お昼を軽く食べた後スーパーで夕食のお惣菜を買い、家に帰ると四時を回っていた。
太陽は傾き始め、吹く風は冷えびえとしている。
彼女にマンションの場所が割れているのは怖いよねぇ。
ストーカーにあったらまず引っ越せ、が基本みたいだけど私みたいに簡単に引っ越せないよね。
湊君は部屋に戻るなり弁護士に連絡する、と言って自室に入っていった。
私は買ってきたものをいったん冷蔵庫にしまい、自室にこもる。
湊君も大変だなぁ。ストーカーに、お母さんのことに。私の方が落ち着いたら湊君の方が落ち着かないことになってしまった。
それはそれで申し訳ないような気がするのよね。
私だけなら引越し簡単だし、危険が及ぶようなら引越しを考えた方がいいかなぁ。
私はスマホをひらき、住宅情報を調べる。この辺りは家賃、高いから住むのは無理だなぁ。
やっぱりひと駅離れるくらいがちょうどいいんだけど、あのストーカーだった人に顔を合わせるリスクがあるからそれを考えると躊躇してしまう。あの女性の家とかわかんないし、顔合わせたら嫌だしなぁ。
そうなると職場まで自転車とか車で行ける範囲……
それで検索かけるけれど家賃、高いし駐車場代もかかるしで私は深くため息をつく。
あー……どうしよう。みんなストーカーが悪いんだよね。
ストーカーがいるから私、いらない心配をしないといけないし。
気にせずすこし範囲を広げるかな。
そうやってポチポチしていると、ドアを叩く音がした。
「はい」
「灯里ちゃん、今大丈夫かな」
「ちょっと待ってて」
私はスマホをテーブルに置き、立ち上がってドアに近づいてドアノブを回す。
「どうしたの?」
「さっきの女性の件。明後日弁護士に相談に行ってくるよ。向こうから証拠くれたしね」
証拠、というのはさっきの写真のことよね。それにしてもなんで自分から目の前に姿を現してあんなの渡してきたんだろう。
湊君は途中のお店で、紙袋の中身を色々確認していた。
盗聴器とか仕掛けられていないかと心配したらしい。幸いそういうものはなかったようだけど、気持ち悪いからと貰った物は駅近くのコインロッカーに預けてきていた。
部屋の中にはどうしても持ち込みたくなかったらしい。
まあ素人には見つけられない何かが隠されているとかあるもんねぇ。
「そっか。わかった」
「灯里ちゃん、会社の行き帰りが心配なんだけど、在宅には出来るかな。あの、写真を切り刻んでいたのを見ると、君に危害が及ぶかもしれないから。しばらくホテルっていうのも考えたけど。費用は俺が負担するから」
「在宅にするのは全然大丈夫だけど、ホテルに避難はさすがにちょっと悪いかなあぁ」
だってすぐに終わるわけじゃないだろうし、長期間となると費用がとんでもない事になる。
そう考えるとさすがにホテル行きます、なんて言えない。それなら在宅ワークの方がずっといい。
「私の方が危ないかぁ」
「写真を切り刻むってそうとう恨みがあるんじゃないかな」
それは誰にですか、湊君ですか私ですか。
私が恨まれるのはなんだか違う気がするけど、ストーカーなら普通の思考回路じゃないもんねぇ。
そうなると湊君を奪った(奪ってないけど)私が恨まれるのか。
うーん、解せない。
「付き合っていたわけじゃないんでしょ?」
「俺は誰とも付き合ったことないし」
さらりと言う湊君の言葉はまあ、本当だろう。
湊君は遊びだった。
でも女性の方はそうでもない、ってパターンだろうか。
女性の方も割り切った関係として受け入れていたとしてもいざ、私と一緒にいるのを目にしたら逆上するとかありそうだしなぁ……
今までおかしな男性ばかりに出会ってきたけど、今度は女性に目をつけられるなんて。
私の人生っていったい。そう思うとちょっと凹んでしまう。
「弁護士から警告がいけば大人しくなるとは思うんだけどね。最悪引越しも考えないと」
と言い、彼は頭に手をやる。
もともとここ、家族で暮らしていた家何だっけ。それだと思い入れ、あるよねぇ。
「さすがにここからすぐ引っ越しは厳しいもんねぇ」
「そうなんだよね。借家じゃないから。ちょっと考えるよ。ねえ灯里ちゃん」
「何?」
湊君は私の様子をうかがう様な、不安な目をして私を見ている。
彼は視線を下に落とした後、口をぎゅっと結び黙り込んでしまう。これは言いにくいことを言おうとしているんだろうな。なんだろう。
黙って待っていると、湊君は顔を上げて自信のない表情を浮かべて言った。
「あの……もし俺が引っ越すことになったら灯里ちゃんも……」
そこで言葉を切って、黙り込んでしまう。
私もついてきてほしい、って事かな。
それはさすがに悩むなぁ。
そもそも私は一時避難のつもりだったし、すぐに引越し先を見つけるのが困難だったから彼の提案に甘えた。
でもいつまでも一緒に暮らしているわけにはいかないって思うのよ。
「私たちって恋人……契約だよね? 一年経ったら、終りでしょ?」
そういう約束だった。
でもその約束は今も有効なんだろうか。
私の言葉を聞いて、彼は悲しげな眼をして頷く。
うぅ、なんだか私が酷いことを言っている気持ちになってしまう。
どうしようこれ。
でも契約は契約だしなぁ。恋の仕方を教えて、って言われて。それで一年の恋人契約を結んだんだもの。
ちゃんと契約書もある。
「そう、なんだけど……」
そう呟き、湊君は黙り込む。
この関係には終わりがある。
正直一緒に暮らし始めることになったのは想定外ではあったんだけど、あんまり近づきすぎちゃうのもなぁ、っていう思いがあるんだよね。
私、このまま湊君の事を好きになっていいのかな。
好きになるにはこう、問題がありすぎるのよね。過去の女性関係なんか特にそうだ。
契約として恋人になっているからまだ許せる部分がある。だけど本当の恋人だったら、その過去を受け入れきれるかと言ったらちょっと辛い。
「それって恋の仕方、わかったの?」
肝心なのはそこよね。恋の仕方を教える、っていうのが約束だったんだから。
湊君は何も答えない。
自分の感情がまだ、よくわからないのかな。
それじゃあ意味ないような。
でもこの空気感、重い。私が攻めているみたいで気が重くなってくる。
そういうつもりはないんだけど、なんて言うか……一時の気の迷いみたいな感じなのは嫌なのよね。
「来年の七月まではまだまだ時間あるし、それまでは私、湊君の恋人だよ。でも一緒にこれからも暮らしていくかっていったら別問題かな」
「七月までは」
私の言葉を受けてだろうか。
湊君が強い口調で言い、顔を上げた。
相変わらず不安な顔をしているけれど、何かを決意した様な表情が見える。
「七月までは一緒に暮らしてほしい。引っ越すときは俺、費用負担するから」
まっすぐに、真面目な顔をして言われたらさすがに断れないなぁ。
これを言うのもきっと、怖かったんだろうな。身体が少し、震えているのがわかるもの。
「うん、わかった。それまでは一緒にいるし、出ていかない」
そう答えると、湊君はほっとした様な顔になり大きく息をついた。
……すごく不安だったんだろうなぁ。
この湊君の自信のなさっていったい何が原因なんだろうか。