●第十六夜 塗壁(その四)
鹿島神宮から東京に流れる霊脈……それを江戸川で堰き止めていた
四神結界を破壊しようとする天海僧正に恩がある塗壁は、『千紙屋』の陰陽師見習い、
「結衣、水の剣なら塗壁を斬れるはずだ」
同じ陰陽師見習いの
塗壁は小名木の所為で火属性になっている。だが結界内の五行はバランスが崩れ、火属性が存在しない状態になっており、火属性となった塗壁は力を失っていた。
「
「そうだ、それでいい……さあ来い!」
剣を構えた結衣のその姿を見た塗壁は、ドスンと腰を落として最後の瞬間を待つ。
「……新田、いいよね?」
「ああ。任せた」
最後の確認をした結衣は、頷いた新田に首を縦に振り、両手で水の剣を構える。
そして、大きく振り上げると勢いよく振り下ろした。
「な……なにっ?」
……剣を振り下ろされ、来るはずの衝撃が来ず驚きの声を上げる塗壁。
代わりに塗壁の背に張り付けられた、小名木が突き立てた呪具が破壊される。
「なんだと……お主ら、これを破壊すると言うことは、儂が暴れ出してもおかしくないと知ってのことか?」
塗壁は呪具により火属性を与えられていた……それを破壊したことで、五行の乱れから解放され復活することになる。
だが、結衣はそれをヨシとして剣を収める。
「塗壁、あなたが義に篤いあやかしだと分かった。だから命を助けた私たちには手を出さない……違う?」
結衣の言葉に無言になる塗壁……さらに結衣は続ける。
「命を助けた代わり、と言っては何だけど、天海僧正にメッセージを伝えてほしいの」
「……メッセージ?」
そう、メッセージと結衣は告げる。
「天海僧正に伝えて? 東京の四神結界は私たちが護る。あなたがどんな手を使おうとも負けないからって」
そう真剣な瞳で告げる結衣の言葉に、同意だったのか新田も頷く。
「塗壁……俺からも頼む。天海僧正に、東京は渡さないと」
結衣と新田、二人の真剣な瞳に、塗壁は重い腰を上げた。
「わかった。伝言、確かに承った……天海僧正へ必ず伝えると約束しよう」
そう歩き始める塗壁の姿を見た新田は、外界と隔離していた結界術を解く。
すると干上がっていた川の流れは戻り、燃え尽き灰になっていた草花は緑を取り戻す。
「塗壁、頼んだよー!」
結衣が手を振る中、スススっとその身を霊体にし消えていく。
「新田、これで良かったんだよね」
「あぁ。良かったと思うぞ……パートナーだからな。結衣、お前の決めたことは俺の決めたことだ」
消えていく塗壁を見送った結衣と新田は、霊視の力を結ぶため手を繋ぎ、同じタイミングで頭上を見上げる。
そこには遮る物の無くなった霊脈の流れが、東京へと向かい流れ込んでいくのが視えた。
その様子を小名木の放った『目』は全て視ていた。
東京はお台場……高層マンションの最上階にこなきじじいのあやかし、小名木は居た。
「ふむ、そう言う手を使ったか……五行を深めたな、新田」
「そんなに面白い物が視えたの?」
ベランダから戻って来ない小名木に声を掛ける女性……妖艶な雰囲気を漂わせる彼女は、小名木と同じく天海僧正の配下である九尾の狐のあやかし、妲己。
彼女は空を見上げると、霊脈の流れが戻ったことを確認する。
「あら、塗壁は負けたのね……東京の結界に力が戻っているわ」
「何、まだすべての霊脈が元通りに戻った訳ではない。この程度なら東京が干上がるのは時間の問題よ」
妲己の言葉に、小名木はそう返す。
実際、東京に流れ込む日本全国の霊脈……その多数が寸断され、ないし封印され、東京に流れ込む霊的なエネルギーは枯渇寸前。
四神結界は結衣の魂の中で行われている見立ての儀式、そこに新田の霊力を流し込むことで保っているのだ。
新田が一時期天海僧正の配下になっていたことで、見立ての儀式の情報は小名木たちも得ている。
何らかの方法でそれに霊力を供給し四神結界を維持していることは想像出来た。
