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第109話 平和な日常と不穏な空気

 三月も半ばになると暖かい日が増えるようになった。

 月末には桜が咲くらしいし、歩いていると梅が咲いているのを見かけるようになった。

 会社の周りを歩いていると日に日に緑が増えていて、季節の移ろいを感じる。

 仕事を引き継ぎ、私はSNSの運営をがんばっていた。

 会社の周りを散歩して写真を撮ったり、ノアの写真を撮ったり。

 映画やドラマ、アニメなどを見てその感想をのせたりしていて、ほどほどにフォロワーさんとの対話もでするようになっていた。

 そして今、私は会社の周りを歩いている。そこで気が付いたことがたくさんある。

 普段、閉店している状態で前を通りすぎるだけのお店が実はケーキ屋さんだったり、路地にひっそりカフェがあったり。

 会社の裏通りをしばらく行くと住宅街があって、そこそこ大きな公園があったり。知っている様で知らない世界がそこには広がっていた。

 公園では、小さな子供たちがお母さんやお父さんと遊んでいる姿が見られた。

 砂場にすべり台。鉄棒にジャングルジム。子供たちは走り回り、そのあとを追いかけるお母さん、ずっとおしゃべりしているお母さんたちの姿などが見られた。

 これ、下手すると私、子供の写真を撮ろうとしている不審者になるわよね。気をつけないと。

 そう思いつつ、公園に生えている木や、枝の隙間から見える空などの写真を撮る。

 まさか仕事で散歩する日がくるとは思わなかったなぁ。

 会社のスマホ片手に空を見上げる。

 木々の枝のあいだから見える空は青く澄んでいて、綿のような雲の姿が目立つ。吹く風は穏やかだし、春って感じだなぁ……花粉もすごそう。マスクしているけれど、鼻がちょっとむずむずするもの。


