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第二十三夜 滑液(その一)

●第二十三夜 滑液スライム(その一)

 東京都内、某所……地下深くのそこは、湿気で息も出来ないぐらい濃い空気に包まれていた。

 そんな人間であれば不快に思う場所を、二人の人影がろうそくの灯りだけを頼りに進んでいく。

「霊力の波動がどんどんと強くなっていく……この先にあるのね、大妖怪様の封印が」

 進む影の一人……九尾の狐のあやかし、妲己は興奮のあまりその頬を赤く染めていた。

「天海僧正の封印。近い、近いぞ……! 地図によると、この先です!!」

 それは同行するこなきじじいのあやかし、小名木にも感染っていたようで、彼の目も興奮で血走っている。

「それにしても、ワザと遠回りさせるのは一体なんでや?」

 妲己はすぐ前の道に進まず、ぐるっと通路を一周してからその道に入ると言った不可思議な行為に首を傾げる。

 それについて、小名木が妲己に説明する。

「道を正確に辿ることも封印解除の一部なんですよ……それにトラップ避けの意味もあります」

「トラップ?」

 ええ、無法者の侵入を避ける意味で……と、小名木は懐から取り出した紙束を通路に差し出す。

 すると粘度の高い液体が垂れて来て、その紙を飲み込むと一瞬で溶かした。

「……この封印が作られてから百年、効果は弱まりつつありますが健在ですね」

 よしよし、としたり顔をした小名木は、罠を避けるように奥へと向かい通路を進む。

 紙束を飲み込んだ粘液は大人しくしていたかと思うと、壁に向かいゆっくりと這っていく。

所謂スライムと呼ばれる生物であると認識した妲己。彼女の妖力であれば服を溶かされる程度だろうが……こんな所でそうはなりたくないと思い、怖い怖いと小名木の後に続いた。

 そして何度も繰り返すように道を辿り、最奥へと辿り着いた二人。

「ここが……大妖怪様の封印!」

 そこは巨大な頭蓋骨が何重にも重なる厳重な封印で封じられていた。

「これが大妖怪……さっそく私は封印の解除に掛かる。妲己、千紙屋せんがみやの相手は任せたぞ」

 取り出した巻物を解き、封印の前に座る小名木。彼はろうそくの灯りを置かれていた行燈に移すと、さっそく巻物に書かれた呪言を唱え始める。

「さて、千紙屋か……さて、どう対処しよか」

 呪言を唱える小名木の様子を見守りながら、妲己はふと考える。

 巨大な大妖怪の封印を解こうとすれば、影響はそれなりに発生する。

そうなれば大規模な騒ぎで目を隠す必要がある……そんな時だ、彼女がふと足元を這うスライムに目を付けたのは。

「これは……使えるわ」

 そう呟いた妲己は胸元から空の管を取り出すと、その蓋を取りスライムに向ける。

「吸魂!」

 すると一体のスライムが、管の中へと吸い込まれていく。

「あと二、三体は欲しいわ……適当に回収しますか。それじゃあ小名木、こっちは頼んだで」

 スライムを回収した妲己は、そう小名木に告げると、彼は呪言を唱えながら片手を上げ了解のサインを送る。

 こうして、東京の地下深くであやかしによる密かなたくらみが進んでいることを、誰もまだ知らなかった。


 一方、同じ東京は秋葉原にあるあやかしへの融資・保証を承る『千紙屋せんがみや』では、夕方の返済ラッシュが終わり、閉店の準備をしようかと言う空気が流れていた。

「あーっ、今日もよく働いた……!」

 店内のカウンターで大きく伸びをした千紙屋で働く新田 周平あらた・しゅうへいは、店のドアが開く音に慌てて佇まいを正すと営業スマイルを浮かべる。

「いらっしゃいませ、千紙屋へ……ってユキさんじゃないですか?」

「お久しぶりです、新田さん。ボーナスが出たので、繰り上げ返済に参りました」

 そう言って現れたのは、雪女のあやかし、雪芽ユキゆきめ・ゆき……以前にあやかしを狙うホストクラブで身を崩しそうになっていたのを助けられ、借金を千紙屋で一本化した彼女は、気象庁の職員と言うことで給与も良く、きちんと毎月返済を続けていた。

