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第106話 墓参りと母親

 三月に入り、ノアもだいぶ慣れてきた。

 キャットタワーで遊んだり、テレビを見ているとテレビ画面の前にちょこん、と座り動くものを追いかけたり。

 カリカリなエサも猫缶もよく食べてくれるし。時どき家具とかで爪を研ごうとするのを止めて、爪とぎ器に連れてくるんだけど家具の方が気になってしまうらしい。

 たまに家具に傷がついたりしていた。

 私も一か月弱、ふたりから仕事を教わり、なんとか慣れてきてマニュアルも貰い、ひとりで業務をこなすようになっていた。

 もうふたりとも会社にほとんど来ないのかと思うと寂しさが強いけど、新人さんが来るまでの辛抱だ。

 そう自分に言い聞かせて一週間が通り過ぎた。

 今月は春のお彼岸がある。

 三月八日土曜日。だいぶ早いけれど、私は両親のお墓参りに来ていた。もちろん湊も一緒だ。色々あったから、墓参りは一年ぶりだった。

 お墓に水をかけ、お花とお線香を供えて手を合わせる。

 全然来られなくてごめんね。いつも見守ってくれてありがとう。

 そう心の中で声をかけた後目を開ける。

 今日は晴れていて日差しが眩しい。

 三月になると暖かい日が増えてきた。今日の最高気温は二〇度らしく、私も湊もコートを着ていない。

 今はまだ午前中だから気温はまだそこまで高くないけど、もうしばらくしたら暑く感じるんじゃないかな。

 太陽が自己主張を強くするなか、私たちは出口に向かってお墓の中を歩く。バケツと柄杓を片付けないと。


「ありがとう、付き合ってくれて」


「うん。お葬式に参列したの覚えてるよ」


 お葬式、といってもとても小さなもので、お父さんの家族は私しかいないから私の友達や近所の人が参列してくれたんだよね。

 そんなこともあったなぁ。

 お父さんのことはもう、思い出の中だ。人は二度死ぬ、という。死んだときと、忘れられた時。忘れることはないだろう。お父さんのこともお母さんのことも。時どき夢に出てきて、私の事を見守ってくれているし。


「でもここのお墓、俺、来たことあるんだよね」


 そう呟き、湊は首を傾げる。


「え、どういうこと?」


「叔父……というか養父の方の先祖の墓があって」


「へぇそうなんだ」


 頷き私は墓の間を歩いてバケツなどが置かれている水くみ場に向かう。

 ……ん、待てよ?

 私は振り返り、首を傾げつつ尋ねた。


「それって、つまり……」


 湊君はとても冷たい顔になり、目を細めて地面を見つめる。


「母親の方の先祖って事になるんだよね。だからか、墓参りに来るのはいつもお盆もお彼岸も関係ない時期だった。それも一年に一度だったし。もしかしたら母と会わせないよう、叔父たちが配慮してくれていたのかも」