「いいお天気ですねぇ」


 そんなちょっと年配の女性の声がかかり、私は空を見上げたまま答えた。


「そうですねぇ、穏やかで過ごしやすくて。花粉がすごそうですね」


「あぁ、確かにそうですね。お薬で抑えていますけど、くしゃみは出てしまいます」


 よく聞くとちょっとくぐもっているから、きっとマスク、しているんだろうな。


「毎年の事ですし、辛いですよねぇ」


 私はそこまで花粉症、酷くないけど毎年の事だから大変よね。薬も眠くなるし。でも飲まないとくしゃみは出るし目は痒くなるし。


「そうですねぇ。でもくしゃみが出るので春を感じるようになるんですよね。こうして外を歩かなくても」


「それもそうですね」


 笑いながら言い、私はそこで初めて声をかけてきた人物を見た。

 予想通り、その人は淡いピンク色のマスクをしていた。

 それに帽子を被っていて、白のブラウスにミントグリーンのロングスカートを穿いている。

 たたずまい的に、そこそこいいところの奥様、と言った感じだった。雰囲気的に四十代から五十代だろうか。

 目元しか見えないけれどどこかで見たことあるような……なんだろう、この感じ。

 不思議に思うけれどその年代の女性に全く心当たりがないため、私はこの違和感を忘れることにした。


「私この近所で働いているんですが、こんな公園があるって最近まで知りませんでした」


「あら、そうなんですか。確かに表通りはオフィスばかりですし、ここまではいらっしゃらないですよね」


 と言い、女性は笑ったようだった。


「写真を撮っていらしたようですけど」


「はい、そうなんです。仕事で使う写真を集めていて」


「あぁ、お仕事で写真を使われるんですか」


「はい、そうなんです。まあ、風景をSNSとかに載せるんですけど」


「あら、楽しそうなお仕事ですね。私は見る専門ですけど、こういう風景とか動物とかの写真、よく見てイイネ

しますよ。日常のちょっとした風景も地域によって違うので楽しいです」


「確かにそうですね」


 考えてみたら、簡単にスマホで写真を撮れるようになっているのに、ちょっとした日常の写真なんてあんまり撮らないような。

 前はバズるような特別な風景ばかり捜していたような気がする。

 お仕事で写真をアップするようになってからは、日常にある風景を切り取って写真を撮っているし、近所のお店で食べたものとかアップしている。

 私にとっては日常のだけど、見ている人にとってはそれは日常にはないものだったりするのよね。不思議な感じ。


「私の息子たちも、SNSをやっていて時々覗いているんですが、こういう写真はアップしてないですねぇ」


「息子さんのを?」


 それはちょっと驚きだ。っていうか親にSNSを見られるなんて嫌じゃないかなぁ。

 女性は顎のあたりに手を当てて言った。


「こっそり見ているんです。ちょっと会えないので」


 と、寂しげに言う。なんだか事情があるのね。まあ私も親についてはあまり言いたくないからわかるけれど。


「でも、写真アップはしてなくて何をあげてるんですか?」


 不思議に思いつつ尋ねると、女性は言った。


「ひとりは……仕事の写真が多くて、ひとりは絵を、描いています」


 絵を、描いている。

 その言葉がとても引っかかった。

 まさかね。でも……

 そう思いつつ私は女性をじっと見る。

 以前、伏見綾斗が出ている映画の試写会の時に見かけた年配の女性。湊によく似ていて、まさか……と思った記憶がある。

 そうだ、この女性、その人に似ている気がするんだ。でも、冬で厚着だったし、ちょっと印象が違う気がするんだけど……うーん、帽子とマスクじゃわからないなぁ。


「仕事の写真て、息子さん、何をされているんですか?」


 ドキドキしつつ私は質問をぶつける。


「ちょっと、テレビに出る仕事をしています。でも迷惑をかけたくないのでたまに連絡をとるだけで。もうひとりは全然」


 テレビに出る仕事をしている息子と、絵を描く仕事をしている息子がいるって、こと?

 これ、本当にこれは……

 あぁ、心臓が痛くなっていた。

 でもなんて聞けばいい? ストレートに聞ける? でも私の事、知らないよね。あぁ、どうしよう。


「そう、なんですね。私、両親がいないのでそうやって気にかけてくれる親がいるって羨ましいです」


 考えた末、私は自分の話を振ることで息子さんたちの話題を避けることにした。

 無理だ。私には確認する勇気がないし、もし確認できたとして、その後どうしたらいいのか何にもわかんない。


「それってつまり……」


 私が苦手で、でも何度も味わってきた空気がその女性との間に流れる。


「両親とも亡くなっているんです。生きていたら私もそんなふうになったのかなーってちょっと思っちゃいました」


 と、思ってもいない嘘を言う。なんで嘘なんて言ったのか自分でもよくわからにけれど、話題を合わせようとしたのかも。

 あぁもう、心音がすごいんだけど。この場を逃げ出したいけど気になる自分もいて訳分からなくなりそう。


「そう、なんですね。若い頃は両親は当たり前にいるものだと思っていたけれど、そうですね、そういうこともありますもんね」


 と、女性の声がずん、と沈む。

 気まずい思いをさせたくはないんだけど、ねぇ……こうなりますよね。わかってはいたんだけど、やっぱりこの空気、苦手だ。自分で言い出したんだけど。


「子供の頃はそう思っていて、いなくなったときはショックでした。まあ、慣れましたけど」


 慣れた、のかな。でも家族がいないから私、ずっと家族が欲しかったんだよね。家に帰って誰かがいる生活に憧れていた。

 だから慣れたなんて嘘だな。私はそんな誰もいない生活に慣れなかったんだ。だからずっと誰かにいてほしくて、家族になってくれそうな人を捜し続けていた。

 その結果いろんなことがあったけれど。

 考えていたらちょっと悲しくなってきた。


「……両親がいても会えないのも、寂しい、ですよね」


 女性が俯き、そう呟くように言う。


「そうですね。いなくて会えないよりもずっと、辛いんじゃないでしょうか」


「……そう、ですよね」


 女性はマスクをしているからその表情は読み取れない。声だってマスクをしているからそこまではっきりわからない。


「でも会いたくないのに会うのも負担だし、適度に見守るのもひとつの手だとは思いますけど。今はSNSを通じて遠くても様子を知ることができますし」


 それがいいことなのかどうか、私にはわからないけれど。

 女性は何かを考え込むような様子だったけど、頷き、


「そうですね」


 と呟く。


「すみません、呼び止めてしまって」


 そして女性は丁寧に頭を下げたので、私も頭を下げる。


「あ、いいえ、こちらこそ。えーと、私そろそろ戻りますので、また」


「あぁ、そうですね、また」


 女性は少し首を傾けて私に手を振ってくる。なので私も手を振り返し、逃げるようにその場を後にした。


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