我妻さんと別れた私は、キッチンカーでお昼を購入し、トークショーまで時間を潰す。
たくさん人がいる所は正直好きじゃないけれど、嫌に感じるほどの人の数でもなかった。賑やかは賑やかだけど。子供の歓声ってそこまで不快な感じがしない。
一時を過ぎた頃、一時半から行われるトークショーのお知らせアナウンスが入り、私は会場へと移動した。
屋内会場にはアナウンスを聞いた人たちがぞろぞろと入ってきて、席に向かったり絵を見たりしていた。
うーん。さすがに人が多いなぁ。げんなりしつつスマホを見ると、湊君からメッセージがきていた。
『帰りたい』
それを見て私はなんとも複雑な気持ちになる。
わかる。私もこの人の数にちょっと帰りたい気持ちになったから。
本当に嫌なんだなぁ……そして嫌な事をする時って時間のたち方が遅く感じるのよね。
だからと言って帰ろう、と提案するわけにもいかないし。
『始まればあっという間だから。ほら、三時間後にはすべてが終わってるって』
と、マラソン大会の時自分に言い聞かせていたことみたいな言葉をおくりつける。
するとすぐに既読がついて、
『なにそれ、子供みたい』
と返ってきた。
えぇまあそうでしょうけれど、そういう気持ちで嫌なことを乗り切るって大人でもあると思うのよ。
『そうかもしれないけど、そう言い聞かせないとやってられないじゃない? 嫌なことなんてすぐ終わるって』
そんなことはない、ってことはよく知っているけれど。時間は等しく流れているんだから早く終わるとかあるはずはないけれど、気の持ちようで乗り切ってほしい。
『ひとつ、お願い叶えてほしいな』
お願い? 変なことを言ってくるなぁ。不思議に思いつつ私は返信をした。
『私でできることなら何でもきくから頑張って』
すると、OKのスタンプが返ってきてそこで私はスマホをしまう。これでなんとか乗り切ってください。私は祈っているから。
ステージ前にいくつも並べられた椅子。百以上は余裕であるわよね。いったい何席あるんだろう。まだ時間も早いからか席はまばらに埋まっている程度だった。
オークションは事前に絵を指定して希望金額を書いていく、というスタイルらしい。
最低金額は決められていて、湊君のイラストは最低価格五万円だった。私にはこれが安いのか高いのかよくわからないけど。
青を基調とした、空に溶ける様な女の子のイラストだったっけ。
私にはそんなお金出せないのでオークションの結果を見守るだけだ。私は前の方の端に腰かけ、トークショーが始まるのを待つ。
時間が経つにつれて観客が増えていく。
中には湊君が描いたであろう、キャラクターのグッズをバッグにたくさんつけた男女の姿もあった。
湊君ファンっているんだなぁ。
こうして見かけるのは初めてだからなんだか不思議な感じだった。席はどんどん埋まっていく、ざわめきも増えていく。
早く始まってくれないかなぁ……と、無駄な祈りを捧げつつ、スマホを見ながら時間が経つのをひたすら待った。
そして一時半になり、やっと司会の女性が出てくる。
『皆さまお待たせいたしました。チャリティーオークションに先立ち、イラストレーターとしてが活躍されこちらのオークションに毎年イラストを提供してくださっているミナトさんのトークショーを行います』
あぁ、とうとう出てくる。
ドキドキしながら待っていると、拍手が鳴り響く中、黒のスラックスにグレーのシャツ、それにジャケットを羽織った湊君が出てきた。
朝と服装が違うってことは着替えたのね。
彼はマイクを手に持ち、ぎこちなく笑いながら手を振る。そして、その手で首元に触れた。
あれ、ネックレスしてるのかな? シャツに隠れて見えないけど。
湊君は一瞬目を閉じた後大きく息を吐いたようだった。
あれ、気持ちを落ち着かせようとしているのかな。
大丈夫かなぁ、ちょっとどころかすごく心配になるんだけど。私がドキドキ
会場内にはけっこう人、いるしなぁ……どれくらいいるんだろう。数百人単位かな。慣れてないと気圧されるよね。
『ミナトさん、本日はよろしくお願いいたします』
司会者がそう話しかけると、彼はマイクを口にあてて彼女の方を向き、
『よろしくお願いします』
と答え、椅子に腰かけた。
話しは、湊君の仕事のことや今回のイベントのことが中心だった。
絵を描き始めたきっかけとか、普段どういう環境で絵を描いているのか、とか。
『なぜこのイベントに関わるようになったんですか?』
『それは……』
と、そこで言葉を切り、彼は下に視線を向ける。
少しの間を置いた後、
『子供の頃一年だけですが養護施設で暮らしていた時期があって、その縁で』
と答える。
『そうだったんですね。その体験からイベントに関わるようになったと』
『えぇ、お世話になった施設の方から頼まれたのがきっかけなんですけど。毎年、絵を描かせていただいています』
なんで養護施設で暮らしていたのか、とか、両親のことに司会者は触れなかった。気になる話だと思うけれど、事前に触れないように頼んだのかも。
トークショーはすぐに終わり、彼のサイン入り色紙五枚をかけたじゃんけん大会が開かれる。
さすがに参加しなかったけれど、その時、気になることが起きた。
客席を見回した湊君が驚いた顔をした瞬間があった。
でもそれはすぐに張りつけたような笑顔になったため、いったい何を見てそんな顔をしたのかまではわからない。
辺りを見回してみるけれど、いったい何を見て驚いたのかは全然わからなかった。
人、多いしなぁ。何があったんだろう。あとで聞いてみようか?
じゃんけん大会に勝利した人が壇上にあがり、湊君から色紙を受け取っている。
中に、熱狂的なファンの女性がいて、受け取る前から大泣きしていたのは印象的だった。
そのあとオークションが始まり、落札金額が発表されていく。
湊君のイラストは十六万円で落札され、その日の最高額になった。
すごいなぁ……未知すぎる世界だ。
オークションが終わり、奥に引っ込んだ湊君から、すぐに連絡が来た。
『スタッフの人に話してあるから控室の方に来てくれる? 場所は――』
なんて書いてある。
どうしたんだろう。
不思議に思いつつ、私は言われた場所に向かい、警備の人に名前を名乗り免許証で本人確認をしてもらい奥へと通してもらった。
六畳ほどの控室には湊君だけがいて、畳のスペースで座布団を枕にぐったりとうつぶせになっていた。
「……大丈夫?」
言いながら私は靴を脱いで畳みスペースに乗って湊君の横にしゃがみ込んで彼の顔を見つめた。
すると湊君はゆっくりと顔を上げて私を見上げる。
「あ……」
顔面蒼白で、今にも死にそうな顔をしている。
これは大丈夫じゃないやつ。
「……疲れた?」
そう声をかけると湊君は黙って頷き、私の手をつかみ、自分の頬にあてた。
湊君と出会って十年以上。こんな弱々しい姿を見るのは初めてなので正直戸惑うんだけど。
なんて声をかけたらいいのかわからず、私は黙ってされるがままになっていた。
湊君は私の手に頬をあてたまま動かない。
まあ、時間はたくさんあるしな……
そう思い、私はじっと、湊君が回復するのを待っていた。