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第121話 大丈夫じゃなかった

 時刻は十時半。

 居酒屋をでて私たちはマンションへと向かって歩いていた。

 明日が休み、ということもあって楽しそうに笑い声をあげながら、駅に向かう大人たちの姿が目立つ。

 私は隣を歩く湊をちらり、と見る。今のところ湊は大丈夫そう、なのかな。

 私も三杯飲んだけど、湊はそれ以上飲んだ。たぶん、五杯くらい。


「日が暮れるとちょっと寒いね」


 なんて言って、小さく震える。

 確かにちょっと肌寒い。緩やかに吹く風のせいだろうな。

 しばらく歩いて私たちはマンションへとたどり着く。私が鍵を開け部屋に入った瞬間、彼はばさっと私の背中に抱き着いてきた。


「ちょ、ねえ大丈夫?」


「うーん……大丈夫だけど大丈夫じゃないかな」


 そう、辛そうな声で答える。つまり大丈夫なじゃいってことだよね。それはそうよね。だって、五杯も飲めばねえ。

 それにしても体重かけてるよね。重いんだけど?

 そう心の中で呟きつつ、私は無理やり振り返って言った。


「大丈夫? お風呂は止めとく?」


「うーん、そうだね。うん」


 と言い、彼は大きく息をつく。


「それより早く中入ろうよ。そしてベッドでさっさと寝よう」


 私が言うと彼は辛そうに呻って頷き、私から離れていく。そして靴を脱ぎ、ふらふらと廊下を歩いて行った。

 いやあれ大丈夫……なのかな? 無理そうだよね、あれ。

 私もそそくさと靴を脱いで追いかけた。

 リビングの手前の壁に、彼の部屋に入る扉があるんだけどそこがあいている。

 中を覗くと、暗い室内で湊がベッドに横たわっているのがなんとなくわかった。


「ねえ大丈夫? 水いる?」


 廊下からそう声をかけると、彼はくぐもった声で答えた。


「大丈夫だよ。ちょっとしばらく転がってるから」


 それならいいの、かな。

 私は、スライドの扉に手をかけて言った。


「じゃあ私、お風呂入ってくるから」


「うーん」


 彼がそう答えたのを見届けて、私は扉を閉めて自室へと向かった。



 お風呂に入り、キッチンで水をグラスにくんでリビングに向かうと、いつの間にか床に湊が転がっていた。

 その上に、ノアが乗っかっているのが見える。

 って、何これ。

 私はグラスを片手に行き倒れている湊の横に膝をつき、その背中に触れた。


「大丈夫?」


「うーん、たぶんきっと」


 そうぼんやりとした声で答えて、彼は顔を上げて私を見て笑う。


「お願いがあるんだけど。ノア、下ろしてくれる?」


「あ、うん」


 私はグラスをテーブルの上に置き、ノアを抱きあげる。

 すると、ノアは不満そうに声を上げた。


「にゃー」


「ほら、こっちに座ろう」


 私なノアを抱いて立ち上がり、ソファーに腰かけた。

 すると湊もゆっくりと起き上がり、ふらふらとソファーに近づいて、ゆっくりと座った。

 そしてテーブルの上にある水が入ったグラスを見つめて、


「飲んでいい?」


 と言った。


「うん、いいけど」


 これならもう一杯水、汲みに行かないとだろうな。

 そう思っていると、案の定、湊は水をぐい、と飲み干してしまう。

 全然大丈夫じゃないな、これ。

 どうしたものかと思っていると、彼は私の方を見たあとぼすん、と抱き着いてきた。


「ちょ……ど、どうしたの急に」


 戸惑いつつ尋ねると、彼はくぐもった声で答える。


「もう大丈夫かなって思ったけどいざ顔を見たらすごく動揺していて、それがすごく嫌で」


 それはそうでしょうね。

 この間聞いたときも、怖い、と言っていたし。


「俺の人生が母親の存在に振り回されるのすごく嫌で、だから会わないようにしていたし、メールも無視し続けていたけど綾斗は母親に似ているから顔を見ると思いだして苦手だった」


 そう、早口でまくし立てていく。

 そんな話、初めて聞いたな。そうか、綾斗を避けていたの、そんな理由もあったのね。

 あちらは湊を心配しているみたいだし、相手にしたい風なのに、そんな理由で冷たい態度をとり続けていたのって哀しい話だな。


「でも綾斗も大人になってそこまで似なくなってきたし、あいつをみても大丈夫かなって思えるようになったから本人見ても大丈夫かと思ったけど、やっぱり本人を見ると無理だったな」


 そして彼は私を抱きしめる腕に力を込める。

 酔ってるせいかな、言葉がぐちゃぐちゃなのは。それとも混乱しているのかな。


「ここままじゃあだめだって思うのになぁ」


 そして彼は大きく息をつく。

 このままじゃあだめ、なのかな。そうなのかな。


「今の状態が湊にとって苦しいのなら変わる必要があると思うけど、でも会わなければ大丈夫なんだよね? なら別に変わる必要ないんじゃないかな」


 そして私は湊の顔をじっと見る。彼は驚いたような顔をしてこちらを見つめていた。

 まあ驚くの、かな。でも変わる必要ないなら変わんなくていいと思うんだよね。


「てっきり変われとか言われると思った」


 驚きを含んだ声で言われて、私は苦笑する。


「何でよ。だって別に変わんなくてもいいじゃないの。このままじゃだめってことはないと思うし。そもそもそれだけ深い傷を負ったんだから。仕方ないよ」


 お母さんの方としては贖罪の気持ちもありつつ、会いたい気持ちもありそうだけど。一番大事なのは湊の気持ちだよね。

 私の言葉を聞いて湊は何かを考え込むように視線を下げる。

 しばらく沈黙が続いた後、彼は吹っ切れたような顔になり、私の方を見つめて小さく笑い言った。


「そう、だね」


「でしょ? だから大丈夫だよ」


 何が大丈夫なのかはよくわからないけど、きっと大丈夫。

 あ、私もけっこう酔ってるかもしれない。

 湊は私の頬に手を触れて、


「ありがとう、一緒にいてくれて」


 と言ったかと思うと、顔を近づけてきてそして、唇が触れた。


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