一月十四日火曜日。
何もない平和な時間、というのに慣れない私はなんとなく落ち着かない日々を過ごしていた。
「だって何も起きないって大丈夫だと思う?」
お昼休み、お弁当を食べつつ千代に向かって言うと、彼女は苦笑いを浮かべた。
「何言ってるの灯里。大丈夫?」
「大丈夫じゃない。だって、何にも起きないのっておかしくない? 平和が怖いんだけど」
言いながら私は唐揚げを摘まむ。
私がストーカーにあい、湊君もストーカーにあって引っ越しをした。
それ以降、これといって何も起きていないのが不思議だった。
だってもう一月なのに。そうか、もう一月。湊君とこの関係を始めて半年が過ぎた。
今、私たちの関係は契約以上、恋人未満だろうか。
いざ、恋人にならないか、と言われて私はなんにも言えなくなって、そのままだ。
好き、なのかな。というか好きになって本当に大丈夫なのかな。
そんな想いが私の中で揺らいでる。
今まで恋人というとストーカーとか暴力とか、色々あったからな……
そのことが私に判断を遅らせている。
湊君は大丈夫だと思う。
だってストーカーから助けてくれたんだから。
そう思うのに、いざ一歩が踏み出せない。
私の話を聞いた千代は、声をあげて笑った。
「面白いこと言うねー。平和なのが普通なの! 灯里が今まで大変な目にあってきたから、神様が変な男を寄せつけないようにしてくれてるんだよ、きっと」
その割には少し前まで大変なことが続いたけれど?
神様云々はおいておいて、色んなことがあったからその反動なのかな。
あー、何かが起きる前触れみたいで嫌なんだよね。嵐の前の静けさってやう。
「そっかー……何にも無ければいいけどなぁ」
言いながら私は深くため息をつく。
「そういうフラグたてるとほんとに何か起きちゃうよ?」
呆れた声で言われ、私は思わず唸ってしまう。
そっかー……フラグになっちゃうかあ……
でも不安は不安なんだもの。
「でもフラグってへし折るものでしょ?」
それが最近の流行りじゃないだろうか。
「そう思えるなら大丈夫でしょ。くだらないこと考えてないで、早く食べて今度のお出かけの予定立てよ」
千代に促され、サランラップに包まれたおにぎりを手に取った。
お昼休憩のあと、上司に呼ばれて私は人事課を訪れた。
いったいなんの用だろう。
ドキドキしながら別室に案内されて、向かい合って座る。
人事の女性は頭を下げると、じっとこちらを見つめて要件を言った。
「森崎さんにお願いがあって。異動のお願いなんですが」
「異動、ですか?」
思いも寄らない言葉に、私は相手の言葉を繰り返した。
すると人事の人は頷き言葉を続けた。
「二月からなんですけど……四月に広報でふたり辞めることになって。ふたりとも既婚者でお相手が転勤になるそうでそれでねぇ」
困った様子で人事の人は言い、小さくため息をつく。
まあ、結婚していたらそういうこともあるよねぇ。
仕事辞めて着いて行くのってすごい決断だなぁ。
しかたないことだけど、会社としては痛手よね。
「一度にふたりは辛いですね」
私が言うと、人事の人はこくこくと頷いた。
「そうなんですよね。新入社員を待つ時間もないし、引継ぎをしないとだしで急きょ、誰かを異動させよう、となって」
それで私に話が回って来たんだ。
うちの会社はいわゆる問屋業務と映像配給、制作業務に分かれる。
今回、私が異動しないかと打診されたのは映像配給、制作の方だ。
うちの会社が関わった映画の宣伝にまつわる仕事をすることになる。
広報に関わったことないのに、なんで私に話しか回ってきたんだろう。
企画の方じゃないから敬遠されたのかな。映画の企画に関われるほうが魅力的ではあるもんねえ。
「でもなんで私……」
疑問を口にすると、人事の人はぱっと、明るい顔をして言った。
「あぁ、推薦なんですよ。イラストのことで色々と世話になっているからって言っていたけど」
それはあれか、鍵村さんね。
嬉しいような、でもそれは私の手柄ではないからちょっと複雑な気持ちだ。
とはいえ断る理由はないので私は頷き言った。
「お受けします」
すると人事の人は心底安心した様な顔になる。
「ありがとう! じゃあ、二月の三日月曜日からよろしくお願いします」
と言い、頭を下げた。
部署に戻り席に腰掛けると、千代が話しかけてきた。
「呼ばれたの何だったの?」
「二月から異動してほしいって。四月でふたり辞める部署があってそれで急きょ、て言ってた」
答えながら私はパソコンを開く。
「あー、もしかして広報? なんか聞いたよー。転勤で引っ越すからって」
あ、やっぱり千代は聞いてるのね。
広報にいるななみは千代のほうが仲いいし、鍵村さんとも繋がりあるもんね。
「そーそー。引き継ぎもあるから中途半端な時期だけどお願いってされて」
「あー、そうなんだ。一気にふたりはきついもんねぇ」
それは誰もが思うだろう。
でも仕方ないよね、人生何が起こるか分からないもの。
「二月っていうと……あ、三日から?」
「そうそう」
「じゃあその前に一度飲み行こうね」
「うん、わかった」
そして千代は私の背中をぽん、と叩き、去っていった。
ちょうど旅行明けになるんだなあ。
楽しみなような怖いような。でも、新しいことにチャレンジできるんだよね。
がんばろう。
私はパソコンに向かい、午後の業務を始めた。