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第126話 あじさい祭り 後

「すごい」


 思わず感嘆の声を漏らす私の肩に、彼の手が触れる。


「あ、撮りましょうか?」


 たまたま通りがかった若い女の子の二人組のひとりがそう声をかけてくる。

 たぶん大学生くらいかな。気のよさそうな金髪の女の子だ。


「え、いいんですか?」


「いいですよー、せっかくですし。あ、その代わり次私たちの写真、撮ってください」


 そう言った女の子の提案に載って、湊は彼女にデジカメを託す。

 袖ふりあうのも多生の縁、っていうやつかな。

 あじさいを背に、私たちは並んで立って私の肩を彼が抱いてくる。


「撮りますよー」


 女の子がそう言って、何度かシャッターを押す。

 きっと私、ぎこちない笑い方、してるだろうなぁ。

 人前でこうしてくっつくの、ちょっと慣れない。


「はーい、オッケーでーす」


 そう女性が言い、私から離れた湊が彼女に近づき礼を告げた。


「ありがとうございました。じゃあ、次は俺が撮りますね」


「ありがとうございまーす」


 そしてふたりの女の子は、あじさいの前に立ち、てでハートを作って満面の笑顔を浮かべている。

 すごい楽しそうで、見ているだけで幸せになってくる。

 湊が彼女たちのスマホで写真を撮ってあげて、ふたりと別れ先を歩く。


「さっきの女の子」


 歩きながら湊が言う。


「俺のイラストのケースだった」


「え、そうなの?」


 そんなことあるんだ。

 湊は恥ずかしそうに笑って、


「たぶん気が付いていなかったんだと思うけど、ちょっと嬉しかった」


「湊ってけっこうファンいるでしょ?」


 そう言うと、彼は肩をすくめる。


「そうなのかな、あんまり感じないんだよね」


「フォロワー数万人いるじゃないの」


「そうだけどね。好きっていうのを言語化する人って少ないから実感ってわかないんだよね」


 言われてみればそうかも。


「グッズ出してたのも初めて知ったけどどこかで売ってるの?」


「あぁ、イラストを登録すればグッズ簡単に作れるサイトってあるんだよ」


 すごいな、今って。

 そんなサービスあるんだ。後で調べてみよう。


「ちょっと割高だけどね。ああやってグッズ買ってくれる人がいて、それを目にする機会ってないからちょっと新鮮だな」


 そして、彼は恥ずかしそうに微笑んだ。

 あじさいを見て、お茶屋でお抹茶とケーキをいただいて。

 私たちはその場を後にした。




 その日の夜。

 私たちは夕食を終えて映画を見ながら一緒にお酒を飲む。

 あと半月。

 本当に終わるのかなー。そのあとどうなるのかわからないことが、私の中に不安を抱かせる。

 そのせいか今日、私の方がお酒のペースが早かった。

 ノアが相変わらず私と湊の間で丸くなって寝ている。

 三本目の缶を開けたとき、湊の手が私の手にそっと触れる。


「大丈夫? そんなに飲んで」


「大丈夫だよー。だってアルコール弱いやつだし」


 私が飲んでいるお酒はアルコール度数三パーセントのものだ。こんなのジュースだろう。

 たいして酔っている感じもない。

 そう私が答えると、彼は心配げな顔になる。


「そうだけど……それくらいにした方がいいんじゃないかな」


「そう? じゃあこれで終わりにするね」


 そして私はおつまみで用意してあるキューブチーズを手にした。

 チーズおいしいなぁ。


「あっというまに時間って過ぎていくね」


 通り過ぎるまでは遅く感じたけれど、通り過ぎてしまえばあっという間だったように思う。

 平和に過ごしたいなぁ、と思っていたけどそうでもなく、結局なにかしら起きるんだなぁ。

 湊とお母さんのことは私が口を出せる問題ではないし。いつか時間が解決するかもしれないし、しないかもしれない。私はそれを見守るしかできないだろう。

 動揺する姿を見たら、和解しろなんて言えないし。無理して会う必要性も感じない。ふたりにはきっと、適切な距離感があるだろう。 

 私と湊はどうなるのかなぁ。

 この先の事。

 引越しはもう、私の頭の中にない。

 このまま彼と未来を過ごすのかな。どうなるのかな。

 そう思うと不安と期待が私の中でないまぜになって訳が分かんなくなってくる。

 ……一緒にいられるかな。もっと。今日、湊は言っていたよね。もうしばらくふたりでいたいって。それ、信じていいよね。 


「ねー、湊」


「何」


「もっといっぱい一緒にいようねー」


 言いながら、私はお酒が入った缶を持ったまま彼に寄り添う。


「……うん、そうだね」


 少し間があってから彼は頷きこちらを見る。

 自然と視線が絡まりそして、鼓動の音が大きく響く。

 唇が軽く触れ、彼は微笑み言った。


「一緒にいてくれてありがとう。ひとりだったら俺、色んな事乗り越えられなかったと思うから」


「あはは。私もお礼いっぱいあるよー。たくさん助けてくれてありがとう」


 そして私は彼の首に腕を絡めてその目をじっと見つめる。

 あぁ、私、酔った顔してる気がする。

 そして顔が近づいて、唇を重ねた。

 触れるだけじゃない、深いキスを。



 彼の部屋のベッドの上。

 湊に撫でられるとどんどん私の体温が上がっていくような錯覚を覚える。

 ううん、錯覚じゃないのかも。

 内側から熱が生まれて、私が吐く息が熱いのが嫌でもわかる。

 身体を重ねるたびに、知らない私がどんどん出てくるような気がしてそれが怖くもあり嬉しくもあった。

 舌が絡まる深いキスを何度も交わして、身体を撫でられて深く繋がって。


「好き……」


 っていう言葉を互いに繰り返す。

 この時間、まだ続く?

 身体だけじゃなくってちゃんと心も繋がってるかな。

 そんな不安を打ち消すように私は彼にしがみ付き、


「離さないでね」


 と、驚くほどに甘い声で言った。

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