手、温かいな。そう思って私はぎゅうっと手を握る。すると湊君は私の手を握り返してきて笑いながら言った。
「どうしたの、灯里ちゃん。そんな強く握って」
「手、温かいなぁっておもって」
「あぁ、そういうこと。灯里ちゃんの手も温かいって思うけど」
「そっかぁ。じゃあどっちもあったかくていいねー」
「面白い事言うね」
でも温かいからいい。
「今日の夕飯って何?」
「えーと、鯖の味噌煮とかぼちゃと大根の煮物。それに味噌汁だよ」
「おいしそー。湊君、色々作るようになったよねー」
「うん、まあ、作るのは嫌じゃないし。灯里ちゃんは外で働いているわけだからそれくらいはね」
ちなみに自分の部屋はそれぞれが掃除して、洗濯物の基本自分の分は自分でやることにしている。
タオルとかは基本湊君が洗濯しているから、わりと家事の負担は大きいんじゃないだろうか。
お風呂掃除は順番で、食器は食洗機だし。
……これってけっこう、重要なことでは? 家事の負担って揉めるっていうし。
「湊君、他の家事もしてるよね」
「そうかな……できることはやるようにしているけど。そもそも家で仕事してるから家事するの、普通じゃないかな」
たぶんそうでもないと思う。たぶんだけど。
「じゃあ結婚しても大丈夫だねー」
湊君、結婚してもきっと変わんないだろうなぁ。
そう思って出た言葉だったんだけど、湊君がぴたり、と立ち止まる。
「……結婚……」
そう呟くのが聞こえ、私は不思議に思い、湊君の顔を見上げる。
彼は何かを考え込むような顔をした後、首を振り、
「まだわかんないかな」
と呟く。
まあ私たちまだ二十五歳だし、結婚なんてまだ遠い未来だよねぇ。結婚年齢の平均って三十前後だっけ。まだ考えられないなぁ。
どっぷりと暗くなった通りを歩き、マンションが見えてくる。
その時、目の前にひとりの女性が現れて道を塞ぐ。
「こんばんは」
その女性は、ニコニコと笑ってこちらを見ていた。
あの女性は、保護猫カフェの女性だ。
茶色い長い髪をおろし、茶色のコートを着て、ポケットに手を突っ込み立っている。
その笑顔が妙に怖かった。
「……誰だっけ」
そう呟く声が聞こえて、内心私は突っ込みを入れる。
少し前に会ったばっかりでしょう。なんで顔、覚えないんだろう。
でも彼女は湊君ではなく、私の方を見ていた。
って私?
その視線に向きに気が付いたらしい湊君は、私をかばうように前に立つ。
「貴方がいるから、湊は私の連絡ブロックして、あんな怖い文章、送ってきたんでしょ?」
いやいやいやいや、私のせいじゃないって。いや、原因の一端はあるかもだけどでも違うから。
って言いたいけれど声は出ない。
怖い怖い。何これ、本当に怖いんだけど。私へのストーカーはあっさりひいたのに、なんでこの人、ひかないの? なんで目の前に現れたの?
「えーと……ミハル、だっけ」
そう湊君が言うと、にまぁ、と女性は笑う。
「そうよぉ? あんなに愛し合ったのにお店に来たときすごく冷たくって、忘れちゃったみたいで悲しかったんだから」
と言い、出てもいない涙を拭うように左手を目元にあてる。
その笑顔が本当に、ホラー映画に出てくる幽霊みたいで恐ろしかった。
人間って怖い。いったい何の為に来たの、この人。
「そうだったっけ。俺、あんまり寝た相手のこと、覚えていないから」
「知ってるしってるー! 前に寝たとき言ってたよね。でも私の事もきれいさっぱり忘れられたの、ショックだったなぁ」
いやそこでなんで自分の事は覚えてもらえるって思うのよ。
絶対忘れるって思うでしょう。あれかな、自分は特別だって思ったのかな。
これ、危ないかもだよね。
そう感じて私はスマホを取り出し、いつでも警察に連絡できるようにする。
これ、どこで連絡するのが正しいんだろう。今? もっと何か起きてから? いや、起きてからじゃ遅いか…
…あぁ、わかんない、どうしよう。
「ねえ、そこどいて? 私が用、あるのそっちの人なの」
あ、やっぱり私なの? なにこの巻き込まれ事故みたいなの。私何にも悪くないじゃないの。
何か言いたいのに、身体が震えて口も動かせない。
彼女の言葉に湊君は微動だにしなかった。そのせいか、彼女の形相が一気に変わり、まるで般若のような顔になる。
人ってあんなに歪んだ顔になるんだ……怖いを通り越して感心してしまう。
彼女は一歩前に出たかと思うとコートに突っ込んでいた手を出した。
すると、そこにはナイフが握られていた。
ってちょっと待て。ヤる気満々じゃないですか。
私は慌ててスマホの通話ボタンを押して、警察に電話をかけた。
すぐに繋がり、私は今の状況を震えながらも伝える。
「ねえ、そこどいてよ、ねえ……」
ゆったりと女はこちらに近づいてくる。
私が警察に電話しているの、聞こえているでしょうになんで逃げないの?
警察には逃げるように言われたけど、どこに逃げたらいいんだろう。マンションの中、かな。でもナイフ持ってるしもし他の人が襲われたら……
そう逡巡していると、湊君が振り返り私の腕をつかみ走り出した。