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第70話 湊君の過去

 マンションから一時間ほど離れた山の中に、紅葉のライトアップで有名な公園がある。

 五時をすぎると辺りはすっかり暗くなり、夜空に星が煌めいているのが見えた。

 さすがに道は混んでいて、思った以上に時間がかかった。土曜日だから皆見に来るわよね。以前ならそんなのわかっていたからまず近づかなかっただろうな。

 警備員さんに案内されて駐車場に車を停めて降りると、駐車場から提灯がぶら下がっていて経路を教えてくれる。

 人が多くてちょっとひいてしまうけれど、私は湊君にくっついて歩く。そうでもしないとはぐれてしまうそうな気がしたから。

 普段なら静かであろう公園内は、人々の喧騒でにぎやかだ。

 通路の先には大きな広場があって、出店が出ていてテーブルなども用意されているらしい。


「すごい人だね」


 湊君の呟きに私は頷く。

 平日の夜の方がマシだったかな……でも同じかな。夜だもんね。仕事終わりに来られちゃうし。

 湊君がこちらを振り返って、


「人多いけど大丈夫?」


 と、心配げに声をかけてくる。


「大丈夫じゃないけど大丈夫」


 そう答えて私は無意識に湊君の腕を掴んだ。大丈夫なわけがない。だってこの人の数よ。もう目が回りそうだ。

 そんな私を湊君は苦笑して見つめ、


「早めに帰ろうか」


 と言ってくれた。でもそれはもったいないと思う。せっかく来たんだし。だから私は首を横に振って精いっぱいの笑顔で言った。


「大丈夫だから。うん。ねえすごいね、紅葉」


 根元から淡い光で紅葉が照らされて、幻想的な風景を作り出している。

 四方八方、赤や黄色に染まり始めた葉が埋め尽くしていて圧巻だった。マンションの周りはまだここまで色づいていないのよね。

 こんなに紅葉を見たのは初めてかも。


「うん、そうだね」


 そう言って、湊君はパーカーのポケットからデジカメを取り出して写真を撮り出す。

 あれ、わざわざデジカメを持って来て写真を撮るなんて珍しい。


「何かに写真、使うの?」


「うん。絵の資料に、って思って。スマホでもいいんだけど、それだと俺、データの整理しないからさ。まあ検索すればいくらでも出てくるけど、色んな角度の写真が欲しいし」


 そう答えて湊君は、シャッターのボタンをおした。

 スマホだと撮りっぱなしでわざわざ整理しないというのはわかるなぁ。クラウドと同期して保存しているけれど、めったに見返さないし。

 人の波に従って経路を歩きながら、湊君はときどき道をそれて写真を撮っていく。

 途中、川があって水のせせらぎの音が聞こえ、川を挟んで紅葉がひろがっていた。

 川に紅葉が映って、なんだか幻想郷のような雰囲気を醸し出している。

 そのせいか写真を撮る人が多くて、橋の上は混雑している。


「橋の上で立ち止まらないでください!」


 という警備員の声が虚しく響き、人々は立ち止まってスマホで写真を撮っていく。

 橋の上で転んだりすると危険だからそういう注意が流れるんだろうけれど、人々はあんまり聞く耳を持っていないようだった。

 人が多いとこういうことが起こるから嫌なのよね。

 私は湊君の腕をつかみ、立ち止まらずになんとか橋を渡りきった。


「すごいね、人……」


「うん、わざわざ橋の上からじゃなくても、水面に映る紅葉の写真は撮れるのにね」


 と言い、湊君は橋のたもとから川にカメラを向けて写真を撮っていく。

 それはそうね。私も一枚そこで写真を撮り、すぐにその場を離れた。

 その先に広場があって、出店が出ていてたくさんの人がお店に並んだり、顔を上げて写真を撮っている。

 たくさんのテーブルと椅子が並んでいるけれど、どこも満杯のようだ。

 まあそうよね。

 スタッフの人が巡回しているらしく、テーブルを拭いている姿が目に映る。


「とりあえずお腹すいたし何か食べよう。お腹すいてきちゃった」


 私は言いながら辺りを見回す。から揚げ、じゃがバタ、トン汁なんかもある。あぁ、どれもおいしそうだなぁ。


