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第二十一夜 影女(その四)

●第二十一夜 影女(その四)

 太陽は沈み、月明かりとネオンが秋葉原の夜を照らす。

そのうちの一棟のビル、その屋上で、千紙屋の芦屋結衣あしや・ゆいの手によって、マリオネットにされていたゴシックロリータのドレスを纏った球体関節人形に入った影女、あかりが解放され、その姿に驚く人形遣いのマリオは一瞬動きを止める。

そこに炎の虎が彼を襲う。

「いいぞ、そのまま抑え込め!」

 もう一人の千紙屋の陰陽師……炎の虎を生み出した新田周平あらた・しゅうへいが叫ぶ。

炎の虎はそれに答えるように唸り声をあげ、マリオの肩口に爪を立てるとそのまま押し倒した。

 押し倒された時の衝撃から目を瞑っていたマリオは、熱い吐息に驚き閉じていた瞼を恐る恐る開ける。

「ううっ……ひぃっ!?」

 そこには炎の虎が牙を剥いて顔を近づけており、その迫力に思わずマリオは再び目を瞑る。

「こいつは俺が見張っておく。あかりさんの容態を!」

「わかった……あかりさん、大丈夫? 痛いところはない!?」

 あかりと共に解放された結衣の式神、唐傘お化けが嬉しそうに跳ねるなか、新田の声に押され結衣はあかりの身体の状態を確かめる。

 朱雀の力を発動させた結衣の攻撃は、打撃ではなく浄化の一撃。

 身体にダメージは無い筈なのだが、ガクン、と膝を付いた状態で固まっていたあかりは、結衣の言葉に彼女へと視線を向ける。

「はい……まだ力が上手く入りませんが、大丈夫だと思います」

 結衣は怖かったねとあかりを抱きしめ、背中を擦る。

 人形の身体は涙を流すことはない……だが、そのガラスの瞳は泣いているように結衣には見えた。

「さて、こいつの処遇だが……まずは千紙屋に連れて行くか」

 着ていたスーツの懐から、新田は陰陽師が使う鬼門封じの術……結界を張り、鬼の侵入を防ぐ術……を応用した、能力封じの術を込めた札を取り出すと、マリオに貼る。

 すると、彼の背中から伸びていた触腕がスルスルと体内に仕舞われていく。

「これで能力は使えない。あとは縛れる物……ロープでもあれば良いんだが」

 だが残念ながら、ロープまでは手持ちはない。少し考えた新田は、マリオの上着を脱がせるとそれで両腕を後ろ手に縛った。

「結衣。あかりさんの具合はどうだ、歩けそうか?」

「うん……力が戻って来たみたいで、もう少しで歩けそう」

 そう返事をする結衣に、すまなさそうにあかりが謝る。

「あかりさんが謝ることはないよ。悪いのは全部あのマリオって男なんだから!」

 そう結衣が伝えていると、操られて抜けていた力が戻って来たのか、結衣を支えにあかりが立つ。

「大丈夫です、ご心配をおかけしました」

「無事なら良かったです。こちらこそ怖い思いをさせました……この男の処遇もありますし、一旦店に戻りましょう」

 新田はそう言うと、マリオを立たせ結衣たちを伴い屋上を後にする。

 そして千紙屋では、難しい顔をした社長の平将門たいらのまさかどが新田たちを待っていた。


 秋葉原は電気街、その裏通りにある雑居ビルの五階。そこにあやかし相手の融資や保証を行う『千紙屋』があった。

 社長であり、神田・秋葉原地区の氏神である平将門が経営するその店で、正座をさせられたマリオが沙汰を待つ。

「困りましたね……返済から逃げ、力を残す代わりにと影女さん、今はあかりさんですね。その身体になっている球体関節人形を押収し許したと言うのに、それを強引に奪い取ろうとするとは」

 新田と結衣、二人からここまでの経緯を聞くと、将門はふぅ、とため息を漏らしながら着物の袖で眼鏡を拭く。

「払う意思はあった! ただ金がなかっただけ……エレクトラはわたくしの妻です、取り返して何が悪い!!」

 ここまで来てもそう言い放つマリオの姿に、彼の横で立つ新田と結衣は呆れ顔を浮かべる。

 レンズを拭き終えた将門は、眼鏡を掛け直すとマリオに向き合い口を開く。

「確かに押収品とは言え、あなたの財産を勝手に使った私たちにも非はあります……ですが、約束を破り、支払いから逃げるどころか押収品を奪い去ろうとは。私も舐められた物ですね」

 将門から怒りの波動が出ているのが、新田と結衣にも分かった。

 ……あかりには応接室で休んで貰っていて本当に良かった。そう二人は心底そう思う。

 だが、それでもマリオは将門に喰らい付く。何としても彼が言うエレクトラ……球体関節人形を取り戻そうと、そしてごたごたに紛れて借金を踏み倒そうと行動する。

「非があると認めましたね、認めましたね! であればわたくしに罪はない……エレクトラと再会したのは彼女がわたくしの妻だから! つまり運命なのです! これは神とて犯せない絆、であれば今すぐわたくしとエレクトラを解放しなさい!!」

