●第十九夜 輪入道(その四)
東京湾アクアライン。アクアトンネルの出口まであと少しと言うところで、炎の車輪のあやかしである輪入道は、高速道路上に倒され、輪入道に金を貸していた『千紙屋』に所属する
「新田……輪入道を捕まえたけど、どうするの?」
新田の相棒である女子高生……
「元の……と言っては変だが、あやかしではなく人間体に変化して貰わないとな」
ツンツンと輪入道の身体を白虎が爪で突く。すると、んっ……と言う声をあげ、倒れた衝撃で気絶していた輪入道が目覚める。
「……そうか、俺は走りでも負けて、あやかしとしても負けたのか」
ボソリ、と輪入道が呟く。
「そうだ。お前は負けた……大人しくするんだ」
そう告げる新田に向かい、コクリと頷く輪入道。
結衣はまだ暴れ足りないから暴れてもいいよ、と告げるが流石に新田がそれは制する。
「結衣、煽るな……輪車、人間体に戻れるか?」
「あぁ……」
輪入道……
「輪車……お前、千紙屋から逃げられると思ったのか?」
「すみません……払いたくても払えなくなって、つい逃げてしまいました……」
正座し、申し訳なさそうに謝る輪車に対し、流されないよう冷静に新田は対処する。
「……もしもし、新田です。レッカーを予定通りお願いします。場所はアクアトンネルの……」
スマートフォンを取り出し、何処かへ連絡する新田。それに対し輪車は、彼の足に縋りつくようにして懇願する。
「すみません、なんでもしますから、この車だけは……俺の、輪入道としての分身なんです! 持ってかないで下さい!」
「……逃げた方が悪いでしょ? 逃げなければ情状酌量の余地があったかも知れないのに」
涙ながらにみっともなく縋る輪車の姿を見た結衣が冷めた目でそう告げると、うぐっと輪車の心を抉る。
暫くすると一台のレッカー車がやって来て、素早く輪車のスポーツカーを荷台に積み込む。
「何時もありがとうございます、ファイアーホイールカーサービスです! ご依頼はこの車を千紙屋さんのところまで運ぶ……で良いですね?」
「ああ、あとは何時も通り将門社長が小さくして保管してくれる」
猫っぽい表情のサービス員と新田が手筈を整えているなか、輪車は今生の別れとばかりに車に縋りつく。
「あ、途中で落ちてたミラーも拾っておきましたので、ちゃちゃっと直しておきますね!」
新田たちのスポーツカーも輪車とのバトルでボロボロ……このまま走行すれば幾ら話しを通しているとは言え、警察のご厄介になることは間違いない。
今にも落ちそうなテールバンパーをダクトテープで固定すると、次にサービス員は落下したサイドミラーを手早く固定する。
そして一通りの簡易修理を終えたサービス員は、帽子を取ると新田と結衣に頭を下げる。
「それじゃ、修理はしたのでお二方はドライブを楽しんでください!」
「輪車も連れて行ってくれるのか?」
サービス員の言葉に、新田は驚きの顔を見せる。輪車は新田たちが千紙屋まで運ぶ予定だったからだ。
「なに、暴れようとすれば魂を抜くだけですよ……ねぇ、輪車の旦那?」
ニヤっと歯茎を見せた笑みを浮かべたサービス員……まるで暴れてくれた方が望ましいと言うばかりのその表情に、その正体を知っている新田は程々に、と釘を刺しておく。
「それじゃ、ウチらは行きますので……またご贔屓にー!」
輪車とそのスポーツカーを乗せたレッカー車は、ハザードランプを止めるとウィンカーを出し走り出す。
「ねえ、新田……あのカーサービスもあやかしなの?」
結衣の問いかけに、新田は会社名を聞いて分からなかったか? と返す。
「ファイアーホイール……あぁ、どうりで猫っぽい訳だ」
納得した結衣は、車に戻ろうとするが、そう言えば……と新田にもう一つ尋ねた。
「新田、今日の私のパンツは?」
「白とピンクのチェック……って、何を言わせる!」
ふーんとジト目で新田を見つめる結衣。見てないって言うのに見たんだーと新田を問い詰める。
