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第二十一夜 影女

第二十一夜 影女(その一)

●第二十一夜 影女(その一)

 東京、秋葉原……電気街の裏通りにその店はあった。

 雑居ビルの五階、エレベーターを降りた通路の一番奥。

 あやかし融資・保証『千紙屋せんがみや』……そう看板が掛かっている。

 朱雀・白虎・青龍・玄武による四神結界が施された結界都市である東京であったが、結界の緩みに乗じてこの街にはあやかしが住むようになった。

 だが戸籍も無ければ金も無いあやかしが、現代の東京で生きるのは難しい。

 そのため、あやかしの能力や権能と引き換えに、身分保証や融資を行う……それが千紙屋。

 今日もまた、千紙屋に一人の客が訪れた。

「新田、お疲れ様!」

 カウンターに訪れたのは、赤いセーラー服の女子高生。千紙屋に所属する陰陽師見習い、芦屋 結衣あしや・ゆいだ。

 彼女はカウンターで受付をしていた相棒である新田 周平あらた・しゅうへいに声を掛ける。

「結衣も学校お疲れ様。こっちももうすぐ終わりかな」

 そう告げた新田はふと違和感に気が付く。制服姿の結衣をまじまじと見つめ、何よと結衣は顔を赤く染めながら両手で胸元を隠す。

 そんな彼女の様子に気付かず、結衣の姿を足元まで見た新田は、やっと違和感の正体に気が付いた。

「結衣……その影、どうした?」

「影?」

 言われて足元を見る結衣は、自分から伸びている影が二つあることに初めて気が付く。

 一つは千紙屋に降り注ぐ夕方の日差しで伸びる影。

 もう一つは、陽の光とはまったく逆の方向に黒く伸びる影。

「影が……もう一つ!?」

「お前は誰だっ!!」

 驚く結衣に、反射的に式神の古籠火を構える新田。

 千紙屋の敵……東京結界を生み出し、そして破壊しようとしている天海僧正の手の者かと思ったのだ。

「す、すみません! 私は影女です……千紙屋さんにお願いがあってやって来ました」

 伸びた影は、結衣の意思とは関係なく動くと、壁に影絵のように女性の姿が映し出された。


 夕暮れ時の千紙屋。その店内に影絵のような女性、影女と、それを見つめる新田と結衣。

 兎も角事情を聞くべく、まずは新田が話し始める。

「えーと、いらっしゃいませ? 影女さんと言いましたか……本日は何のご用件でしょうか?」

 その問いかけに、影女は驚かせたことをまずは詫びると、事情を説明する。

「すみません。実は誰かに憑りつかないとここまでこれなくて……驚かせてごめんなさい」

 影女は影に憑りつくあやかし……人から人を移り渡り、千紙屋の前までは来られたのだが、そこから中に入る人が居なかった。

 そんな時に偶然結衣が通りかかり、これ幸いにと彼女の影に憑りついた……と言う訳であった。

「それで……実は、私の能力を全て買い取って欲しいんです!」

 そう影女は新田たちに告げる。まるで何か強い決意があるかのように。

「影女さんの能力……となると、影に入る力になりますよね? それと千紙屋ウチは能力を預かって融資はしてますが、買取はしてないんですよ」

 まず最初に誤りを正しておかないと、と新田は告げるのであったが、預かりでもなんでも構わないので、この能力を引き取って欲しいと影女は告げる。

「でも、能力全部ってなると、あやかしとしての存在意義が無くなっちゃうよ?」

 そうだ、影女が影に入る力を失えば、ただの影になる……それで良いのか、と結衣が尋ねると、むしろ望むところと彼女は返してきた。

「何か、事情があるんですか? 差し支えなければ教えて頂ければ、お力になれるかも知れません」

 新田の言葉に、影女は少し悩む……そしてゆっくりと、ゆっくりとだが話し出す。


 影女、つまり影のあやかしである彼女は、影から影へ移り渡ることしか出来ない。

 つまり、こう壁に影を映さない限りは誰にも視認して貰えず、彼女はまさに影なのだ。

 彼女はそれが嫌で、影女を捨てたい……そう願っていた。

 そんな彼女が噂に聞いたのが、あやかしの能力を買い取ってくれる『千紙屋』であった。

「もう誰かの影になるのは嫌なんです……私は普通の影になりたい!」

 そう叫ぶ影女に、新田と結衣は顔を見合わせる。千紙屋として融資をすることは出来るが、能力を全て奪うことは、あやかしがあやかしとして存在出来なくなるため出来ない。

 かと言って影女の望みを叶えるためには能力を全て預かり存在を消さなくてはならない。

 言わば自殺をしたい、と言っているような物。そのようなことに協力は出来ないと告げる。

「……話は聞かせて頂きました。どうでしょう、人型に宿ってみるのは?」

「社長!?」

 新田と結衣の背後から声が掛かる。そこに居たのは、長い髪を結び着流しの着物を着た眼鏡の男性。千紙屋の社長であり、神田・秋葉原地区の氏神である平将門たいらのまさかどであった。

