目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第114話 桜の季節

 人の噂は七十五日というらしい。

 けれど今の時代、もっと早く情報が消えていくように思う。

 綾斗、というか湊の父親の話は最初の内、色んな意味で話題になった。

 その多くは雑誌批判だったけれど。

 けれどすぐに、結婚だとか離婚だとか、政治関係の騒動が起きてすぐに風化していった。

 ただ、当事者たちに暗い影を落としただけだ。

 少しの間、湊は不安定だったように思う。口では大丈夫、って言っていたけれど。

 彼は夜、いつも仕事をするからさっさと部屋に引きこもるのに、私がお風呂を出るのを待ってくっついてくることが多かった。

 一緒に寝るには狭いからと、湊の部屋のベッドを買い替えまでした。

 てっきり私を部屋に入れるのは嫌なのかと思っていたけどそうではないようで。それから私は時々湊の部屋で寝るようになった。

 毎日じゃないけど。毎日じゃあ私の身体がもたないのよ。そして私は、彼の背中の傷を見る機会を得た。

 斜めにざっくりと入った大きな傷。子供の頃に負った傷と言っていたけれど、傷痕がそのまま残っていて私にはとてもショックだった。

 湊はずっと苦しんでいたんだな。中学から友達だったのに私は何にも知らなかった。本人が何も語らないから当たり前なんだけど。

 そして四月に入り、私の会社に新入社員がやってきた。


「狩野いなほです。よろしくお願いします!」


 大学を卒業したばかりの新人、加納さんが私の部署に増えた。

 明るい茶髪に眼鏡をかけた、愛らしい女の子だ。

 緊張した様子がとっても初々しい。


「森崎灯里です、よろしくお願いします」


 言いながら私は彼女に頭を下げた。


「よ、よろしくお願いします。あの、部長には森崎さんから仕事を教わるように言われたのですが……何をするんですか?」


 不安げな表情で言う様子を見ると、少し前の私を思い出す。

 何もかも知らないわけだから不安だよね。


「えーと、この部署は広報活動をしているわけだけど、広報には種類があるのは知ってますか?」


「あ、はい。社外へのアピールとか、社内への通達とか、ですよね」


「そうそう。この部署はね、主にネットを活用した広報活動をしていて」


 と、私はひと通り仕事の内容を伝えた。彼女には私と一緒に動画を中心とした広報をしてもらう予定だ。

 説明を聞いた彼女は、自分を指差し目を大きく見開いて言った。


「え、それって責任重大ではないですか?」


「そうですねぇ。あまり自我を出すと燃えちゃうことあるし、だからって自我なしだとなかなか認知増えないし。程よく自我をだしつつ、フォロワーさんたちと交流しつつ広報活動してる感じですね」


 やってて思ったけど、そのさじ加減が難しい。

 何も返信しないのも寂しいし、でも返信する相手を選ばないとトラブルになるし。特定の誰かだけになってしまわないようにも気を遣うのよね。

 どちらかに全振りすればいいようにも思うけど、燃えたくないし、会社を背負っているからそういうわけにもいかなくて、慎重にSNSの投稿をして、皆に楽しんでもらえるよう心掛けていた。

 狩野さんがスマホを取り出し、


「会社のSNSとか調べてもいいですか?」


 というので、私は頷き答えた。


「どうぞ」


「ありがとうございます。えーと……あ、公園や鳥とか猫ちゃんの写真とかも載せてるんですね」


「そうそう。近所散歩して素材探したりしてるんですよね」


「あと映画の宣伝、感想とかもある。あ、チケットプレゼントやグッズプレゼントもしてるんですね。こういうのってフォロワー増えますよね」


「そうそう。月に一度やるようにしてるのよね、プレゼントキャンペーン」


 やると爆発的に増えるけれど、減るのも早いので飽きられないよう色んな投稿を心掛けている。


「私も動画投稿はやっていますけど、仕事となると緊張しますね」


「え、そうなの?」


 動画投稿している人、初めて会ったかも。

 狩野さんは顔を上げ、微笑み頷く。


「はい、じつはその、Vチューバーやってまして」


 そして彼女は恥ずかしそうに頭に手をやった。

 Vチューバー? ヴァーチャルチューバーって、こと?

 いるのね、やってる人、本当に。

 驚いて彼女を見つめていると、狩野さんは慌てた様子で首を振り言った。


「いや、その大したものではないんですよ。就職もあって今は活動休止してますけど。そういうのとは背負う責任が違いますよね」


「まあ、そうですねぇ。個人の責任ではなくなってしまうし」


 会社の名前を使うから、発言には気を遣うし、投稿写真や動画にも気を付けてるもの。

 にしてもVチューバーって実在するんだなぁ。

 感心していると、彼女はガッツポーズをしてこちらを見て、 


「燃えないようにがんばります!」


 と、目を輝かせて言った。

 燃えないように……まあ、そうね。ちょっとずれているような気がするけど。

 私は思わず笑い、


「そうだね」


 と頷いた。

 そのあと、私は彼女と一緒に外に出た。


「どこに行くんですか?」


「桜の写真を撮りに、近くの公園に行こうと思って」


「あれ、近くに公園なんてあるんですか?」


「うん、この辺りはオフィスが多いけど、少し路地に入れば住宅街だから。意外と公園が点在しているし、子供も多いんですよ」


 話しながら私たちは路地に入り、公園へと向かう。

 そこは、私がよく行くちょっと大きめの公園だった。

 そこの桜はまだ満開にはなっていなかったけど、それでも近所に住んでいるであろう人たちが桜を見上げて写真を撮っていた。

 夫婦だろうか。年配のカップルが写真を撮りあって笑っている。

 微笑ましいなぁ。


「うわぁ、すごいですね、桜」


 狩野さんは桜の木を見上げ、スマホを向けて写真を撮っている。


「最近毎日桜の様子をSNSにアップしているんですよね。だから同じ時間に毎日来ていて」


「あぁ、そういえば桜の写真、ありましたね。こういう季節感じる写真好きですよー」


 地域によってはまだ桜が咲いていなかったり、もう満開を過ぎていたりするのよね。

 SNSに桜の写真をあげると、フォロワーさんたちから色んな地域の写真が集まってくる。

 ソメイヨシノだけじゃなく、山桜とか八重桜の写真も送ってきてくれる人がいて投稿が華やかだった。

 私はソメイヨシノを見上げ、業務用のスマホを向ける。

 何枚か写真を撮っていると、背後から声をかけられた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?