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第122話 家族

 四月三十日水曜日。

 出勤した私はいつものように近所の公園に……行くのはちょっと気まずかった。

 月曜日の夜の事を思い出すと、柚木さんに会うかもしれない公園に近づくのは気まずい。

 でも、近所の公園に写真を撮るのはほぼ日課になってるしな……

 そんな義務感から私は結局、近所の公園に足を向けた。

 だってこれ、仕事の一貫なんだもの。

 毎日やってることだし行かないといかないでやはり気持ち悪いと思ってしまうから。

 空は薄曇りで、ふわっと吹く風は少し冷たさを感じる。

 念のためカーディガンを羽織ってきたけど正解だったな。

 公園に向かう途中、可愛い猫を見かけたので写真を撮りつつ、静かな住宅街を歩いて行った。

 公園は今日も子供たちが遊んでいた。半袖の子供もいて元気だなぁ、と感心してしまう。

 お母さんと砂場で遊ぶ子供、すべり台を滑る子供などが目に付く。

 普段より子供の数が多い気がするのはきっと、今がゴールデンウィークだからだろう。

 いつもは見かけないお父さんらしき男性の姿もある。

 それによく見かける近所のおじいさん。今日もお散歩に来たらしく、ベンチに座って本を読んでいた。

 でも、柚木さんの姿は見つからなかった。

 ほぼ毎日来ているはずだけど……今日はさすがに来ないかなぁ。

 会ってどうしたいってわけじゃないけど、なんていうか、この間の事を思い出すと居心地が悪いんだよね。

 でも家の場所や連絡先は知らないしなぁ。

 どうしたものかと思いつつ、私はすっかり緑にそまった桜の木の写真を撮る。

 曇り空だけど、雨が降る気配はないし穏やかな春の一日、という感じだ。

 写真撮ったし、帰ろうと思い私は公園の出口に向かう。


「あ……」


「え?」


 一日のルーティーンを変えようとすると居心地が悪くなるのは私だけではなかったらしい。

 公園の出入り口はいくつかあるんだけど、ピンポイントで鉢合わせるなんて。

 驚きの様子で私の顔を見つめる、白い帽子にマスクの女性。

 立ち尽くす柚木さんに私もどうしたらいいかわからず思わず出た言葉は、


「こんにちは」


 だった。

 すると、彼女もつられたように、


「こ、こんにちは」


 と、軽く頭を下げる。

 挨拶をしたものの何を言えばいいのかわからない。

 どうしよう、これ。変な空気が流れる中、口を開いたのは柚木さんだった。


「あの……お時間、少しありますか?」


 遠慮がちに言う彼女の申し出を断る理由は思いつかず、私は頷き答えた。 

 というわけで公園に逆戻りして、あいたベンチに並んで腰かける。

 子供たちの声に鳥のさえずりが響いていて、ちょっと冷たい風が吹く。

 とりあえず座ったけれど何話すんだろう。

 ドキドキしていると、彼女が口を開いた。


「この間は失礼しました。その……驚いてしまって」


 でしょうね。覚悟が無かったら驚くよね。

 私は彼女の方を見て首を横に振って答える。


「いいえ、だ、大丈夫です。まあ、ちょっと驚きましたけど」


 色んな意味で。

 柚木さんは下を俯き言葉を続けた。


「貴方と一緒にいた男性……私の息子なんです」


 そうですよね、知ってた。

 でもそうは言えず、私は、


「そうなんですね」


 とだけ言う。


「会いたいけれど、会えないし。赦されないことをしてしまったから」


 そう、哀しげな声で言う。

 そのことについても知っているから、私はなんと声をかけたらいいかわからなかった。

 みんな不倫が悪いんだと思う。でもだからって子供を傷つけていいわけじゃないから。 

 何を言えばわからず迷っていると、彼女が私の方を見て言った。


「あの、彼とはどういう……?」


 こちらの様子を伺う様な目線は親の、探りをいれてくるものっぽい。まあ離れていても、子が成人していても親であることは変わらないもんね。


「彼とは中学からの友人で……今は恋人、ですかね」


 恋人、でいいんだよね。契約の事があるから何とも言えないけど。

 私の答えを聞いた柚木さんは、目を見開き、


「あらそうだったの。偶然って怖いですね」


 と、驚きの声で言う。確かに。この世界は広いようで案外狭い。


「そうですね」


「あの……私の事も、聞いていますか?」


 そう尋ねる柚木さんの声は少し震えているような気がした。


「えーと、はい。聞いています」


「そう、ですか」


 すると彼女は下を俯き黙ってしまう。

 私の事ではないし、そんな事が起きたのは不倫のせいだって思うけどやったことは許せないと思う。でも私が被害にあったわけじゃないしな……

 それに不倫されて離婚されて捨てられてって同情の余地はあるし……うーん、複雑だ。


「すみません」


 と、絞り出すような声で言うけれど、謝る相手は私じゃないよね。

 湊に、だよね。でも彼は母親と直接会える状況ではまだないしなぁ……


「彼はまだ、貴方に会うことはできないし、もしかしたら一生会える状況にはならないかもしれないです」


 嘘を言うつもりも、気休めも言うつもりもないので私は事実を話す。

 すると彼女は顔を上げて哀しみと驚きの色が浮かんだ目で私を見てくる。


「やったことは消えないし、起きたことは変わらないですから」


 私、冷たいかな。そうは思うけど、誤魔化すのはもっと嫌だし。


「そう、ですね」


「生きていれば気持ちはいつ変わりますし、生きていれば会える日はくるんじゃないかなって思いますよ。私の両親は死んじゃったからもうどうすることもできないですもん」


 たぶん私、動揺しているんだろう。最後それ、関係ないでしょ、ってことを思わず口にしてしまう。


「生きていれば……そう、ですね。私、長生きできるよう頑張りますね」


 そう言った彼女の目は吹っ切れたように見えた。


「いつか会って謝りたいんです。そう思って会いたいと伝てきたけど相手にされてこなくて。でもそんなの自己満足でしかないんですよね」


「そうですね」


 湊はそんなの望んでいないみたいだし。どちらかというと放っておいてほしいんだと思うから。


「今の人ってはっきいりと言いますね。ちょっと驚きました」


「誤魔化しても仕方ないし、嘘はいいたくないですもん」


 そもそも不倫という大嘘つかれて傷ついた人に嘘をつくのは抵抗があるから。

 柚木さんは笑って、


「そうですね。ありがとう、森崎さん」


 と言った。 

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