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第105話 猫を迎えて

 慣れない仕事をこなしつつ、迎えた二月七日金曜日。

 私は浮足立っていた。

 だって、今日は猫をお迎えすることになっているからだ。


「なんだかそわそわしてる? なにかあるのー?」


 と、芝本さんに聞かれたので私は素直に猫をお迎えすることを説明した。


「へえ、まじ? よかったねー。どんな子?」


「黒猫なんですよー」


 動物愛護センターのホームページを見ながら決めた猫。一歳くらいの女の子らしい。

 引き取ったら動物病院で避妊手術をすることになっていて、その病院も決めている。

 それにワクチンの注射もしないとだし、することが多い。でも楽しみだな。初めてペットを飼えるんだ。

 仕事を終えて私は早足ですっかり暗くなった街を歩く。

 空をふと見上げれば、星がちらほらと見えた。

 やっぱりこっちって明るいんだなぁ。海辺で見た星は、もっと多かったから。

 そんなことを思いつつ、私はマンションへと急いだ。

 はやる気持ちを抑えつつ、私はマンションの部屋の前に立ち、鍵を差す。


「ただいまー」


 言いながら部屋に入り、靴を脱いでまず洗面所に向かって手を洗う。

 そして部屋に荷物を片付けてリビングへとつながる扉の前に立つ。

 それを開き、私は中に入って、


「ただいまー」


 と声をかけ視線を巡らせた。

 リビングの隅っこにはケージがあり、その中に黒猫がいるのが見えた。

 見に行きたい衝動を抑えつつ、私はキッチンに立つ湊に声をかけた。


「ずっとケージの中?」


「ううん、さっきはうろうろしていたけど、あの中が落ち着くんじゃないかな」


 と言い、鍋の中をかき混ぜていた。

 どうやら今日はカレーらしい。


「水は飲んでいたし、エサも食べてたから大丈夫だと思うけど。すぐ慣れるわけじゃないからね」


 と言い、鍋の火を止める。


「そうだよね。私、ご飯よそうね」


「うん」


 猫のことが気になりつつ、私は食器棚からカレー用のお皿を出した。

 ふたりでカレーを食べていると、物音がした。

 音がした方を見ると、猫がキャリーから出てきて、ケージの中で辺りの匂いを嗅ぎつつゆっくりと歩いているのが見える。

 猫の首には青い首輪。あれは、事前に湊と決めたものだ。

 そしてあの子の名前も決めてある。


「ノア、出てきたね」


 と言い、湊がリビングの隅に視線を向ける。

 そう、名前はノア。ノアの箱舟が真っ先に出てくるけど、旅をする、という意味があるらしい。実際に旅に出られるわけじゃないけれど、どこかミステリアスで覚えやすい響きですぐに決まった。


「そうね。早く慣れてくれるといいけどねぇ」


「うん、どうだね。早いと二週間くらいで慣れるみたいだけど、長いと数か月かかるらしいよ」


「けっこうかかるんだね」


 今、ノアがいるケージは三階建てと高さがあるものだ。

 一階部分にはトイレとエサ、水のみ器が置かれていて、二階部分には猫用のベッドが置いてある。

 そのケージの中をうろうろしているのが見えるけれど、中から出てくる様子はない。

 さ、触りたいけどまだ駄目だよねぇ。

 食事を終えて片付けた頃、ノアはケージから出てきた。金色の目を輝かせて、ケージの周りを回っている。

 長い尻尾がゆらゆらと揺れていて可愛い……!

