●第十四夜 餓鬼(その一)
日光で玄武の力を借り受け、秋葉原へと戻って来た『千紙屋』一行。
秋葉原駅のデジタルサイネージに表示されたワンピースに、
「(可愛いな……この服)」
ワンピースを着て、夏から秋に変わる街を歩く自分の姿を想像する結衣。
軽くステップを踏み、スカートを靡かせながら人混みを避ける私はこの街の主役……そんな妄想に軽く浸っていると、遠慮のない声が現実に引き戻す。
「結衣、ボーっとしてるとぶつかるぞ? ほら、行くぞ」
それは同じ千紙屋のメンバーで、彼女の相棒である
気が付けば広告は次の物に変わっており、指を指そうとしても、もうワンピースの姿はない。
しゅんとした結衣の姿に、新田は首を傾げながら鬼女の
秋葉原は電気街。その裏通りにある雑居ビルの一つ。
エレベーターで五階にあがった四人は、通路の突き当りにある一室へと入る。
あやかし融資・保証『千紙屋』……東京を護る四神結界の乱れにより、この街に蔓延るようになったあやかしたち。
だが身分も後ろ盾もない彼らに、能力や権能を担保にして金や身分を用意するのが『千紙屋』である。
そんなあやかしたちのための店、千紙屋の主……神田・秋葉原を守護する氏神であり、電脳神でもある
「お疲れ様でした……新田くんが居ると言うことは、すべて上手く行ったようですね」
「すみません、社長……まさか操られるとは思っても居なかったので」
将門の言葉にすまなそうに謝る新田。そう、彼は東京結界を破壊しようとする敵に操られ、結衣たちと敵対したのだ。
だが結衣が正面から新田とぶつかったことで、彼の洗脳は解除された。
「結衣、本当にありがとうな」
改めて伝えられた新田からの感謝の言葉に、不意打ちされた結衣は顔を赤く染める。
アルビノである彼女は普通の人より照れ顔が目立つ……正面から見られないように顔を横に背ける彼女であったが、朱に染まった耳までは隠せない。
「べ、別に……感謝されるようなことじゃ、ないし……」
ショートカットの髪の毛先を弄びながらそう呟く彼女に、新田は頭を軽く叩く。
その度に「もう、子ども扱いして!」と怒るのが彼には楽しいのだ。
そんな二人に将門は咳払いをすると、本題を切り出す。
「して……東京結界を崩そうとしていた者は誰か分かったのかな?」
その言葉に、新田は姿勢を正すとこう告げる。
「ええ、東京結界を崩そうとしているのは……東京結界、四神結界を作った天海僧正です」
天海僧正……徳川家初代将軍徳川家康から三代家光まで将軍家に仕え、東京……江戸の街を作り、また家康を『東照大権現』として日光東照宮に祀り上げ、四神結界を築いた張本人。
「それが今も生きている……と言うことですか」
「はい。死んで甦ったのか、死なずに生きているのかは分かりませんが、俺は京都で天海僧正に会いました」
東京スカイツリーでの雷獣との戦いの後、こなきじじいのあやかし……小名木に勧誘され、強くなるために彼に従った。
その後、東京駅から新幹線に乗り京都へと向かった俺は、京都にある山の中で天海僧正と会った……そう新田は告げる。
「天海僧正……ですか。厄介な相手ですね」
「そんなに厄介な相手なの?」
新田の言葉に頷いた将門に、結衣が尋ねる。将門はコクリと頷くと、安倍晴明、蘆屋道満に並ぶ歴代最強の陰陽師の一人だと告げる。
「天海僧正……その正体は明智光秀と言われております」
将門の言葉に結衣は驚く。本能寺の変を起こし、織田信長を殺害した明智光秀。
それが生き延び、名を変え、徳川家康に仕えていたと言うのだ。
それどころか重鎮として、江戸の街の構築を始めとする数々の偉業を成し遂げた……俄かには信じられない話だ。
「天海の目的はなんだろう……明智光秀なら、天下取り?」
「さあ、目的までは分からない。ただ四神結界を破壊し、あやかしで溢れた東京の街に君臨する。充分考えられるだろう」
千紙屋の面々は天海僧正……明智光秀の目的を考察するのだが、結論は出ない。
直接問いただしたくても、京都の地理には詳しくない新田は、何処の山に連れていかれたのか、どの道を通ったのかなど分からない。
そして彼は知らないことだが道中の記憶は弄られていて、仮に道など覚えていたとしても辿り着けないようになっていた。
一方、術を掛けた小名木もまた、彼が得た千紙屋の情報を天海僧正へと報告していた。
「……つまり、千紙屋……朱雀の巫女に四神結界の見立てを許した、と言う訳じゃな」
響き渡る天海僧正の声に、小名木は震え竦み首を垂れる。
このまま首と胴が分かれても不思議ではない……そんな恐怖を感じながら、小名木は頭を下げたまま上目遣いで天海僧正の様子を窺う。
「よい。見立ての儀式など所詮はその場凌ぎ……大元を断ってしまえば問題ない」
「大元、と言いますと?」
天海の言葉に、小名木が恐る恐る伺う。すると彼は横に置かれていた日本地図を指差し、そこに霊力で幾つかの線を書き加える。
「この線は……」
「これか? これは日ノ本の各地より江戸に流れる龍脈……霊力の流れじゃ。そしてそれをこう」
そう言うとスパッと幾つかの線を切る。すると東京に流れ込んでいたエネルギーが枯渇し干上がっていくのが目で見て分かる。
「古来より敵が城に籠るのであれば、兵糧攻めが効く……兵法の基本じゃ。さて、江戸の街をどこまで護れるかな、千神屋?」
天海僧正は楽しそうに笑みを浮かべる。恐ろしいお方だ……そう小名木は首を落とされなかったことを内心ホッとしつつ、そう思うのであった。
数日後……東京への霊力が断たれたことに気付かぬ結衣と新田は、リビングでニュースを見ながら朝食を取っていた。
『先日お送りした北海道での謎の魚の死ですが、全国的に起こっているようです。中継の森さん?』
『はい、こちら秋田放送の森です。海岸一面に打ち上げられた死んだ魚たち……既に悪臭が立ち込めており、県では』
放送がそこまで流れたところで新田はチャンネルを変える。
「見てたか?」
「ううん。見ていて気分良いニュースじゃなかったもん」
そう言って食パンの最後の欠片を口に頬張ると、結衣はミルクティーで流し込む。
「新田、もう一枚パン焼いてくれる? なんだかお腹が空いちゃって……」
「珍しいな、普段はダイエットだなんだと五月蝿いのに……俺の分も焼くか」
自分の分もついでと二枚の食パンを取り出すと、トースターにセットする新田。
やがてチンと言う音と共にトースターからは焼けたパンの良い匂いが漂って来る。
この結衣の過剰な食欲が、危機を知らせる第一報になったとは誰も思わなかった。