●第二十三夜 滑液(その二)
秋葉原電気街の交差点。そこは十字路を埋め尽くすまで育った巨大スライムによって封鎖されていた。
道行く人々も、自慢の痛車も、何もかもが飲み込まれ、少しずつ吸収されていく……その成長スピードは、まるで秋葉原の街を埋め尽くすかのように早かった。
「これは……スライムと言うより、キングスライムだよね」
現場に到着したあやかし事件解決の『千神屋』、その陰陽師見習いの女子高生、
「本当に何でも食うな……吸収されないように気を付けるんだぞ」
もう一人の千神屋の陰陽師見習い、
彼の言う通り、巨大スライムは何でも吸い込んでいくのか、伸びるたびにその先にある物を吸収していく。
「爪を立てれば斬れるかにゃ?」
両手の爪を鋭く伸ばしたのは猫娘のあやかし、
「皆さん、これ以上被害が拡大しないように凍らせましょうか」
そう告げるのは、今回事件の解決に来た最後の一人。雪女のあやかしである
彼女は『千紙屋』に融資を受ける代わりに預けてあった雪女の能力を返却して貰ったので、今は全力で戦える。
その力を振るい、スライムを凍らせることで拡大を防ごうかと相談する。
しかし、彼女の行動は新田の一言で踏みとどまる。
「凍らせるのは有効だが、中にいる人たちを先に助けてからだ。まだ生きてる人が居るかも知れない」
人命優先、そう告げる新田に頷くユキ。そして二人は結衣の方を向く。
「と、言う訳で結衣……浄化の炎でスライムを焼いてみてくれ。多分一番効果がある」
そう言われ、新田とユキ、そしてそらの三人の視線が結衣に集まる。
「ちょ、ちょっと、そんなに見ないでよ……」
注目されて恥ずかしいのか、照れた表情を浮かべる結衣。黄色いレンズのサングラスで目元は見えないが、アルビノの彼女は朱に染まった肌を隠せない。
「頼む、結衣。スライムの中に囚われた人を救うには、お前の浄化の炎が頼りなんだ」
重ねて頼む新田に、結衣も折れる。仕方ないとばかりに鞄から折り畳み傘を取り出すと、ため息を一つ漏らす。
「わ、わかったわよ……ふぅ。朱雀の力よ、目覚めよ!」
結衣が取り出した折り畳み傘の正体は、式神の唐傘お化け……それに霊力を通すことで本来の姿を取り戻し、さらに彼女の中に宿る東京を護る四神の一体、朱雀の炎を纏わせる。
「結衣にゃん、羽根が生えてるにゃ……」
そらが呆然と呟く。彼女の言う通り、朱雀の力を発動させた結衣の肩口からは朱色の翼……朱雀の翼が生え、手にした唐傘の姿も炎の剣に変わる。
その姿はまるで東京を救うために舞い降りた女神のようだとそらは思う。
翼を広げた結衣は、浄化の剣をスライムに向ける。そしてその切っ先をゆっくりとスライムの身体に近づけていった。
「……逃げようとする。浄化されるのが分かるのかな?」
結衣が言う通り、彼女が浄化の剣を近付けるたびにスライムの身体が焼かれたくないと言いたげに後退していく。
「いいぞ、そのまま斬り捨てろ!」
「うん! いっくよーっ!」
そう叫ぶと結衣は浄化の剣を振るう。するとスライムは炎から避けるようにどんどんと内側へと引っ込んでいった。
「……おかしいです。結衣さん、待ってください!」
「えっ!?」
どんどんと内側へと引き込まれる結衣の様子に、何かがおかしいと感じたユキが声を上げる。
だが警告は少し遅かった……スライムの中へ充分に引き込まれた結衣は、四方からスライムが彼女を飲み込もうと雪崩れ込む姿を眺めるしかなかった。
スライムの体内に飲み込まれた結衣。その姿をビルの屋上から眺める姿があった。
「まず一人……喰ろうたか」
それは東京の……いや、江戸の街を造り、四神結界を張った天海僧正の配下。
九尾の狐のあやかしである妲己であった。
「この調子で、千紙屋の連中を喰らい尽くして貰わんとな」
この巨大スライムを秋葉原の街に呼び出したのは言わずと知れた彼女。東京の地下で捕獲したスライムを凶化し、雨と共に降らせたのだ。
「おぉ、苦しんどる……さて、どうする千紙屋? 仲間を見捨てはしまい」
