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第107話 アイドルが来た

 三月九日日曜日。

 朝がきて、私はもぞもぞとベッドから這い出る。

 今日の午後、綾斗が本当にここに来るらしい。確定ではないらしいけれど。


「尾行されてなかったら来るって」


 と、スマホを見つめながら湊は言っていた。

 なんだろう、スパイか何かかな。

 私はリビングへとまず向い、ノアがいるケージを開ける。

 そして水をかえてエサを用意して、ケージの中にいれた。

 するとノアはがつがつ、とエサを食べる。

 そして私はケージから離れて朝食の準備を始めた。

 たぶん湊は今日も起きては来ないだろう。

 昨日、ちょっと早く起きたから今日は早くて正午前後かなぁ。

 今日、映画を見に行く予定いれてなくて良かった。

 SNSの業務で今月から映画を定期的に見ようと決めていて、来週から公開される映画と、春休み映画を見に行く予定になっている。

 チケットは前任者である成田さんから譲ってもらった。

 今日はドラマ見て時間潰すかな。

 そう思い私は冷蔵庫から食パンをとりだした。



 ドラマを見終わりお昼の用意をしていると、正午少し前に起きてきた湊は、眠い顔をしてスマホを見つめながら言った。


「あぁ、なんかくるっぽいから着替えないと」


 そう呟くと、彼は洗面所の方へと消えていく。きっと顔、洗ってるんだろうな。

 お昼はスパゲティだ。簡単にレトルトで済ませるのでお湯を沸かしてパウチのミートソースを今温めている。

 そして電子レンジの中で、パスタをゆでていた。

 食事を終えた頃、室内のチャイムが鳴り響く。

 チャイムが鳴る事なんて滅多にないからか、ノアがびくっと震え目を見開いてきょろきょろとしている。

 まだ覚醒しきれていないらしい湊は、小さな欠伸をしたあと立ち上がりインターホンへと向かった。

 会話をした後、湊君は玄関ドアの方へと向かう。

 しばらくしてまたチャイムが響いて、驚いたノアがびくっとした後ソファーに座る私のそばまでやってきた。


「驚くよねぇ」


 言いながら私はノアの頭を撫でる。

 辺りを見回して警戒している様子のノアを抱き上げて、私はソファーから立ち上がった。


「別に特別なものは何もないよ」


 と、相変わらず嫌そうな声で湊が言っているのが聞こえてくる。

 その様子に苦笑いを浮かべていると扉が開いて湊と、白い帽子を被った綾斗が入ってきた。

 黒い綿パンにパーカーを羽織った彼は手に紙袋を持っている。

 彼はこちらに気が付くと、帽子を取りながら、満面の笑みを浮かべて言った。


「こんにちはー、お邪魔します」


 そして頭を下げる。

 私は慌てて頭を下げて、それに答えた。


「こ、こんにちは」


「用が済んだらさっさと帰ってよ」


 言いながら湊は窓とカーテンを閉める。

 今日は気候がいいから窓を開けていたのよね。なんでカーテン閉めてるんだろう。


「気遣いどうも。ほどほどに帰るよ。それより久しぶりに会ったんだからもう少し優しくしてくれても」


 と言い、ニコニコして綾斗は湊に近づいていく。

 対する湊は素っ気なく、


「久しぶりって十二月に会ってるでしょ」


 と言い、キッチンへと向かった。

 きっとお茶を淹れるんだろう。綾斗はそれを追いかけ、カウンターキッチンに肘をつき湊を見つめた。


「そうだけどさ。プライベートで会うのは久しぶりでしょ? 積もる話も……」


「俺が仕事してるの無視していつも一方的に電話してきてるでしょ」


 呆れた様子で答える湊。

 相変わらず温度差激しいな。

 でもそこまで嫌そうじゃない、ような気がする。電話だって前よりは穏やかだもん、ねえ。たぶんきっと。

 私は部屋に引っ込もう。

 兄弟邪魔しちゃ悪いし。

 私はノアを下ろして、


「あ、部屋にいるね」


 と声をかけ、リビングのドアへと向かおうとする。


「え?」


「何で?」


 似たようなふたりの声が背中から聞こえてきて、私はばっと、振り返る。

 すると四つの目がこちらを見ていた。

 いや、六個か。ノアもこちらを見つめて歩み寄ってきて、にゃーと鳴く。

 綾斗は持ってきた紙袋を顔のところまであげて、


「お土産あるから食べようよ」


 と言い、ソファーの前にあるテーブルの方に向かった。


「こっち座ればいい?」


「好きにしたら」


「うん、じゃあ、好きにする」


 と言い、床に座り込む。

 いや、これ私がいていいやつなのかな?