「十五、六……確かに。これで完済ですね、雪さん。今お預かりしております雪女の雫を持ってきますね」

 受け取った渋沢栄一のお札を数え終えた新田は、お金を金庫に仕舞うと奥の部屋にある大金庫へと向かう。

 黒い大扉の大金庫の中には、幾多のあやかしから預かった能力や権能が収められており、ユキの能力の源である雪女の雫もここに仕舞われていた。

「えーと、ユキさん……雪女、雪女……あった」

 新田は五十音順に並べられた棚から雪女の雫が入ったケースを取り出す。

 中身を確認し、キラキラと輝きながら冷気を放つ氷の結晶が納まっているのを確認すると、カウンターへと戻る。

 そこでは、千紙屋のもう一人の従業員であり、新田の相棒である女子高生、芦屋 結衣あしや・ゆいがユキと楽し気に話している姿があった。

「結衣、なんの話しをしてるんだ?」

「あ、新田! ふふっ、ユキさんとデートの相談!」

 新田に声を掛けられ、振り返った結衣は楽しそうに声を上げる。

 デート? と首を傾げる新田に、結衣はユキの手を取った。

「えへへ、ユキさんに今度、大人なファッションを伝授して貰うの! もう子どもっぽいだなんて言わせないからね!」

「ふふ、結衣さんは素材が良いですからね。磨けば光りますよ?」

 そうユキに頭を撫でられながら褒められ、満面の笑みを浮かべる結衣。

彼女の周りの女性陣では一番の年上となるユキは、まるで結衣のお姉さんのようであった。

「結衣……そう言う話しは店の外でしなさい。一応営業中なんだからな? ユキさん。それではお預かりしていた雪女の力、お返しします」

 営業中って、もうお客さんいないじゃないと頬を膨らませる結衣の間に割り込み、ユキの前に立った新田は手にしたケースを彼女の前で開く。

「改めて見ると、とっても綺麗よね……宝石みたい」

 そう呟く結衣に微笑みながら、雪女としての力の結晶体……雪女の雫を手に取ると、そっと胸元に抱きしめるユキ。

 胸の谷間に当てられた雪女の雫は、ゆっくりと光り輝きながらユキの体内に吸い込まれていく。

「どうですか、力は戻りましたか?」

 新田に声を掛けられ、ユキは手をグーパーと握りながら身体の調子を確かめる。

「そうですね……ポッカリと空いていた胸の隙間が埋まった感じです」

 ユキの返答に、それは良かったとホッと胸を撫でおろす新田。結衣も彼女に力が戻ったことが嬉しいのかニコニコとしている。

「ユキさん、おめでとう! それと完済お疲れ様!!」

「ありがとうございます、結衣さん。新田さんも本当に良くしてくれて、助かりました」

 ペコリとお辞儀をするユキに、いえいえと返す新田。

 そんな時だ。息せき切って千紙屋の扉を開ける女性の姿が現れたのは。


 異変は外で始まっていた。急に曇った空から、ぽつり、ぽつりと雨が落ちて来る。

 秋葉原の街角でお店……猫耳メイド喫茶『フォークテイルキャット』のチラシを配っていた猫娘のあやかし、猫野目そらねこのめ・そらは、着ていたメイド服に雨粒がシミを作るのに悲痛な声を上げる。