「兵糧攻めの次はどうするの?」
「そうやな……騒ぎを起こしてみるか。少しでも霊力を消耗させよう」
霊脈と言う食料を奪われた東京の街は、言わば兵糧攻めの状態。そこに騒ぎを起こして、残り少ない食料を消費させようと言うのだ。
「なら、私の出番ね……適当なあやかしを摘まんで、凶化してあげるわ」
そう言い、執事のあやかしからコートを受け取ると部屋を後にする妲己。
その姿を見送りながら、小名木は呟く。
「さて……私は無能な塗壁の処分をしてきましょうか」
一反木綿を呼ぶと、小名木は空へと舞うのであった。
一方、小岩の駅まで戻って来た新田と結衣の二人は、浅草橋の駅まで黄色い電車の総武線に揺られる。
「社長から今日は直帰で構わないってさ」
新田はそう言いながら、結衣にスマートフォンのメッセージアプリ、NYAINEの画面を見せる。
そこには千紙屋の社長、
「助かったー! 秋葉原の駅からアパートまで一駅だけど、歩くとそれなりに疲れるもんねー」
あやかし専門の金融・保証会社である『千紙屋』がある秋葉原と、新田と結衣が同居する浅草橋のアパートは、電車なら二分、歩いても二十分と非常に近い。
だが、それでも塗壁との戦いで消耗した今の二人にとって、その距離は遥か遠くに感じられた。
「帰り、何か買って帰るか? 今日は夕食も作る気にならん」
「それなら駅前の焼きカレーのお店行こうよ? せっかくだし外食するのもいいでしょ」
何が折角なのか分からないが、結衣が楽しそうなので新田もその提案に了承する。
二人を乗せた電車は、定刻より遅れることなく浅草橋の駅へと滑り込む。
時刻は夕方を軽く回っており、腹ペコの二人は少し和風な作りの焼きカレーのお店へと入る。
幸いにも直ぐに席に通され、熱々の焼かれたカレーにスプーンを差し込むことが出来た。
「あつっ、ふー、ふー……ふぉひひぃー」
「ちゃんと冷まさないと……火傷しても知らんぞ?」
熱々のカレーに舌鼓を打つ結衣にそう言いながら、新田はグラスに注がれたキンキンに冷えたビールを呷る。
今日は灼熱の中戦ったのだ……大量の汗も掻いた身体にビールが染み渡る。
「……ビールって、そんなに美味しいの?」
幸せそうにビールを飲む新田の姿に、ふと結衣がそんなことを訪ねて来る。
「大人になったらわかるよ。それまで子どもはジュースだ」
「もう、いっつもそればっかり!」
ぶーと膨れながら、オレンジジュースを飲む結衣を微笑ましく眺めた新田は、大人にならないと、この味の意味は分からないさと言いながらグラスを重ねる。
チン、と乾いた音が響き、少し機嫌を直した結衣はオレンジジュースを一口飲むと、再びカレーに取り掛かる。
大きなハンバーグを割り、下の玉子と合わせながら口いっぱいに頬張った。
「ご馳走様でした!」
会計を終え、夜の浅草橋駅前へと出る新田と結衣の二人。
後はアパートへ帰るだけ……だが、そんな二人の前に、狐面の女性が現れる。
「新田周平と芦屋結衣ね……」
「俺たちの名を知っている……誰だ!?」
結衣を庇うように立ちながら、新田が女に問いかける。
女はフフっと笑みを浮かべると、想像通りやと告げる。
「私は天海僧正の配下、妲己……今日は挨拶と言うところね。かわい子ちゃんとナイト君」
天海僧正の配下……そう告げられたところで、呪符を取り出そうとする新田。
だが駅前は人通りが多い。こんなところで戦う訳にはいかないと結衣が引き留める。
「そう、正解よ……私は被害が出ても構わないけど、アナタたちは困るでしょ? ……これから、騒動を起こすわ。東京を護るなら止めて見せなさい」
新田と結衣にそう告げた妲己は、跳躍すると一気に建物の屋上へと飛び、そのまま夜の街へと消える。
妲己からの挑戦状……東京を護るためと言われれば千紙屋として受けざるを得ない。
取り急ぎ、事の顛末を報告するために、新田と結衣の二人は秋葉原にある千紙屋へと向かうのであった。