三月九日日曜日。
朝がきて、私はもぞもぞとベッドから這い出る。
今日の午後、綾斗が本当にここに来るらしい。確定ではないらしいけれど。
「尾行されてなかったら来るって」
と、スマホを見つめながら湊は言っていた。
なんだろう、スパイか何かかな。
私はリビングへとまず向い、ノアがいるケージを開ける。
そして水をかえてエサを用意して、ケージの中にいれた。
するとノアはがつがつ、とエサを食べる。
そして私はケージから離れて朝食の準備を始めた。
たぶん湊は今日も起きては来ないだろう。
昨日、ちょっと早く起きたから今日は早くて正午前後かなぁ。
今日、映画を見に行く予定いれてなくて良かった。
SNSの業務で今月から映画を定期的に見ようと決めていて、来週から公開される映画と、春休み映画を見に行く予定になっている。
チケットは前任者である成田さんから譲ってもらった。
今日はドラマ見て時間潰すかな。
そう思い私は冷蔵庫から食パンをとりだした。
ドラマを見終わりお昼の用意をしていると、正午少し前に起きてきた湊は、眠い顔をしてスマホを見つめながら言った。
「あぁ、なんかくるっぽいから着替えないと」
そう呟くと、彼は洗面所の方へと消えていく。きっと顔、洗ってるんだろうな。
お昼はスパゲティだ。簡単にレトルトで済ませるのでお湯を沸かしてパウチのミートソースを今温めている。
そして電子レンジの中で、パスタをゆでていた。
食事を終えた頃、室内のチャイムが鳴り響く。
チャイムが鳴る事なんて滅多にないからか、ノアがびくっと震え目を見開いてきょろきょろとしている。
まだ覚醒しきれていないらしい湊は、小さな欠伸をしたあと立ち上がりインターホンへと向かった。
会話をした後、湊君は玄関ドアの方へと向かう。
しばらくしてまたチャイムが響いて、驚いたノアがびくっとした後ソファーに座る私のそばまでやってきた。
「驚くよねぇ」
言いながら私はノアの頭を撫でる。
辺りを見回して警戒している様子のノアを抱き上げて、私はソファーから立ち上がった。
「別に特別なものは何もないよ」
と、相変わらず嫌そうな声で湊が言っているのが聞こえてくる。
その様子に苦笑いを浮かべていると扉が開いて湊と、白い帽子を被った綾斗が入ってきた。
黒い綿パンにパーカーを羽織った彼は手に紙袋を持っている。
彼はこちらに気が付くと、帽子を取りながら、満面の笑みを浮かべて言った。
「こんにちはー、お邪魔します」
そして頭を下げる。
私は慌てて頭を下げて、それに答えた。
「こ、こんにちは」
「用が済んだらさっさと帰ってよ」
言いながら湊は窓とカーテンを閉める。
今日は気候がいいから窓を開けていたのよね。なんでカーテン閉めてるんだろう。
「気遣いどうも。ほどほどに帰るよ。それより久しぶりに会ったんだからもう少し優しくしてくれても」
と言い、ニコニコして綾斗は湊に近づいていく。
対する湊は素っ気なく、
「久しぶりって十二月に会ってるでしょ」
と言い、キッチンへと向かった。
きっとお茶を淹れるんだろう。綾斗はそれを追いかけ、カウンターキッチンに肘をつき湊を見つめた。
「そうだけどさ。プライベートで会うのは久しぶりでしょ? 積もる話も……」
「俺が仕事してるの無視していつも一方的に電話してきてるでしょ」
呆れた様子で答える湊。
相変わらず温度差激しいな。
でもそこまで嫌そうじゃない、ような気がする。電話だって前よりは穏やかだもん、ねえ。たぶんきっと。
私は部屋に引っ込もう。
兄弟邪魔しちゃ悪いし。
私はノアを下ろして、
「あ、部屋にいるね」
と声をかけ、リビングのドアへと向かおうとする。
「え?」
「何で?」
似たようなふたりの声が背中から聞こえてきて、私はばっと、振り返る。
すると四つの目がこちらを見ていた。
いや、六個か。ノアもこちらを見つめて歩み寄ってきて、にゃーと鳴く。
綾斗は持ってきた紙袋を顔のところまであげて、
「お土産あるから食べようよ」
と言い、ソファーの前にあるテーブルの方に向かった。
「こっち座ればいい?」
「好きにしたら」
「うん、じゃあ、好きにする」
と言い、床に座り込む。
いや、これ私がいていいやつなのかな?