 あ……そういうこと。

 だからお寺の名前を言った時首を傾げたのね。


「そういう偶然、あるんだね」


「うん。たしか、あっちの方だったと思う」


 と言い、湊は顔を上げて道を曲がっていく。

 私は慌てて彼のあとを追いかけていき、そしてあるお墓の前で湊が立ち止まった。

 黒くそびえたつ墓石に、「柚木」と刻まれている。

 湊君の祖父母や曾祖父母が眠るお墓。


「って、あれ?」


 その墓石は濡れていて、線香の煙が立っている。それに新しい花が活けられているし……これって、誰かが来たって事よね。

 お線香の様子からそんなに時間は経っていなさそうだ。

 だ、大丈夫かな。

 彼が心配になり、顔を覗き込むと目を見開いたまま墓石を見つめていた。

 気のせいだろうか、小刻みに震えているように見える。

 私はおそるおそる湊の腕に触れて、


「大丈夫?」


 と、声をかけた。

 すると、はっとした顔でこちらを見たかと思うと、力なく笑い首を振って言った。


「大丈夫だよ。行こう、早く帰ろうよ」


 と言い、彼は私の手をつかみ歩き出す。

 早く、何かから逃げるように。

 この様子だと大丈夫ではないんだろう。

 そう簡単に吹っ切れるわけないよね。だって、父親に似てきたからって理由で切り付けられたんだもの。実の母親に。

 彼が負った傷は、私の想像をはるかに超えて深いものだろう。

 身体の傷は治っても、心の傷はそうそう治るものじゃないしね。

 バケツや柄杓を片付けて、私たちは足早に駐車場へと向かう。

 納骨だろうか。黒服を着た集団が、お墓に入っていくのが見える。

 どうか鉢合わせしませんように。

 そう強く願いつつ、私たちは車に乗り込みその場をさっさと離れた。




 外で食事を済ませて帰宅をし、ケージを開けるとノアが出てきて尻尾を振った。


「にゃー」


 この子を引き取り一か月ほど。

 何とか慣れてくれて、キャットタワーでも遊ぶようになった。

 避妊手術は済ませていて、予防注射とマイクロチップも順番にやっていく予定だ。


「ただいま、ノア」


 そう声をかけると、ノアは足元にやってきて顔を摺り寄せてくる。

 あー、可愛い。

 こんな風に猫になつかれるの嬉しすぎる。


「お茶、いれるね」


 抑揚のない声で言った湊はキッチンに向かっていく。

 そして水の音が続いた。


「あ、うん、ありがとう」


 私やるよ、という言葉を飲み込み、私はそう答える。

 なんだか声がかけにくい空気を感じたからだ。

 うーん、大丈夫じゃないよね、これ。

 ずっとついて回るのかな……どこかでちゃんと踏ん切りがついたらいいけど、そればかりは難しいか。

 私は床に座り、玩具でノアと遊びながらお茶の用意を待った。


「あ……ねえ、明日なんだけど」


 ノアと遊んでいると、キッチンから声がかかる。


「んー、何?」


 ノアから目を離さず私は答えた。


「綾斗がここにくるって聞かないんだけど、大丈夫かな」


 ……誰がここに来たがっていて何が大丈夫か、って?

 私は自分が何を言われたのか理解できず、しばらく考え込む。

 そして時間をかけて理解して、私は顔を上げて、


「え、どういうこと?」


 と言った。

 綾斗。伏見綾斗だよね。人気のアイドル。


「何で?」


「前から来たい、絵を見たい、って言われていて。そんなのデータでいくらでも見せられるのに。たぶんここに来たいだけだと思う」


 めんどくさそうな声音で言い、湊は湯気のたつマグカップを運んでくる。

 それを見て私は立ち上がり、ソファーに腰かけた。

 湊はテーブルにマグカップを置いて、私の隣に腰かけた。

 すると私たちの間にノアが入り込み、丸くなる。

 どうやらここがお気に入りらしくて、私たちがソファーに腰かけると必ず間に入ってくるのよね。

 湊はそんなノアの頭を撫でながら言った。


「明日、急に休みになったから来るって言い出して」


「来るって……どうやって?」


 あまりにも訳が分からず、私は意味のない質問をしてしまう。

 どうやっても何もないよね。歩いてとか、電車でとか、車でとかいろいろあるもの。


「住所は教えたから勝手に来れば? って言ったんだけど、歩いてくるのかな」


 と、さほど興味なさそうに言い、マグカップを手にした。


「車は目立つだろうし。意外と電車、使ってるみたいなんだよね。それだと人にまぎれるからって。上着脱いだり帽子替えるだけでわからなくなるし。靴も履き替えたりするって言ってたな」


 そ、そこまでするんだ……

 つまり尾行されたりするってことだよね。

 そう言えばなれれば週刊誌の記者がわかる、って話聞いたことあるなぁ。

 大変だ、芸能人。


「脱退してそういうのがいなくなってきたから来るみたいなこと言っていたけど」


「そ、そうなんだ」


 何ともコメントしにくい話だなぁ。

 そもそもここは湊が借りている部屋だし、相手はお兄さんなわけだし私が断る理由もなく。


「いいんじゃないかな」


 と言い、私はマグカップを手に持った。


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