「影女さん。あなたは影であることが嫌なんですね? ならば、人として暮らしてみるのは如何でしょうか」

 そう言い、将門はあやかしたちから預かった能力や権能を納めている大金庫から、一体の球体関節人形を持って来る。

 それは人間とほぼ同じ大きさのマリオネット……人形遣いのあやかしから押収した物だ。

「新田君、君の術で影女さんを宿らせてあげなさい。この人形が影を渡る力の代償です」

 平将門からの提案をどうしますか、と影女に尋ねる新田に、彼女は慎重に考える。

 そして、お願いしますと頭を下げるのであった。


 千紙屋の応接室。そのソファーに球体関節人形が寝かされる。そして影女を連れた結衣がその隣に立った。

「綺麗な人形……」

 ゴシックロリータの衣装を着せられた球体関節人形を見下ろす結衣は、その美しさに思わず目を見張る。

 将門が言うには、あやかしが恋人を模して作ったらしい人形は、とても美しい外見をしていた。

「社長、準備が出来ました」

 あやかしの核を移植すると言う一大術式を任された新田は、緊張の面持ちで現れる。

「それでは、始めましょう」

 将門の言葉に新田は頷くと、結衣の影に向かう。そして跪き、その影へと声を掛ける。

「影女さん……核を抜き出します」

 そう言うと術を唱える新田。同時に影が揺れ、その中から黒い真珠のような宝石が現れた。

「これを、人形に……結衣」

「うん。胸元を開けば良いんだよね」

 新田に声を掛けられた結衣が、球体関節人形のドレスの胸元を開ける。

 そして胸部のカバーを外すと、新田は黒真珠を心臓の位置に収め、再度術を唱えた。

「これで良い筈……影女さん、分かりますか? まずは瞼を動かしてみてください」

 人型など形代を操る術は新田の得意な術の一つ……今回もその術の応用で、人形を形代に見立て影女を宿らせる。

 だが他人に術を掛けるのは初めてのため、緊張でその声は震えていた。

 新田の呼びかけに、影女は瞼をゆっくりと閉じ……そして開く。それを数回繰り返し、瞬きの動作を新たな身体に覚えさせる。

「新田、胸元直すから……ちょっとどいて」

「す、すまん」

 剥き出しになっていた胸部。結衣は新田と位置を変わると、開けた胸元とドレスを着直させていく。

 その間に、結衣に残された影女の影を、将門が封じの壺に吸い取った。

「これで良し……あとは新田君、結衣君、任せましたよ?」

 壺に蓋をし、封じの札を貼ると将門は大金庫へと向かう。

 残された新田と結衣の二人は、まずは影女が自由に身体を動かせるようリハビリを始めた。

「影女さん。瞬きで意思を伝えて下さい。はいなら一回、いいえなら二回……俺の声は聞こえてますね」

 新田の呼びかけに、瞬きを一回返す影女。それを見た新田は次の質問をする。

「結衣の姿は見えますか? 結衣は何本指を出してますか?」

 正面に立つ結衣の姿を見ようとガラスの瞳をゆっくり動かした影女は、まず瞬きを一回する。

 そして指を差し出している結衣の指を数えると、四回瞬きをする。

「正解! じゃあ、次は指を動かしてみよう!」

 結衣がパチパチと手を叩くと、次のステップへと進むことを提案する。

 指を動かし、腕を動かし、起き上がり、ゆっくり歩く……。

「そう、ゆっくり、歩くことだけを考えて……!」

 影女は影を渡るあやかし。よって自分で歩くことはなかった。

 初めて歩くことに挑戦する彼女は、よたよたと、まるで赤子のように歩き出す。

「そうそう、一歩一歩しっかりと……うん、良く出来ました!」

 ゴールに待つ結衣に抱き着くように辿り着いた影女は、ささやくような声でありがとう、と告げるのであった。

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