そう思いつつ私は足元にやってきたノアを抱き上げ、お茶を運ぶ湊のあとを着いて行った。
「外で会うと目立つし、うちに来てもらうわけにもいかないからさー。会員制のバーとかあるけどそれは断られたし」
言いながら、綾斗は紙袋の中から箱を取り出す。
「夜外に出るのなんて嫌だよ」
そう言って、湊は湯気をあげるマグカップをテーブルに置き、収納へと向かう。
そして座布団を綾斗に差し出した。
「これ」
「あ、ありがとう」
「ソファーに座ったらいいのに」
「ソファーや家主が使うものだろ? さすがに遠慮するよ」
座布団を受け取りながらそう答え、綾斗は立ち上がりそれを床に置いて座った。
テレビを通して見る姿とは違うなぁ。アイドルじゃない、「兄」の顔をした綾斗がそこにいる。
彼は箱の包み紙を丁寧にとり、それを畳み箱をあける。
中身はマドレーヌやクッキーに詰め合わせだった。
「ずっとマスコミが張ってたからさー。妹と紅葉を見に行ったのも記事にされちゃったし」
笑いながら言い、綾斗はお茶が入ったマグカップを手にして、ソファーに座る私の方を向く。
「食べて!」
「あ、はい、あの、いただきます」
私はノアを横におろし、頭を下げてからマドレーヌが入った袋を手に取る。
ノアは私たちの間をぐるぐると回った後、丸くなって大きな欠伸をした。
「猫、今何歳?」
「たぶん一歳ちょっとくらい。捨て猫だから正確にはわからないけど」
「へぇ。お前が猫とか人と一緒に暮らすの意外」
そして綾斗はクッキーの袋を手にする。
「まあ、うん、そうだね」
あ、それは納得するんだ。
横目に見ると、湊はお茶を飲みノアの頭を撫でていた。
「てっきり誰とも暮らすことないと思ってた。叔父さんたち引っ越して、こっちには戻ってこないんでしょ?」
「まあ、うん。そうみたい」
そういえば家族の話、全然したことないような。
私の知らないところでやり取りをしているのかもだけど。
「メッセージのやり取りはしているし、しばらく会いに行ってないけど、こっちから行くつもりではあるよ」
湊には年の離れた弟と妹がいる。確か八歳と十歳離れていたような。高校二年生と中学三年生、かな。
会ったときはまだふたりとも小学生だったけど、もうだいぶ大きくなっただろうな。
「そうなんだ。いとこだけど俺、会ったこと殆どないんだよなー」
「会わせる気ないし」
さらっと言い、湊はマグカップを置いてパウンドケーキが入った袋を手にする。
「えぇー? 意地悪だなぁ。いとこなのに」
「両親は離婚してるし、会う理由もないでしょ」
まあ、うん、確かにそうだ。
そうだけど、けっこう辛辣だなぁ。
内心苦笑して綾斗を見ると、気にする様子もなくお茶を飲んでいる。
「で、何しに来たの」
「顔見に来たんだって。久々なのに冷たいなぁ」
言葉の割に、綾斗は嬉しそうだ。
「まあ、ちゃんとご飯食べてるみたいだし。よかったよ。前は不規則だし朝起きないし、夜遅いし」
いやそれは今も変わらないかと。
よく考えたら湊、食事は一日二食なんだよね。昼と夜だけ。
「引きこもりで外に出ないし。その割、女性関係は派手だし。俺ですらお前の名前、女性の口からきいたんだから」
「芸能関係の人、いたかな?」
湊はそんなことを言って、首を傾げる。
「いても覚えてないだろ」
「いても覚えてないでしょ」
綾斗と私、同じ言葉を口にして、私は苦笑いした。
言われた湊は気にする様子もなく、
「覚えておく必要、無かったし。その場だけが多かったから」
と言った。