 食器は食洗機に突っ込んで、普段ならお茶を淹れて私も湊君も部屋に行くんだけど、今日は申し合わせたようにリビングのソファーに腰かけてテレビをつけた。


「何見る?」


 リモコン片手にそう聞かれ、私は腕を組み呻る。


「うーん、どうしよう……」


 そんなの考えているわけがない。


「なんか、適当に……映画でも見ようか? 古いアニメ映画なんだけど前から見たいなーと思っていたのがあって」


 そして私はその映画のタイトルを伝える。

 すると湊はちょっと驚いた顔をした。


「それっておもいきり子供向けのアニメ映画だよね。でも評判いいのは俺も知ってる」


「そうそう。前から見たいなーと思っていたんだけど、なかなかね」


「それモデルに実写映画作られたよね。それもだいぶ前だけど」


「そうそう。戦国時代の表現がすごいって有名なんだよね」


 私が見たかった映画は、幼稚園児が主人公の国民的子供向けアニメの映画で、大人の評価がとても高いものだ。

 前から興味はあったし大して長いものじゃないんだけど、後回しにして今に至る。

 湊はサブスクのアプリを起動して、その映画を検索する。

 その間、ノアは私たちが座るソファーの横に来て、じっとテレビ画面を見つめていた。

 猫がテレビを見る映像、ときどき見かけるけど……ちゃんと見えているのかなぁ。

 ノアは尻尾を揺らしながらテレビを見つめ、気になったのかその場に座り込んだ。

 テレビから音楽が聞こえてきて、映画が始まる。

 映画が始まってしばらくするとノアはテレビの前まで近付きそして、画面を見上げた。

 画面の中で人物が動くたびに首が動く。

 っていうことは映像、認識してるって事なのかな。

 正直ノアのことが半分くらい気になってしまって、ちゃんと内容が入ってこなかったけれど、一時間半後、私は映画をみ終えて涙ぐんでしまった。

 子供向け映画と侮ってはいけない、とは聞いていたけど本当だった……

 あんな真正面から、死を描くなんて……

 見るとノアがテレビ台に手をかけて、ぺち、ぺち、と画面を叩いている。


「あ」


 そう声を上げたかと思うと、湊が立ち上がってノアに近づき、そっと抱き上げてテレビから引き離した。


「テレビ、気になるんだね」


 笑いながら言うと、湊はノアを床におろして、ケージの方へと向かっていく。


「うん、さすがにテレビで遊ばれるとまずいから、遊ぶならこっちにしてほしいんだよね」


 と言って、手に持ったのは猫じゃらしの玩具だった。

 持ち手の棒から長い紐が垂れていて、その先にふわふわの丸い物体がついている。

 湊がそれをノアの前で揺らすと、頭を下げて床をふみふみし始める。

 そして勢いよく跳ねて、玩具を掴もうとした。

 でも掴めなくて、手が空を切る。

 ノアは玩具を見上げ、再びぴょん、と飛び跳ねた。


「いいなぁ、私もやりたい」


 声を弾ませて私は言い、ソファーから立ち上がって湊に近づく。

 彼から玩具を受け取り、私はゆらゆらと玩具を揺らした。

 するとそこにとびかかってきて、今度は爪をひっかけて自分へと引き寄せていく。

 ふわふわに噛み付こうとするけれど、爪から離れてしまい、玩具は宙へと戻っていった。

 この様子ならすぐ慣れてくれるかなぁ。

 たっぷり三十分、他の玩具を使って遊んだあと、ノアは満足したのか大きな欠伸をしてケージの中へと戻っていった。


「楽しいねぇ、猫と遊ぶの」


 るんるん気分で言いながら、私は玩具を片付けた。


「そうだね。よかった、遊んでくれて」


 湊も玩具を片付け、そして私の方を向く。


「ねえ、誕生日四月だよね」


「え、うん、そうだけど」


 考えてみたら誕生日まであと二ヶ月ちょっとだ。私の誕生日は四月九日だから。

 誕生日かぁ。

 去年は何してたっけ。ひとりでケーキ食べてお酒飲んで寝ただけな気がする。


「四月九日だから……」


 曜日を確認しようとスマホを開こうとすると、


「水曜日だよ」


 と言われた。

 まさかの即答?

 驚いて顔を上げると、彼は私に近づいてきてそして、私の手をそっと、握ってきた。


「最初は思いつきだったけど、ちゃんと時間かけて準備しているから」


 と言いだす。

 い、いったい何を?


「どういうこと?」


 戸惑いつつ言うと、彼は口元に人差し指を当てて言った。


「まだ内緒。あと、何か欲しいものってある?」


 あと、ってことは何か別に用意しているって事なのかな。

 まあ、それは楽しみにしておこう。

 プレゼントかぁ……何がいいかな。


「うーん、美味しいご飯とケーキとお酒をおうちで楽しみたいなー。一緒に過ごす時間がいいもの」


 水曜日って事は仕事だし、どこかに行くことはできない。というかしたくない。人ごみは嫌だから。

 私の答えに、湊君は吹きだす。


「あはは。美味しいご飯かぁ……どうせ仕事だよね。じゃあがんばって用意するよ。お酒は何がいいかな? ワイン? シャンパン?」


 言い出したものの私はお酒に詳しくない。

 ぐるぐる考えても何も思いつかなくて、私は湊の肩に手を置いて、にこっと笑って言った。


「わかんないから任せる!」


「わかった、じゃあ……今度いくつかピックアップするから一緒に選ぼうか」


 そして彼は私の顎に触れたかと思うと、そっと、唇を重ねてきた。


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