「トン汁おいしそう」


 ここは山だ。ときおり吹く風は冷たくて、顔も手も冷えている。

 列に並び、しばらくすると私たちの番になる。

 トン汁をふたつ頼んでそれを受け取ってお店を離れたときだった。


「あれ、湊じゃん」


 どこかで聞いたような声に、空気が張りつめたような気がした。

 目深にかぶった帽子。黄色のサングラス。

 手に唐揚げの入った紙コップをもった青年が、こちらを見つめて立っていた。

 背は湊君と同じくらいだろうか。

 彼を見た湊君は、あからさまに嫌そうな顔をしている。


「……なんでこんなところにいるの」


 湊君の唇から、聞いたことのない冷たい声が漏れ出る。

 えーと、もしかしてこの人は……

 声をかけてきた青年はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、サングラスをちょっと外してこちらを見た。

 あぁ、やっぱりそうだ。

 伏見綾斗。

 やっぱり湊君とは似てないんだな。

 なんでこんなところに今話題のアイドルがいるのよ。大丈夫なの、これ。

 でも意外と周りの人は気にしていないらしく、食べ物や紅葉、おしゃべりに夢中のようだった。

 そういえば芸能人の中には全然オーラがないとかで気が付かれない、って人いるっけ。

 綾斗も見た目、どこにでもいそうな大学生っぽく見えるから、これは気が付かれないかもしれない。


「なんでって、家族サービスだよ。妹にねだられたから」


 そう答えて彼はサングラスを戻した。

 あぁ、そうか。確か妹と弟がいるんだっけ。時おりテレビで話していると、彼について調べたときに書いてあった。

 でも今、彼のそばに女の子の姿は見えない。

 綾斗は湊君の前に立つと、笑顔で言った。


「母さんには会ってないって聞いたけどマジ?」


「全然会っていないよ」


「あぁ、そうなんだ。連絡しても返事がないって言っていたけど」


「仕事用のメールで連絡してこられても困る」


 そう答えた湊君の表情はとても硬く、嫌そうに見えた。

 母親のこと、よほど嫌なんだろうな。

 口がはさめず、私はただふたりのやり取りを見つめるしかできなかった。


「連絡先わかんなかったら仕事の窓口にあたるだろうねぇ。母さんは会いたがってるけど、まだ無理なの?」


 綾斗の問に、湊君は苦しげに首を横に振る。


「俺があの人に何されたのか知ってるでしょ。その事には触れないでくれるかな」


 低く響く声で言う湊君に、綾斗は笑顔で頷く。


「わかったよ。それには触れないよ。でもたまには俺と会って話してくれてもいいじゃん」


「遠慮しておくよ」


 と、素っ気なく湊君は答え、こちらを向く。


「行こう」


「あぁ、連れがいたんだ。こんにちは、湊の兄の綾斗です」


 こちらを向いた綾斗は、そう言って小さく頭を下げた。


「あ、えーと……森崎、灯里……です」


 とりあえず名乗ったけれど、この空気気まずい。

 早くこの場を離れたい、って思っていると、綾斗に近づく女の子がいた。


「お兄、もう、はぐれちゃわないでよ。一瞬あせったんだから」


 茶色みがかった長い髪を後ろで縛った、高校生っぽい女の子だった。

 派手さはなくって、どこにでもいる普通の子、という感じで、ジーパンにコートを着ている。

 その子はなんだか湊君に似ていた。

 湊君はお父さんに似ている、って言っていたからこの子もお父さん似なんだろうな。

 彼女はこちらに気が付いて不思議そうな顔をしつつ小さく頭を下げたあと、綾斗の方を見る。

 綾斗は妹の方を見て、


「ごめん。ほら行こう」


 と声をかけて彼女の腕を掴む。

 そして、こちらを振りかえり、


「じゃあね、湊。また今度」


 と言い、手を振って人ごみの中に消えていった。

 その背中を見送ったあと、湊君は首を横に振り、こちらを振り返って小さく笑う。


「早くこれ、食べよう」


 言いながら彼はまだ湯気を上げているトン汁が入った容器をかざした。





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