空になった管をクルクルと回しながら、妲己は楽しそうに眼下の光景を眺める。
妲己に見られているとは知らない新田たちはと言うと、スライムの体内に閉じ込められた結衣を助けようと必死であった。
「結衣、結衣! 古籠火、スライムを燃やせ!!」
結衣の名前を叫ぶ新田。彼はスマートフォンのストラップに化けた式神、古籠火に霊力を注ぐと灯りの部分から炎を吐かす。
しかし、スライムの身体は炎で後退はするが、熱に対し耐性があるのか融けずにいた。
「ダメにゃ! そらの爪じゃ斬れないにゃ!!」
「こっちは……表面は固まるんですが、それ以上は進みません!」
猫娘のそらと雪女のユキ。二人がそれぞれ爪と冷気で新田と同じくスライムの身体を攻撃するが、そらの爪は粘液をかき混ぜるだけで切断は出来ない。ユキの冷気もスライムの表層を凍結させたが、絶えず循環する粘液により内部までは凍らせることが出来ないでいた。
「どうしたら結衣を助けられるんだ……どうしたら……」
古籠火の火力を上げながら、新田は苦悶の声を上げる。外からは助け出すことは出来ないのか……そう悩む彼に、そらとユキの二人が声を掛ける。
「ご主人様、考えるにゃ! 結衣にゃんを助け出すことが出来るのは、新田のご主人様だけにゃ!!」
「そうです、新田さんなら出来ます! 私たちの力が必要なら幾らでも使ってください!」
そう彼女たちに発破をかけられ、新田は行動を止めずに考える。思考を止めるのは、イコール結衣を助けられないと言うことだ。
「(あれ……私、どうして……そうだ、スライムに飲まれたんだ)」
そんななか、スライムの体内で結衣が目覚める。正確には目覚めされられたと言うべきかも知れない。
「(んぐっ……ぐ、ぐるじい……ごいづら、体内に入ろうとじでる……)」
何せ、結衣の半開きだった口内に、鼻腔に、スライムの粘液が侵入しようとしていたのだ。
結衣の体内に侵入した粘液は、外から中から彼女を溶かそうとしてくる。
段々と赤いセーラー服が溶け始め、体内を犯す粘液は熱を持つ。
このままだと溶かされてスライムに吸収されてしまう……そんなのは嫌だ。
「(朱雀……力を貸して!)」
粘液のプールの中、結衣は離れていた唐傘お化けを掴み直す。
すると霊力のラインが繋がり、朱雀が宿る魂が燃え上がると、溢れ出た熱量が霊力となり、唐傘を持つ右手へと濁流の如く流し込まれた。
「朱雀……招来!」
粘液に喉を犯されながらも結衣は叫ぶ。すると彼女の全身は朱に染まり、炎に包まれた結衣はその身を包むスライムを焼き、蒸発させた。
そしてその光景は、スライムの外に居る新田たちも目撃することになる。
「結衣さんが……燃えてる?」
結衣を中心に、スライムの中が融解を始める。それを見てユキが驚きの声を上げると、ここしかないと新田が叫ぶ。
「みんな、結衣の元へ攻撃を放て! 援護するんだ!!」
「わかったにゃ!」
新田のその声にそらが元気よく返事をすると、スライムへ飛び掛かり爪を立てる。
「待ってるにゃ、結衣にゃん! 今そらが助けてあげるにゃ!!」
掻き回すしかないなら、結衣の元まで掻き分けるまで……そうそらが鋭い爪でスライムの表面を掻き回すのを見たユキが、彼女に声を掛ける。
「そらさん! 冷気で表面を固めます、それで斬れるはずです!!」
「助かるにゃ!」
苦戦するそらへそう告げたユキは、冷たい冷気を吐き出し彼女の足元のスライムを凍結させ固めると、確かに固めた先から爪で斬り刻むことが出来た。
「そう言うことなら……結衣の元まで届かせてやる! 水よ凍れ、氷雪招来!!」
背中の鞄から、陰陽師で使われる陰陽五行説が描かれた太極盤を取り出した新田は、五行の水を操り吹雪を巻き起こす。
それはユキの放つ冷気と合わさり、スライムの表面を次々と凍らせる。
「(そらちゃん……それに新田、ユキさんも! みんな、今行くよ!!)」
朱雀の炎を纏ったことで火球となり、スライムを内側から蒸発させながら、結衣は必死に自分を助けようとしてくれる仲間たちの姿を見て自身の勇気を奮い立たせる。