 そう思いつつ私は足元にやってきたノアを抱き上げ、お茶を運ぶ湊のあとを着いて行った。


「外で会うと目立つし、うちに来てもらうわけにもいかないからさー。会員制のバーとかあるけどそれは断られたし」


 言いながら、綾斗は紙袋の中から箱を取り出す。


「夜外に出るのなんて嫌だよ」


 そう言って、湊は湯気をあげるマグカップをテーブルに置き、収納へと向かう。

 そして座布団を綾斗に差し出した。


「これ」


「あ、ありがとう」


「ソファーに座ったらいいのに」


「ソファーや家主が使うものだろ? さすがに遠慮するよ」


 座布団を受け取りながらそう答え、綾斗は立ち上がりそれを床に置いて座った。

 テレビを通して見る姿とは違うなぁ。アイドルじゃない、「兄」の顔をした綾斗がそこにいる。

 彼は箱の包み紙を丁寧にとり、それを畳み箱をあける。

 中身はマドレーヌやクッキーに詰め合わせだった。


「ずっとマスコミが張ってたからさー。妹と紅葉を見に行ったのも記事にされちゃったし」


 笑いながら言い、綾斗はお茶が入ったマグカップを手にして、ソファーに座る私の方を向く。


「食べて!」


「あ、はい、あの、いただきます」


 私はノアを横におろし、頭を下げてからマドレーヌが入った袋を手に取る。

 ノアは私たちの間をぐるぐると回った後、丸くなって大きな欠伸をした。


「猫、今何歳?」


「たぶん一歳ちょっとくらい。捨て猫だから正確にはわからないけど」


「へぇ。お前が猫とか人と一緒に暮らすの意外」


 そして綾斗はクッキーの袋を手にする。


「まあ、うん、そうだね」


 あ、それは納得するんだ。

 横目に見ると、湊はお茶を飲みノアの頭を撫でていた。


「てっきり誰とも暮らすことないと思ってた。叔父さんたち引っ越して、こっちには戻ってこないんでしょ?」


「まあ、うん。そうみたい」


 そういえば家族の話、全然したことないような。

 私の知らないところでやり取りをしているのかもだけど。


「メッセージのやり取りはしているし、しばらく会いに行ってないけど、こっちから行くつもりではあるよ」


 湊には年の離れた弟と妹がいる。確か八歳と十歳離れていたような。高校二年生と中学三年生、かな。

 会ったときはまだふたりとも小学生だったけど、もうだいぶ大きくなっただろうな。


「そうなんだ。いとこだけど俺、会ったこと殆どないんだよなー」


「会わせる気ないし」


 さらっと言い、湊はマグカップを置いてパウンドケーキが入った袋を手にする。


「えぇー? 意地悪だなぁ。いとこなのに」


「両親は離婚してるし、会う理由もないでしょ」


 まあ、うん、確かにそうだ。

 そうだけど、けっこう辛辣だなぁ。

 内心苦笑して綾斗を見ると、気にする様子もなくお茶を飲んでいる。


「で、何しに来たの」


「顔見に来たんだって。久々なのに冷たいなぁ」


 言葉の割に、綾斗は嬉しそうだ。


「まあ、ちゃんとご飯食べてるみたいだし。よかったよ。前は不規則だし朝起きないし、夜遅いし」


 いやそれは今も変わらないかと。

 よく考えたら湊、食事は一日二食なんだよね。昼と夜だけ。


「引きこもりで外に出ないし。その割、女性関係は派手だし。俺ですらお前の名前、女性の口からきいたんだから」


「芸能関係の人、いたかな?」


 湊はそんなことを言って、首を傾げる。


「いても覚えてないだろ」


「いても覚えてないでしょ」


 綾斗と私、同じ言葉を口にして、私は苦笑いした。

 言われた湊は気にする様子もなく、


「覚えておく必要、無かったし。その場だけが多かったから」


 と言った。



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