目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第65話 いっしょに

 二時間少々の上映時間の後、廊下に出ると観客たちのコメント撮りをしていた。


「主演のふたりがすごくかっこよかったです!」


 と、テンション高めに若い女性が答えている。

 私たちは関係者なのですごすごとその場を去り、劇場を出た。

 時刻は九時前。すっかり辺りは暗くなり、車の通りも人の通りも少なかった。

 この時間だとさすがに寒い。思わず身震いをして私は胸の前で腕を組んだ。


「あー! 面白かった」


 そうななみが言い、大きく伸びをする。


「いっぱい喋りたいんだけど、早く飲み行きましょーよ」


「そうねぇ。すごいお腹すいちゃった」


 言いながら私はお腹に手をあてる。

 夕食を食べてないからお腹がぐう、となっている。見ている間は大丈夫だったけど、気が抜けると一気に空腹が襲い掛かってくる。

 この辺り、お店ないのよね。先に少し食べてきたらよかったな。

 そう思いながら私は辺りを見回した。

 幸せそうな顔の女性たちが、次々に劇場から出てくる。

 その時、映画館から出てくる女性のひとりに目が留まった。

 年のころは四十代くらいだろうか。マスクをしているのでよくわからないけれど、焦げ茶色の髪の女性だ。

 なんだろう、あの人……

 見てはよくない、と思うのに私はその女性から目が離せなかった。

 外に出たからだろう、彼女はマスクを外し、大きく息をついたかと思うと名残惜しそうに映画館を振り返った。あれ、あの顔……伏見綾斗に似てないかな。

 気のせい? でもすごく似てる、よね。目元や顔の感じがそっくりだ。

 ……まさか、お母さん、とか?

 いや、そんな都合のいいこと、ないよねぇ。それにしても綺麗な人だなぁ。年齢はわかりにくいけど五十前後かな。マスクしてるときはもっと若く見えたけど。なんだか気になるなぁ……もし本当に綾斗の母親だったらつまり、湊君のお母さんでもある、ってことよね。湊君はお母さんとは縁を切ってるみたいだけど、綾斗のほうはどうなんだろう。

 気になるけれどさすがに声をかけたら不審者よね。名残惜しそうなのはきっと、誰かの熱心なファンなんだろう。

 私は自分にそう言い聞かせつつ、皆の方を向いた。


「お店、駅前まで戻らないとですよね」


 私が言うと、鍵村さんが頷く。


「そうだねぇ。時間も遅いし早く行こうか」


「ですね」


 頷いて、私たちは駅へといそいそと歩き出した。




 お酒と食事を楽しみつつ、映画の感想を言い合った時間はなかなか楽しかった。その大半はななみが喋り倒していたけれど。

 夜の十時半を過ぎ、解散となって私はマンションへと帰った。

 夜空を背にしてそびえたつマンション、ってなんだか巨人みたいに見えるなぁ。


「ただいまー」


 玄関に入り洗面所によって手を洗い、荷物を部屋に置いてから私はリビングへと向かった。

 リビングに続く扉のノブに手をかけたとき、中から話し声が聞こえてくることに気が付いた。


「……あぁ、うん、そうなんだ」


 気のない返事から、電話の相手が例のお兄さんであることを察する。どうしよう、これ、聞いたらまずい、よね?