「で、どうだった?」
「どうって、何がだ……」
一歩結衣が詰めるごとに、一歩後退する新田。結衣は『どう』としか聞いて来ない。
何と返答するのが正解なのか。可愛かったとでも言えば良いのか、それとも……オロオロとする新田に、結衣はクスっと笑う。
「いいよ、どうせ事故みたいな物だったし……別に、見られて新田なら……」
最後の方は小声だったため、騒音が反響するトンネルのなかでは聞き取れなかったが、どうやら結衣は許してくれるようだ。
新田はホッとため息を漏らすと、出発するぞと結衣の分もスポーツカーのドアを開く。
「海ほたるで折り返すんだよね?」
「そうだな……木更津まで行ったら朝になるな。結衣は明日も学校だし、ツラいだろ?」
新田は路肩から修理したスポーツカーを走りださせると、海ほたるパーキングエリアでの折り返しに備え左車線をゆっくり流す。
先程までの三〇〇キロを超えるスピードの直後だと、制限速度いっぱいの速度は非常にゆっくりと感じる。
「海ほたる……行ったことないから、休憩ついでに散策したいな?」
そう告げる結衣に、新田はこの時間だとコンビニとそば屋くらしか開いてないぞ? と言いながらも、海ほたるパーキングエリアの駐車スペースへと車を進ませる。
新田の腕を掴むように展望デッキに出た結衣は、三百六十度広がる夜の海にブルっと身体を震わせる。
寒い訳ではない。何というか、夜の海に溶けてしまいそうな恐ろしさ……目を翻せば、東京の夜景が見えるのが救いだった。
「そろそろ夜が明けるな……ほら、結衣。空が白んで来た」
指を指しながら新田がそう告げると、そこでは水平線が昇る太陽の光で段々と白く染まっていた。
非日常的な夜が終わり、何時ものように朝が来る。
それがただ本当に嬉しい……陰陽師となり、心底そう思うようになった新田と結衣。
「ホントだー、朝の海……うん、いいね」
夜の闇は怖いが、朝日が昇れば怖くない。結衣がそう感じながら昇る朝日を眺めていると、新田が大きく欠伸をする。
「休憩所で少し仮眠してく?」
「そうだな……朝、結衣が学校に間に合うようにだと……七時くらいか」
なんなら休んでもいいよーと言う結衣に、新田がそれはダメだと強く言う。
「学校と陰陽師、両立しないと……社会に出たら困るぞ?」
そう告げる新田を、結衣はじーっと見つめる。
「なんだ?」
「べっつにー、おぢさんみたいーとか思ってないよー?」
コラっ、と新田が拳を振り上げる仕草をすると、きゃーっと結衣は建物の中へと逃げる。
そして二人は、海が見える休憩所で朝日を浴びながら、少しの眠りに付くのであった。
……一方、そんな東京湾の海の底では、怪しく輝く球体があった。
ドクン、ドクンと鼓動を打つように脈動するその球体は、光りによって集まった周囲の魚たちを吸収し、少しずつ大きくなっていく。
その球体は十メートルほどの大きさまで育つと、中からヒビが走り、やがて殻は砕け、手足がある魚の群れが産まれた。
中国に伝わる半魚人……その群れは、東京湾を回遊したかと思うと、彼らを呼ぶ声によってお台場へと集まる。
半魚人たちを呼んだのは、東京を護る四神結界を張り、そして今はそれを壊そうとする天海僧正の配下である、傾国の美女とも呼ばれる九尾の狐のあやかし、妲己であった。
「あやかしの……舟幽霊の核から産まれた子らよ、お主らの親を殺した者が憎いか?」
妲己は半魚人たちに問う。彼らは以前千紙屋によって退治された舟幽霊……そのあやかしの核を回収した妲己により妖力を注がれ産まれた者たち。
生みの親である舟幽霊の怨念を胸に抱き、そして育ての親である妲己の執念を得た彼らの答えは、千紙屋が憎いであった。
「よい答えだ……ならば、まず数を増やせ。そして……復讐の場は用意してやろう」
犬歯を剥き出しにした妲己の笑みに、歓声を上げる半魚人たち。
そして彼らは海に戻ると、その日の為に着々と数を増やすのであった。