「にゃーっ! 濡れるにゃ! 雨が降るなんて聞いてないのにゃ、早くお店に戻らないとだにゃ!!」

 そう言って駆け出すのだが、ズルリ、と何かが落ちた感覚がしてふと振り返る。

 それは長いスカートの裾。気が付けば彼女のスカートは、雨に触れたところから解け落ちてまるでミニスカートのようになっていた。

「なんにゃこの雨!?」

 溶けて地面に落ちたスカートに、雨粒が……いや、粘液が固まりだす。

 それは段々と巨大になっていき……スマホを構えてその様子を撮りに行った愚かな通行人を飲み込んだ。

「た、食べちゃったにゃ!?」

 息が出来ないのか、透明な粘液体の中で苦しそうに藻掻く男性。

救出しに手を差し出すべきか、でも自分も飲み込まれたら……そう彼女が、いや多くの人が躊躇っていると、ガクンと意識が落ちたその男性は粘液の中で消化され始める。

「み、みんな! 逃げるにゃ!」

 慌ててそらが声を上げると、蜘蛛の子を散らすように粘液の塊から距離を取る通行人たち。

 その間も雨は降り注ぎ、その身体はどんどんと巨大化していく。

 そらは慌てて『フォークテイルキャット』が入る雑居ビルに向かって駆ける……頭の耳を抑え、悲鳴を少しでも聞こえないようにしながら。


 そらの目的は、勤務先のメイド喫茶に戻ることではない。同じビルの五階に入っているあやかし融資・保証の『千紙屋』に行くことだ。

 何故なら、この店はあやかし相手の金融業が表の顔であるなら、もう一つの顔……あやかしによるトラブル解決を請け負う『千神屋』としての顔がある。

 巨大な粘液、どうみてもあやかし事件に違いない。そう思ったそらは、千紙屋へと急ぐ。

「ご主人様たち、居るかにゃ!?」

 千紙屋の店内に飛び込んで来たそらは、ボロボロのメイド服。慌てて結衣がタオルを持って行くとその身を包む。

「どうしたの、そらちゃん!? こんなボロボロに……」

「た、大変なんにゃ! 外が、雨が!!」

 あわあわと意味が分からないことを告げるそらに、新田は店の窓を開ける。

 そこでは確かに雨が降っており、ザーッと言う雨音が響いているがそれだけだ。

「新田君、そこからでは見えませんよ……そら君。君が見たのはこれですね?」

 そう言って奥の社長室から出てきたのは、千紙屋の社長である平将門たいらのまさかど……秋葉原・神田地区の氏神であり、電脳神でもある彼は、この街で起きたことならすべて知っている。

「そうにゃ! このぬめぬめしたのにゃ!!」

 将門がそらに見せたのは、スマートフォンの画面。そこにはぬめぬめとした粘液状の物体が、人々を飲み込み吸収していく姿が映されていた。

「社長。なんですか、これ?」

 結衣が尋ねると、将門は少し悩む。そして口を開いた。

「これは滑液……馴染みのある言い方をしますと、スライムですね」

「スライム!? あのゲームとかに出て来る序盤のザコ敵の?」

 そうです、そのスライムです。とゲームなどはやり込んでいるオタクである新田に返す将門。

「それなら強敵ですね……」

「え、ザコ敵じゃないの?」

 将門の返答に難しい顔をし始めた新田に、国民的RPGゲームのスライムしか頭にない結衣は首を傾げる。

 スライムなんてパッと殴れば倒せるんじゃないのか、そう思っている様子だ。

「実はスライムはそんな簡単な敵じゃないんだ。本来はダンジョンとかに潜み、上から降り注ぎ、身体の中に取り込んで、肺に入り込み窒息死させる……本当は怖い生き物がスライムなんだ」

「加えて軟体生物ですから物理攻撃は通じません。炎で炙るなどしないといけませんね」

 結衣に説明をする新田に、将門が補足をする。ゲームに出てきたスライムは実は恐ろしい生物だと解説され、結衣は目から鱗であった。

「将門社長……これはライブの映像ですか?」

「そうです、動画はハッキングして残さないようにしてますがね」

 さらりと言ったが、将門は電脳神。スマホに侵入したり、データを改ざんしたりなどはお茶の子さいさいと言ったところだ。

 今も現場にあるスマートフォンに侵入し、撮影した映像を読み込んでいた。

 勿論配信されないように書き換えするのも忘れてはいない。

「と言うことで新田君、結衣君。二人に任務です。このスライムを倒し、秋葉原に平和を取り戻して下さい」

 防犯カメラから群衆のスマートフォンまで、記録は一切残らないようにするので派手に暴れても良いです。との将門公のお墨付きを頂いた二人は、ハイっと力強く返事をするとそれぞれの荷物を背負う。

 そんな時だ。様子を窺っていたユキが声を上げたのは。

「あの、私も手伝って良いでしょうか?」

「危ないですよ? ここに居れば安全ですから、騒ぎが収まるまで休んでいても……」

 新田にそう声を掛けられるが、ユキの決意は固く揺るがない。

「前に助けて貰って、借金も……そんな千紙屋さんの為に、お礼がしたいんです」

 ユキの決意に、新田と結衣は顔を見合わせ、最終的には将門の方を向く。

 将門が良いでしょうと頷き返したのを見た二人は、それじゃあとユキの同行を認めようとした時、もう一人……そらも着いていくと言い始めた。

「アイツにはメイド服をボロボロにされた怨みがあるにゃ! みんなで行くならそらも行くにゃ!!」

 一度こうと言い始めたそらは梃子でも動かないのは、友人である新田と結衣は知っていた……新田は仕方なく頷くと、そらの同行も認める。

「それじゃあ社長、バックアップはお任せします……みんな、行くぞ!」

 そして新田が声を上げると、オーっと結衣たちは拳を上げる。

 こうして、秋葉原を舞台に巨大スライムとの戦いが始まるのであった。

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