 ピクっと将門のこめかみが動く。どうやら、神の怒りに触れてしまったようだ。

 神罰が下るかな……そう新田が思っていた時だ。彼の名を将門が呼ぶ。

「新田君……大金庫に前に押収したゲーム盤がありましたね。あれを持ってきてください」

 てっきり神罰が下ると思っていた新田は、ヘッ? とした表情を浮かべてしまう。

「げ、ゲーム盤ですか、あの?」

「そうです、急ぎなさい」

 そう言われ、慌てて預かった能力や権能を収めた大金庫へと向かう新田。

 そしてしばらくの沈黙のあと、新田はゲーム盤を持って来ると、結衣が見守るなか将門とマリオ、二人の前でセットする。

「社長、用意出来ました」

「ありがとう、新田君……さて、マリオ君。最後に確認するが、君は球体関節人形を返せ、とまだ言うんだね?」

 将門の確認に、当然だとマリオは返事を返す。

「よかろう……ではゲームをしよう。君が勝てば球体関節人形を返そう。だが……もし負ければ、君の能力全てを奪う」

 そう告げた将門の姿に、一瞬マリオは言葉を失うが……よく考えればチャンスだと考え出す。

 相手は神、戦っても勝てる相手ではないのは以前エレクトラを奪われた時に身に染みている。

 だがゲームなら? 神との遊戯と言えども、相手が遊戯の神でない以上、勝てる可能性がある。

 オールオアナッシング。全てを手に入れるか、全てを失うか……最早失う物はないマリオは、ゲーム盤に向き合う。

「良いでしょう……約束は守って頂きますよ」

「ええ、文字通り神の名に賭けて」

 そして全てを賭けたゲームが始まる。


 ゲームは人生ゲーム。新田が進行役を務めることとなった。

 なぜ人生ゲームかと言うと、平将門は秋葉原の神であり、電脳神である。そのためテレビゲームはどんなソフトでも望めば絶対勝利が約束されている。

 だからアナログゲームなのだ。ルーレットが何処に止まるかは全て運……実際、序盤はマリオが優位に進めていた。

「五、六……結婚マスですね。やはりわたくしとエレクトラは結ばれる運命なのです」

「おや、出世マスですね。悪いですね、ツキ過ぎて怖いぐらいですよ」

 そう告げるマリオに。ニコニコと笑みを浮かべる将門。

 だが、ここから大逆転が始まるのだ。

「おや、悪いですね。会社の社長に就任です……まあ、もともと社長ですので、元の役職に戻ったと言うところですか」

「今度は株の暴騰ですね……資産が倍になりましたよ」

 将門の逆襲が始まる。次々とチャンスマスを引き、資産を増やす。

 逆にマリオはアンラッキーマスに引っ掛かり、ずるずると後退していく。

 そして……。

「……あがり、ですね。一着の賞金を頂きましょうか」

 絶句するマリオの前で、将門のコマがゴールに到着した。

「まだです、まだ最後の大逆転が……」

 だがマリオの願い虚しく、回したルーレットはマイナスマスを踏ませ、彼を破産させる。

「そんな、嘘だ……」

 能力を封じられている今、新田や結衣を人質に取ることも出来ない。

 最後の抵抗も出来ず、将門が近付けてきた封じの壺に、マリオは絶望の顔を浮かべ見つめるしかなかった。


「あかりさん、すべて終わったよ」

 結衣が応接室のドアをノックし、そう言いながら扉を開く。

「あの……どうなりましたか?」

「あの男はもう現れないよ。だから安心してその身体で暮らして良いんだよ」

「でも、私は今まで影でしたので、住む場所とかが無いんです。やはり影に戻った方が良いのでしょうか?」

 そう告げるあかりに、結衣の背後から現れた新田が何枚かの書類と鍵を一つ持って現れる。

「それについては大丈夫です。あかりさんから能力を頂きすぎたと言うことで、アパートの手配をさせて頂きたいと思います。あやかしが沢山住んでいますし、俺たちも住んでいるので安心して下さい」

 そう言って新田が応接室のテーブルに広げたのは、賃貸契約書とアパートの鍵。

 勿論。家賃は働いて支払わなくてはいけないが、職の斡旋もすると新田は告げる。

「何から何まで……こんなに良くして頂いて良いのでしょうか?」

「ええ、社長……平将門公は神様、つまり頑張る人の味方です。あかりさんは今まで頑張って来ました。少しぐらい報われても良いとのことです」

 自死する勇気と方法が無くて千紙屋に訪れたと言うのに、新たな身体と名を貰い、こんなに暖かくしてもらった……あかりはガラスの眼からポロポロと涙を流す。

「あれ、泣いてる、私……これが涙」

 それは決して冷たくなく、暖かい涙。嬉しい時に流れる涙。

 新田と結衣の二人は、涙が晴れるまであかりを優しく見守るのであった。


 一方、千紙屋がある秋葉原の地下では、妲己が密かに動いていた。

 表の事件など知らぬ彼女は、何やらたくらみ事を企てている様子。

「……せや、ウチの名に誓おう。そなたの望みを叶えると」

 誰かと連絡を取る妲己……その奥では、何者かの影が幾つも蠢いていた。

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