●第二十夜 半魚人(その一)
東京都、築地市場……全国から魚が集まるその市場では、その日江戸前の魚がまったく捕れないと言うことでニュースになった。
朝のニュースでその報道を見た秋葉原にあるあやかし融資・保証の『
「そんな、何でも事件に結び付けないでよ? そんなこと言ったら、前にニュースでやってた北海道の魚の大量死も事件になるじゃない」
トーストにバターとジャムを塗りながらそう返す結衣に、それもそうかと納得する新田。
魚の大量死は以前の報道から音沙汰がない……今回もたまたま不漁が続いただけだろう。
結衣に倣い、新田もきっとそう言うことだと思うことにすると、焼けたトーストにベーコンエッグを乗せた。
「うん。この黄身が半熟になっているところが最高だ……結衣、腕を上げたな」
「そんな褒めても、紅茶のお代わりぐらいしか出ませんよーだ」
今朝の朝食は結衣が作ったもの。以前は結衣がギリギリまで寝ていたため新田が用意するのが殆どであったが、最近は彼女も早起きするようになり、朝ごはんは交代制で作ることが多くなっていた。
新田はそれが良いことだと思い、好意的に受け止めていた。
……彼女の本心が、何処にあるかは知らずに。
同じ頃、二人の師であり雇い主である
パソコン、と言ってもそれは普通の物ではない。いや、普通の物なのだが、扱っている人物が違う。平将門は秋葉原の神……電脳神でもあるのだ。
彼にかかれば、普通のパソコンでもスーパーコンピューター以上の性能を発揮する。
そしてどんなデータベースにでも侵入することが出来る……次々と変わる画面を反射する眼鏡の奥、将門の瞳は些細な情報も逃さない。
プリンターが調べた情報をどんどんと吐き出していき、用紙切れを起こした頃、将門は現時点で必要な情報を全て得たのかふぅとため息を漏らす。
「北海道の事件には手を出せませんが……東京なら別です。この地を守護する神として、どんな挑戦も受けましょう」
神とて万能ではない。氏神と言うように、その神が守護出来るエリアは限られている。
平将門は神田・秋葉原の氏神である……よって東京に起きる事件にしか関与出来ない。
ただ電脳神と言うことで、その影響力は世界中に広がっている。
北海道の事件については、協力関係にあるドラキュラ伯爵に調査を頼んである。
続報待ちだが、きっと彼なら正確な情報を送ってくれると将門は信じて任せていた。
そんな時に起きた東京湾での不漁……神としての直観、神託がこれはあやかしによる事件だと将門に告げた。
それに基づき調査した結果は、将門の予想通りであった。
「東京湾に、あやかし……それも多数の影がありますね。これは、厳しい戦いになるやも知れません」
問題は、それが何処に襲い掛かるか……敵が意思のある生き物である限り、予想通りには行かないもの。
襲撃を受ける可能性が高いのは沿岸部に間違いないが、東京湾も広い。海から繋がる河川も含めれば、接する面積は膨大だ。
「さて……新田君たちが来るまで、もう一仕事しますか」
プリンターに用紙を補充すると、再び将門はパソコンに向かう。
どんな痕跡も逃さないとばかりに、モニターの光を受け眼鏡が輝くのであった。
将門が電子の眼で見つめているとは知らない東京湾の海の底……そこでは魚の身体に人間の手足と言う、中国から伝わる半魚人の姿があった。
彼らは群れを成し、海中を回遊する。そして同じく元は中国のあやかしであり、お台場に居を構える妲己の元へと向かう。
「だっきさま……われら、ふえた……ふくしゅう、はたせるか?」
一匹の半魚人が妲己の前に出て復讐を申し出る。
彼らは以前、千紙屋の新田と結衣に退治された際に残された舟幽霊の核に、妲己の妖力を注ぎ込んで産まれた存在。
舟幽霊だった際の記憶を持ち、千紙屋……特に直接倒した芦屋結衣への増悪に燃えている。
「であれば……ほれ、あの島が見えるか?」
妲己が指さしたのは、東京湾に浮かぶ人工島、海ほたる。
千葉の木更津と神奈川の川崎を繋ぎ東京湾を横断する橋とトンネルの結束点にあるその場所は、深夜であっても煌々と明かりが灯り、海の道を行く船たちに居場所を教えている。
「あの島は東京の物流、その要所であり、人間も多くいる。それでいて隔離されており占拠も容易い……あの島を襲い、千紙屋を誘き出せ」
「わかった……おとこはころしおんなはうませる」
そう言い海に戻る半魚人に、好きにしろと妲己は告げる……むしろ東京に混乱と混沌が生まれるのであれば、彼女としても歓迎であった。
「さて、どうなるか楽しみやね、千紙屋……」
そうして、妲己が見送るなか、半魚人たちは東京湾を渡り海ほたるへと向かう。
海ほたるは三階まで駐車場になっている。島へ乗り込んだ半魚人たちは、まずは一階の中央……バスターミナルとエスカレーターがある中央部を目指す。
「な、なんだあれ……」
たまたま運悪く、海ほたるの駐車場に車を停めていた男は、異様な集団に言葉を失う。
そして震える手でスマートフォンを取り出し、SNSにライブ配信を始めたところで半魚人たちが彼に気付いた。
一匹が気付くと、何匹もの半魚人が彼に向かい迫る。次にドンドンと車の窓が叩かれる。
ガシャン、と窓はあっけなく砕け、男は車の外へと引き摺りだされる。
スマホは床に落ち、天井だけを写す。画面には映らないが、録音された音声には絶命する男の悲鳴が響いた……それが異変を伝える第一報であった。
海ほたる中で悲鳴が湧き上がる。まずは四階の休憩スペースに居た人たちが襲われた。
鮮血が撒き散らされるなか、半魚人たちは店を襲い、人を襲い、オブジェを壊しと暴れ回る。
逃げ惑う人々は展望デッキへと追い詰められ、柵を越え一人、また一人と海に落ちる。
だが、そこは半魚人の巣……群れを成した彼らに喰われ、海が赤く染まる。
その光景に、逃げ場がないことを悟った人たちは、少しでも生き延びるべく可能性をあげるべく、逃げ場がない海ほたるのなかを逃げ回るのであった。
発せられた海ほたる襲撃の第一報。それをインターネットの海で受信した平将門は、新田周平と芦屋結衣に連絡を取る。
「もしもし、新田君、結衣君ですか。あやかしによる事件です」
グループ通話の通話アプリから流れる切迫した将門の声に、寝ていた新田はベッドから飛び起きるとハンズフリーにして話しながら着替えを始める。
「何があったんですか?」
壁の向こうからも新田の声が聞こえる……どうやら結衣もハンズフリーにして、着替えを始めたらしい。
「実はですね……」
将門が言うには、半魚人が海ほたるに襲撃を行ったと言うこと。
組織的な行動と思われるから、東京に張られた四神結界を生み出し、今は壊そうとしている天海僧正の手の物と考えられると伝えてきた。
「新田、準備はいい!?」
ドアの向こうから結衣がノックと共に声を掛けて来る。
何時ものスーツに着替えた新田は、ドアノブを捻ると扉を開ける。そこには赤いセーラー服を着た結衣が立っていた。
「結衣も何時もの制服なんだな」
「当然でしょ! 制服は女子高生の戦闘服なんだから! それより早く行きましょ!!」
そう声を掛けて来る結衣に、スピーカーの向こうで将門は車を手配したので、それに乗るように伝えて来る。
同時に、二人が暮らすアパートの玄関の向こうから、ブォンとエンジンの高らかな咆哮が聞こえてきた。