幸い浄化の炎はスライムの粘液にも効果があるようで、結衣が浄化の剣を動かせば、そして朱雀の翼を羽撃たかせば、外へと向かいその身はゆっくりとだが進んでいく。
結衣は粘液の海を泳ぎ、新田たちは粘液を凍らせ掘り、両者は段々と近付いていく。
だが……残された時間は少なかった。
「(うぅ……い、息が……あと、ちょっとなのに……悔しいなぁ……)」
結衣の視界が段々と遠くなっていく。息が限界なのだ。肺に侵入しようとするスライムを排除したとは言え、スライムの内側に居たままでは呼吸が出来ない。
遠のく意識の先……誰かがスライムの内側に飛び込んで来るのを結衣は見た気がした。
結衣の身体を包む炎の勢いが段々と弱くなっていく……それを最初に気付いたのは、スライムの表面を掘っていたそらであった。
「結衣にゃんの火が……消えてくにゃ!」
「なんだと!? そうか、呼吸が出来ないのか……!!」
そらの声に、新田が反射的に反応する。大きく息を吸うと、古籠火に全力で霊力を回す。
「(結衣、今行くぞ! 古籠火、燃やし尽くせ!!)」
凍らせていたスライムの体表が古籠火の炎で溶けて行く。そして液状になったスライムの中へと向け新田は飛び込む。
スライムの中を泳ぐ新田。そして結衣の元へと辿り着くと、その口を奪い肺の中に溜めていた酸素を送り込む。
「うにゃ!? ご主人様、結衣にゃん!?」
「まぁ……循環呼吸ですわね」
新田のその行為に驚くそらに対し、冷静に受け止め意図を察するユキ。
二人が見守るなか、途切れそうだった結衣の意識は徐々に活性化し始める
「(あれ……? 苦しくなくなってる……なんか唇が暖かい……んんっ!?)」
完全に覚醒したのか、自分が口付けされて、息を送られていることに気付き驚きで目を丸くする結衣。すると彼女の目の前にある新田の顔に笑顔が浮かぶ。
新田は結衣から唇を離すと、外へと指で指示を送る。結衣は顔を真っ赤にしながら頷くと、衰えていた炎を再び燃やしスライムの中を新田と共に泳ぐ。
「ぷふぁ!」
「結衣にゃん!!」
スライムの体表から飛び出した結衣を、そらが抱きしめるように受け止める。
「新田さん……情熱的な助け方でしたね。溶けちゃうかと思いました」
「ははっ、それは困るな……ユキさんには折角力が戻ったのですから、まだまだ元気で居て貰いませんと」
同じように飛び出した新田は、ユキが外に出るのを手助けしてくれた。
そして感激の抱擁を終えた結衣は、改めて新田の方を向く。
「その……助けてくれて……ありがと……」
最後の方は声を小さくしながら、結衣は新田にお礼を告げる。それに対し、新田は彼女に上着を差し出しながらこう答えた。
「結衣、地獄での修行の時に言ってただろ? もう一人で死んだら嫌だって……あれは俺も同じだ。結衣だけ一人で死なせやしないぞ」
「な、なにバカなこと言ってるのさ! まったく……って上着?」
ただでさえ非常時だったとは言え、三度目の口付けを交わした直後だと言うのに、そうさらりと言いのけた新田の言葉に、白い肌を耳まで赤く染める結衣。だが、そんな彼が上着を差し出したことに、ふと結衣は自分の姿を見る。
先程までは必死だったため気が付かなかったが、赤いセーラー服はボロボロに溶かされ、その下に着ていたキャミソールや下着が剥き出しであった。
「あ、新田のえっち! 変態! キス魔!!」
「別に俺の所為じゃないだろ……」
身に覚えのない罵りを受けながらも、新田は結衣に上着を羽織らせる。
上着を羽織った結衣は結衣で、そのぶかぶか感と匂いを楽しんでいるようであった。
「さて……改めて分かった。コイツを倒すには内側から焼くのが一番だ。と、言うかそれしか方法がない」
ワイシャツ姿になった新田は、袖を捲りながらスライムへと向き直す。
このスライムは外から攻撃しても埒が明かない。内側から破壊しなくては……そうその体内に潜った経験から告げる。
「でも、どうやって内側から破壊するんですか?」
ユキはもっともな質問を新田にする。その問いかけに彼はニコリと笑みを浮かべると、指を立てる。
「それは……」