものも山手にありそうな洋館だったよ。
「ようこそいらっしゃいました、月見野家へ」
彼女の執事が運転する車から降りる。白いワンピース姿の鶯が俺の手を取り扉の方へ歩き出した。
「私の友人を招待するのは、これが初めてなので緊張しているのです。満足いく時間に出来たらいいのですが」
確かに、鶯はいつもより早口だ。しかし、俺は俺で緊張していた。異性の家なんて初めてだからだ。だが、鶯は俺のことを仲の良い友人としてしか認識していないのだろう。友人という言葉しか、俺に用いないから。過去に恋人はいたのか、訊いてみたいが何となく後悔しそうだ。一度疑問に思ってしまったことは、中々頭から離れない。
「お入りなさい。私の部屋まで行きましょう。浩一郎はコーヒー派でしたわよね、準備が済んでるはずですわ。早く行かなきゃ冷めてしまいます」
「わ、わかった」
鶯の部屋には、ネームプレートがかかっていた。彼女はドアを開けると、ふかふかしていそうな茶色のソファに腰掛けた。
「隣、座っていいですわよ。それと、コーヒーは浩一郎の分ですから」
彼女はそう言うと、机の上に置かれている紅茶を一口飲んだ。
「ありがとう」
俺も、それにならって座りコーヒーを飲む。ブラックだったが、格好悪い姿を鶯に晒したくなくて平静を装いながら飲み込んだ。
「美味しいですか?」
「あ、ああ。とっても」
本当は吐き出しそうなほど苦かったが、素直に言う訳にもいかない。
「それは良かったですわ」
鶯は、俺のことを格好いいとか悪いとか——そういう目では見ていないようだ。こちらを見ようともしない。俺のことを異性として見ているのなら、もう少しアプローチがあっても良いと思うのだが……。
「あの」
「何でしょう?」
「鶯は、昔付き合ってた人とか居ないのか?」
彼女はきょとんとした表情を浮かべた後、少しだけ頬を紅潮させた。
「……居ませんわ。妹からも、最近『高校生になったんだから、彼氏作らないの?』とは言われますが。昔から、私に寄ってくる男はお金や地位目当ての人ばっかりです。浩一郎、貴方を除けばね」
「え?」
話の矛先が俺に向いたので、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「浩一郎が私のことを恋愛感情ありきで好いているのはわかっています。鴎……妹の質問にノーで返すのもしんどくなってきましたし。付き合ってあげますわ、感謝なさい」
随分と高圧的な告白だ。いや、告白なのだろうか。提案か? 何にせよ、こちらとしては願ったり叶ったりだ。
「そんな簡単に付き合って、いいのか?」
「構いません、校内でも噂になっていますもの。いっそ付き合っていた方が堂々と振る舞えますわ」
「鶯のことがよくわからないな……」
鶯はふ、と微笑み
「これから知っていけばいいのです。私も浩一郎のことを全て知っている訳ではありませんもの。そうでしょう?」
と問いかけた。
「確かにそうだな。……その、付き合ったってことは……」
「何、モゴモゴ言ってますの。言うならはっきりしてください」
本当に情けないったらありゃしない。
「その……キス、とか……」
「はい?」
下心丸出しの欲望をぶつけられ、鶯も困っただろうな。流石の鶯も顔を真っ赤に染めて、紅茶を一気に飲み干した。
「わ、私……そういうのは経験がありませんの。浩一郎は?」
目線がこちらに来ていない。照れているのだろう。
「俺もないよ、でも鶯とはしてみたいっていうか……」
「な、ななな何を仰いますの⁉ いけない人ですわね!」
今思えば照れ隠しだったのだろうが、当時の俺はその態度にショックを受けた。
「そうだよな……俺が馬鹿だった」
「本当に馬鹿、ですわ」
鶯は目を瞑り、唇をこちらに突き出している。これは、してもいいということだろうか。
勝手にそう判断して、唇を重ね合わせる。柔らかい感触に多幸感を覚えながら、彼女の腰を抱き寄せる。そしてそのまま、舌を侵入させたところで突き飛ばされた。しばらくは、深呼吸の音だけがその場に聞こえていた。鶯の呼吸音だ。
「……ふ、ぅ……こんなの聞いていませんわよ」
「ごめん」
反射的に謝ると、鶯は妖しげな笑みを浮かべた。
「責任、とってくれるんでしょうね?」
「責任……?」
「いずれ、学校を卒業したら……私と結婚しなさい」
唐突な宣言だった。ぽかんとしていると、彼女に軽く頬を叩かれた。
「聞いてますの? 私は本気ですわよ」
「わ、わかったよ。約束な」
小指同士を絡ませ、契りあう。完全に若気の至りだった。
***
おじさんって、意外と積極的だったんだな……。話を聞いている限りだと鶯も乗り気だったっぽいし、何故別れたのかがよくわからない。
「鶯の家に、変わったものはなかったんですか?」
暁人が問う。おじさんは頷き、「当時はなかったな」と答えた。
「だとしたら、鶯の転機はこの頃ではないはずよ。学校を卒業したら結婚する約束をしていたのよね? それなのに、結婚しなかったのは別れたからでしょう? その頃の話をしてほしいわ」
望月は冷えきった紅茶を飲みながら、話を進めて欲しい旨を伝えている。おじさんは、一瞬黙ると再び口を開いた。
「今日はもう遅い、明日にしよう。あの頃の話をするには、俺に覚悟が必要だし」
おじさんの中の、苦い思い出なのだろう。
「わかった、今日は帰るよ。話してくれてありがとな」
そう言い立ち上がる。皆も俺に続いて立ち上がり、「お邪魔しました」と外へ出て行く。
「今日は解散、また明日な」
おじさんのこと、何も知らないんだな。俺。勝手に知った気でいた。自省しながら咲夜と帰り道を歩く。