「……うん、ありがとう。たまには行ってあげようと思っただけだよ」


 声のトーンが明らかに低い。私と話すときとは全然違う。本当に仲、よくないんだなぁ、お兄さんと。

 うーん、どうしよう……とりあえず先にシャワー、浴びちゃおうかな。聞き耳たてるのも嫌だし。

 そう思い、私は扉を離れてお風呂へと向かった。

 お風呂を出て、長袖長ズボンの寝間着を着てリビングに向かう。

 電話はもう終わったみたいで、湊君はパソコンに向かって作業をしていた。


「ただいま」


 絵を描く背中にそう声をかけ、私はキッチンに向かってグラスをだし、水をくむ。


「……あ、おかえり、灯里ちゃん」


 そこでやっと私の存在に気が付いたらしい湊君は、モニターの電源を落とすとデスクから離れてこちらに近づいてくる。

 そして冷蔵庫を開けると、缶ビールを取り出しグラスを用意した。


「灯里ちゃんも飲む?」


 言いながら、湊君はお菓子を用意し始める。

 湊君がお酒を飲むなんて珍しい。

 あれかな、電話のせい、かな。

 お風呂に入ってすっかり酔いがさめた私は頷いて言った。


「うん。飲むのむ」


 どうせ明日は休みだから付き合おう。

 そして私たちはソファーに隣り合って腰かけて、湊君が缶を開けて私のグラスにビールを注いでくれる。

 テレビは動画チャンネルで、チェロっぽい音が聞こえてくる。

 私は湊君からグラスを受け取りながら言った。


「ありがとう。珍しいね、湊君がお酒飲むの」


「うん。なんか飲みたくなったから」


 そう答えて、湊君は自分のグラスにビールを注ぐ。

 そして、グラスを手にするとぐい、と一気に半分飲んでしまった。

 これは今、湊君、あんまり機嫌よくないなぁ。でも機嫌の取り方なんて知らないし、そんなのする気もない。

 心の中で苦笑して、私はグラスに口をつけた。

 湊君は早いペースで二杯目を飲み始め、お菓子に手を付けた。

 湊君は仕事があるからそもそもそんなに飲まないんだよね。こんなに飲んで大丈夫かな……

 私がまだ一杯目を飲んでいる間に五百ミリの缶ビールは空になり、もう一本、ビールの缶が開けられる。

 三杯目を飲み終わった時、彼は私の方にもたれかかってきた。

 恋人なら普通のことだと思うけれど、なんだかドキドキしてしまう。


「そ、そんなに飲んで大丈夫なの?」


 驚いて尋ねると、


「大丈夫だよ」


 と、いたっていつもと変わらない声で答える。

 酔っている感じはしないなぁ。じゃあ本当に大丈夫なのかな。


「それならいいけど、いつもはそんなに飲まないよね」


「うん、そうだけどだめなんだよね、綾斗のこと相手にしたくなくって」


 そうげんなりした様子で言い、ビールをぐい、と飲んだ。


「なんでそんなにお兄さんのこと嫌なの?」


 私には兄弟がいないからわからないけど、そういうものなのかな。

 私の問に湊君は、黙ってグラスを見つめる。


「色々と思いだすから嫌なんだよね」


 そう答えた湊君は辛そうな表情になる。これは立ち入っちゃいけない話なんだろうなぁ。私以上に複雑そうだし、これは触れないでおこう。

 なにか別の話題を探して、私はあることを思いだす。


「ねえねえ、前に買ったイラストボード、何か描いてるの?」


 初めて一緒に出掛けた日、デパートの文房具屋さんで購入したイラストボード。あれどうしたのか気になっていたんだよね。

 たぶん湊君の部屋にあるんだろうけれど、部屋にはお互い入らないことにしているから見たことがない。

 画材は色々買っているみたいだし、何か描いているのは確かなんだけど。


「描いてるよ。少しずつだけど。アナログであんなに大きい絵を描くの初めてだから時間かかってるけど。できたら見せるよ」


 真顔でそう答えて、彼はビールをさらに飲む。


「そうなの? 楽しみにしてる」


 どんな絵なんだろうな。湊君だから青が基調のイラストなのかな。

 海とか空とかの背景を思い浮かべていると、湊君が言った。  


「映画はどうだったの?」


「え? えーと……うん、面白かったよ。原作は読んでるんだけど、映像になるとやっぱり違うね。展開もところどころ違ったし、でもよかったよ」


 正直、映画の件には触れる気はなかったんだけど……ちょっとドキドキしながら答えると、そう、と真顔で頷き、彼はビールを飲んだ。

 お兄さんのこと、あんまり触れたくないみたいだから言わなかったんだけど、自分から触れてくるなんてどうしたんだろう。


「試写会、誘われてはいたんだけど断ったんだよね。断っても誘ってくるのほんと、わけわかんない。しかもあの人を呼んだ、とか言われたし」


 そう言った湊君の声に、怒りや哀しみといった感情が含まれているのを感じ、私はじっと、湊君を見た。

 空気がピーン、と張りつめている感じがしてなんだか居心地が悪い。

 あの人、って誰だろう。

 お酒を飲んでいるからだろうか、聞くのやめよう、と思っていたことを湊君は喋りそうな気がする。


「あの人って?」


「母親だよ。全然会ってないし、どうしているかもわからないけど」


 母親、という言葉を聞いて、私はあの、映画館の前で見かけた女性の事を思い出す。湊君に伏見綾斗によく似た女性を。

 これ、言わない方がいいよね絶対。

 私は言葉を飲み込み、


「そうなんだ」


 とだけ言って、気まずい気持ちでビールを飲んだ。

 けっこう飲んでいるんだけどな私も。だけど全然酔える気がしない。

 この空気感なんだかいやだなぁ……なんか別の話題ないかな。

 私は思わずリモコンを手にして、地上波を表示させて適当にチャンネルボタンを押した。

 ニュースやバラエティ、ドラマがやっていて、私は普段はめったに見ないバラエティにチャンネルを合わせた。

 その時だった。


「ごめん、眠くなってきたかも……」


 そんな眠そうな声が聞こえてきたかと思うと、私の肩にずん、と重みを感じた。 

 って、え?

 横を見ると、私の肩にもたれかかり、湊君が目を閉じていた。

 ちょっと待ってよ。この状態で寝ますか?


「え、あ……え?」


 どうしようこれ。

 湊君は寝息をたてはじめているし。なんで私を枕にして寝るのよ。


「ちょっと、湊君?」


「……」


 だめだ、起きない。

 うーん……どうしようこれ。

 悩んでいると、湊君は頭を上げてうっすらと目を開けたかと思うと、こちらを見つめ、


「灯里ちゃんと一緒に寝たい」


 と、眠そうな声で言い、そのまま私の膝を枕にしだした。

 ちょっと待て。なんて言った今?

 一緒に寝たい、ってちょっとどういう意味よ?

 聞きたいけれど湊君はさらに深く眠っている様で、ゆすっても起きない。

 うーん……これ、どうしようもないわよね。

 私は諦めて、まだ半分以上残っているビールの缶に直接口をつけ、お菓子を食べた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?