その日、家に帰ると湊が夕食の支度をしていた。
室内に漂う匂いから、お魚を焼いているようだった。
「ただいま」
「お帰り」
キッチンに近づく私の足もとに、ノアが近づいてくる。
「にゃー」
と、私を見上げてくるノアを抱き上げ、キッチンを覗いた。
すると、ノアが鼻をひくひくさせて懸命に頭を動かしている。ごはんが気になるのかな。
その様子を見た湊は笑って、食器棚からお皿を出した。
「あはは、今日は鮭のホイル焼きだから気になるんだろうね」
「あぁ、そうなんだ」
鮭かぁ。それじゃあ気になって仕方ないだろうな。だからといってあげるわけにもいかないけど。
私はノアのぎゅっと抱きしめてノアの頭を撫でた。
「それにイカと大根の煮物もあるからそのせいもあるかも」
「あはは、ノアの鼻に毒だね」
鮭にイカ。ノアにとって気が気じゃないってなってるんだろうな。
私は、湊の様子を伺う。ご飯の用意をする彼は普通な感じだった。
あの日の夜のこと、覚えているのかどうかよくわからないけど、特に触れてこないから私も言わない。
今日の、柚木さんとの会話も伝える気はなかった。
私が割って話すことではないし。
だからいつもと変わらない時間を過ごすだけだ。
湊がおかずをお皿に盛りつけていくのを見て、私はノアを床におろしてキッチンの方へと入った。
「私、ごはんよそうね」
「うん」
いつものように夕食の用意をして、ノアのごはんを用意して。向かい合って食事をとる。
変わらない時間ほど貴重で嬉しいものはないな。とりとめのない会話を交わしながら、私たちはご飯を食べた。
テレビは今、地上波が流れている。ニュースが終わり、天気予報の時間となる。
ゴールデンウィークは晴れが多いらしい。そうなると観光地はすごい混むだろうなぁ。
テレビの方を見たあと、湊はこちらを向いて箸を置き、お茶が入ったマグカップを手に持って言った。
「休みは家に引きこもるんだよね」
「外なんて出たくないもの。絶対にいや」
内心げんなりしつつ間髪入れずに私が言うと、苦笑交じりに湊は頷く。この間の映画だってちょっと嫌だったくらいだ。
駅は人が多いし、キャリーカートをひいた人たちを何人も見かけた。わざわざ人が多いところになんて出かけたくない。
「そうだよね。あぁでも、買い物には行かない? 駅前にちょっと出かけるだけでいいから」
「別にいいけど、どこか行きたいの?」
「うん、服買いに行こうかなって。でも遠出するのは嫌だし」
「べつにそれくらいならいいよ」
さすがに毎日引きこもりもな、と、思わなくもないし。
でも人が多いのは嫌だしな……うーん、そうだ。
「それなら夕方に出かけない? そのほうがまだ人少ないし」
この間の映画見に行った日の事考えると、ちょっとましかな、くらいだろうけど。
彼は、一瞬止まったけれどすぐに笑顔になって、
「あぁ、うん、それならあショッピングモールでもいいかな。そこで夕飯食べられるし」
さっきの一瞬の間は、きっとこの間の映画を見に行った日の事がよぎったんだろうな。そう悟って私は彼の申し出を受け入れた。
「それでもいいよ。ショッピングモールに行くのも久しぶりだよね」
何と言っても私が引きこもり体質だし、彼も基本あまり外に出ないから家にいてばかりなのよね。
この間の映画だって久しぶりのお出かけだったし。
それにショッピングモールかぁ……
せっかくだし何か買おうかな。何がいいだろう。シーリングスタンプってちょっと興味あるんだけど売ってるかなぁ……
「なんか楽しそうだけど何考えてるの?」
そんな笑いを含んだ声にハッとして、私はばっと湊を見る。
彼は微笑み私を見ていた。
「え? あぁ、何買おうかなって。ショッピングモールっていっぱいお店あるでしょ? シーリングスタンプって一度やってみたいんだけどどうしようかなって思っていて」
すると、湊は小さく首を傾げた。
「シーリングスタンプって何なの?」
「えーと、封蝋っていって、封筒をとじるのに使ったりするの。ワックスをとかして、そこにスタンプ押して型をとるの」
欠点は、今どき封筒をとじる機会なんてないので使い道が謎な点だ。
私の説明を聞いて、湊は顎に手を当てる。
「あぁ、昔の映画なんかで見るね。でも使い道が今だと難しいような」
「そうなのよねー、だからやってみたいな、で終わってるんだよね」
「キーホルダーとか、手帳のアクセントとかにつかえそうな気がするけどどうかな」
「あー……そうねぇ、難しく考えないで、シールとかと一緒に考えたら使い道、何かあるかも」
それなら買ってやってみてもいいかなぁ……趣味なんて自己満足だもんね。
ちょっとやってみるなら百均で買ってみてもいいかな?
色んな柄があるし楽しそうなんだよねぇ……集めるだけでニコニコできそうだし。
「好きなこと考えているときって楽しいよね」
にこにこ笑いながら言われ、私ははっとして、誤魔化すように笑いながら答える。
「あはは、そうだね。っていうかそんなに楽しそうに見えた?」
「うん。楽しそうだから俺も嬉しくなるなって思って」
「えぇ? そうなの?」
笑いながら私が言うと、彼は幸せそうな笑みを浮かべて頷いた。
「たぶん、大事な人が幸せなのが幸せに思えるんじゃないかなって」
大事な人、と言われてなんだか恥ずかしくなって、私はマグカップを掴んでお茶を飲んだ。