湊君は不思議そうな、驚いた顔で私を見上げている。
「幸せ……」
「うん、なんていうかこう、何か特別なことをしているわけじゃないでしょ? でもこうしてのんびりできて、ゆったりとビール飲んで過ごせるのって幸せだなぁ、って思ったんだよね」
そして私はビールをおかわりしようとグラスに注ぐ。
いい感じに私も酔ってきているのかも。うーん、ほわん、としてる感じがする。
そのせいか何だかおかしなことを言っている気もするけれど気にしない。だって酔ってるから。
「あぁ、幸せ……そんなの考えたことなかった」
そう呟いて湊君は微笑み、むくり、と起き上がる。
そして彼はこちらを向いて言った。
「恋人って何するのかよくわかんなくって。でも少しずつわかってきたかも。寝なくても関係ってつくれるんだね」
「それはそうでしょー。っていうかなんでそんなに女性と寝てきたの?」
それはずっと疑問に思っていることだ。
求められたからってそうほいほい寝たりするものだろうかって。
すると湊君は小さく首を傾げて呟く。
「なんで……なんでだろう。求められるからそうしてきただけだし、性欲は普通にあるから誘ったりもしてきたけどあんまり気にしたことないな。だって、寝られれば誰でもよかったし」
なんだかすごい事を言っている気がするけれど気のせいだろうか。寝られれば誰でもいいって、とんでも発言じゃないかな。
うーん、複雑。
「なんで恋の仕方知りたいなんて思ったの」
「えーと、何でだっけ。灯里ちゃん見てると恋人ってろくなものじゃないんだろうなって思いがあったからかな。それで灯里ちゃんのせいみたいなのが嫌だって話になったでしょ。だったら灯里ちゃんが俺に恋について教えてくれればいいんじゃないかなって思ったんだよ」
そして湊君は私を不思議なものを見る目で見つめてくる。
「寝たい、はあるけど付き合いたいとは思った事ないからね。家族が欲しいとも思ったことないし。養子になって縁を切ったはずなのに、追いかけられるのが俺、本当に嫌だから」
そして彼は顔を伏せた。
「家族と何があったのよ」
その問いかけに、湊君は黙り込んでしまう。これはかなり大きなことがあったんだろうな。
そして彼は首を横に振り、
「母親は入院していたはず」
とだけ答えた。
入院。何かの病気だったのかな。なんだろう?
「だから一年くらい養護施設にいれられて、叔父に引き取られたんだ」
ということは何か大きな病気をしたのかな?
でもそのことには触れたくなさそうだ。触れて大丈夫なら、病名とか言うだろうし。
精神的なものなのかな。そういえば、湊君、ちょっとおかしなこと言っていたっけ。
自分が父親に似ているから、母親がどんどんおかしくなって言ったって。
そこで嫌な想像が私の中で生まれる。
似てるから何するだろう?
虐待? やだ、考えるだけで怖くなってくる。
嫌な想像にげんなりしていると、湊君は立ち上がった。
「お酒出してくる」
あ、まだ飲むんだ。まあ、二本ビール飲んだっていってもふたりだし、三百五十の缶だもんね。大した量は飲んでいない。
お酒はいくつか買い置きがあって、基本はビールだけどワインを飲むこともある。
ポン、というキッチンから聞こえてきて、彼がワインを開けたことに気が付く。
そして彼はワイングラスふたつとワインのボトルがのったお盆を持って、こちらに戻ってきた。
まだ飲むなら何か食べたいなぁ。
「何か食べる物ほしいかも」
湊君がグラスなどをテーブルの上に置くのを見ながら私は立ち上がり、お菓子をしまっている棚に近づく。
「ポテチならあると思うけど」
そんな声を背中に聞きつつ、私は棚の戸を開けた。
そこにはコンソメのポテチやチョコレート、クッキーなどがしまってあった。私はそんなにお菓子、食べないけど湊君がわりと食べるから何かしらお菓子を買い置きしてあるのよね。
コンソメのポテチを取り出し、私はソファーへと戻り、袋を開ける。
湊君はすでに赤ワインを飲み始めていた。もちろん私の分のワイングラスに、半分ほどのワインが注がれている。
「今日はずいぶん飲むね」
内心苦笑しつつ私は言い、ポテチを摘まむ。
「なんかそんな気持ちだからかな。絵が描けなくなるから普段はあんまり飲まないけど、でも今日はもう仕事する気、ないし」
「そうなんだー。じゃあ今日はいっぱい飲もうかー」
そういう日があってもいいよね。
私もグラスを手にして、湊君の方を向き言った。
「飲んで、明日もたくさんの幸せを感じよー」
そして私はワインをぐい、と飲む。ワインのおいしさってイマイチわかんないけどけっこうおいしいかも。
明日は何も予定ないしな。休日に外になんて出たくもないからできるだけ引きこもっていたい。
湊君は二杯目のワインを飲み干したかと思うと、ぽす、と私にもたれかかって来た。
「湊君、酔った?」
「酔ってるけど、そこまでじゃないよ」
そう答えたかとおもうと、湊君はおもむろに私の首に腕を絡めてきた。
「なにするのいきなりー」
酔っている私はさほど抵抗もせず、笑いながら言いワインを飲む。
「すごくこうしたいから」
「そうなの? こうしてるとほんとに恋人みたいだねー」
「みたいじゃなくって恋人、でしょ?」
と言い、湊君は私の首に腕を絡めたまま、もたれかかってくる。
「あはは、そう言えばそうだねー」
恋人、だけど本物の恋人じゃない。そう思うとちょっと複雑。
「契約終わるまでに私たち、本当の恋人になれるのかなー」
本当の恋人がなんだかよくわからないけど。契約と本当って何が違うんだろう。
気持ちの問題かな。互いに恋人、って思えば本当の恋人になるのかな。
そんなことをごちゃごちゃと考えていると、湊君が耳元で囁くように言った。
「灯里ちゃんは、俺が恋人でもいいの?」
「何言ってるのー? 湊君が恋人で嫌なわけないじゃない。まあ、倫理観はどうかしてるなって思うけど、私と関わり始めてからワンナイトもないでしょ? 外で会ってるのを見た記憶あるけどあれは仕事だったわけだし。浮気しないし、不倫しないし、私が傷つくことをしないって約束、守ってるじゃないのー」
たまにあれ? って思うことはあるけど、許容範囲だしマイナス点はないよねぇ。
「……そういえば既婚者と寝たことあるかも」
なんていう呟きが聞こえた気がするけれど、酔っているし無視した。
やっぱり湊君の女性関係は聞かない方がいいかもしれない。
「ねえねえ、そんなに色んな女性と寝てきたのになんで好きとかわからないの?」
「好きじゃなくても寝れるからね。愛情で寝る相手を選ぶわけじゃないし」
「それがわかんないのよね。私が知らない間に女性関係で何かあったの?」
何の気なしに言った言葉だったけれど、空気がピキーン、と張りつめたような気がした。
「……まあ、あったかな。女性がというか……」
湊君らしくない暗い声で呟いたかと思うと、ぎゅうっと私を抱きしめる腕に力を込めてきたから私は慌ててグラスをテーブルに置いた。
「もう、大丈夫? なにかあったのは本当なんだ。でも私は湊君、傷つけないから大丈夫だよー」
笑いながら私は言い、彼の方に重心を傾ける。
「うん、そうだよね。灯里ちゃんは俺を傷つけないよね」
「うんうん。しないしない。だからー、だいじょうぶだいじょうぶ!」
何が大丈夫なのかわかんないけど、たぶん大丈夫。
私も、湊君もきっと大丈夫。ふたりだからきっと。
「そうだね。ねえ灯里ちゃん」
「んー、何?」
顔を起こして湊君の方を見ると、彼の顔が近づいてきてそっと、唇に触れた。
ほんの一瞬。ただ触れるだけのキス。
そして彼は微笑み、
「灯里ちゃんと一緒にいられてよかった」
と言った。