●第二十三夜 滑液(その三)
東京、秋葉原。その電気街の交差点を埋め尽くす巨大なスライム。
何もかも飲み込み、攻撃が効かない相手にどう対処するのか。
あやかし事件解決の『千神屋』、その陰陽師見習いである
「でも、どうやって内側から破壊するんですか?」
そう新田に問うのは、今回協力を申し出てくれた雪女のあやかしである
「それは……あれを使います」
新田の指の先に仲間たちの視線が注目する。そこにあったのは、有名ソーシャルゲームの巨大な看板であった。
眼下を眺めていた九尾の狐のあやかし、妲己は新田たちが何かをし始めたのを興味深そうに観察する。
彼女は江戸と呼ばれていた頃の東京の街を整備し、四神結界を生み出した天海僧正に仕える者。
その天海僧正の命により、今度は四神結界を破壊しようとし、更には大妖怪を甦らせようとするのが妲己と、今は東京の地下で大妖怪復活の儀式を行うこなきじじいのあやかしである小名木であった。
「朱雀の小娘が大滑液から脱出されたのは残念やけど……今度は何をしてるんや?」
妲己の視線の先では、新田たちが何やらこまごまと動いている。んん? と覗いていると、彼女が乗っている看板に雪女が冷気を飛ばして来た。
「見つかったか!?」
慌てて乗っていた看板から別な看板に飛び移る妲己。だが新田たちは彼女に気付かなかったのか、看板の凍結化を進めていた。
「作戦はこうです」
話しは少し遡る。妲己の足元では新田が仲間たちに作戦の説明を始めていた。
新田が指差したのは、巨大なゲーム看板。その全長はスライムの体長を越える。
「あれを凍らせ、スライムに突き刺し……中まで入ったところで、看板を結衣と俺の炎で燃やして焼き尽くします」
「あの看板を唐傘の代わりにするってこと?」
新田の作戦に手を上げて質問したのは、もう一人の『千神屋』、花も恥じらう女子高生陰陽師見習いの
彼女は式神の唐傘お化けに霊力を流すことで、物理・霊力面で威力の強化が出来る。
それだけではない。その魂に宿る朱雀の力を解放することで、浄化の炎を生み出すことも可能であった。
「そうだ。看板を剣の代わりに深く突き刺し、そこから霊力を流す。そして途中で粘液に溶かされない為にも、ユキさんの冷気で凍結させるって訳だ」
看板をそのまま突き刺しても、結衣が着ていた赤いセーラー服のように途中でスライムの粘液で溶かされてしまう。
それならば、事前に霊気の氷で凍結させ、それで突き刺せばいいと新田は結衣に告げた。
「新田のご主人様、そらは何をすればいいかにゃ?」
最後の一人……猫娘のあやかし、
ユキが看板を凍らせ、結衣と新田が熱を通す……そうなると自分だけやることがない。自分もみんなの役に立ちたいとそらは告げる。
「そらさんには大事な役目があります。凍った看板の接続部をその爪で斬り、スライムの中心目掛けて落として貰います」
そう言われ、耳と尻尾をピーンと立てるそら。猫又でもある彼女は、二つに分かれた尻尾をメイド服の中から伸ばし、それを嬉しそうに揺らし始める。
「そんな大事な役目、そらに出来るかにゃ……出来るかにゃ?」
「そらさんしか出来ません。自信を持ってください!」
もじもじとするそらに新田はそう告げると、ユキの方を向く。
「ユキさん、お願いします」
「任されました! 行きます……凍れ、凍れ!」
両手を頬に当て、冷たい冷気の渦を吐き出すユキ。ゲーム広告が掲載された看板はピシピシと音を立てながらみるみると凍り付いていく。
「こんな感じでどうでしょう……?」
「ええ、充分です。次はそらさん、頼みますよ!」
氷の塊になった看板を見上げながら、ユキが新田に尋ねる。新田は充分と頷くと、今度はそれを落とすためにそらへと声を掛けた。
「任せるにゃ! 猫式百連爪!!」
飛び上がったそらは、両手の爪を伸ばすと看板の支えの鉄骨に斬りかかる。
凍った柱は、そらの放った連撃で次々と斬られていき、最後の一本が斬れると重力に従い落ち始める。
「そらさん! 看板を蹴って!!」
新田の声に頷いたそらは、看板を蹴ると落下位置を調整する。
「落ちれにゃーっ!」
そらの叫び声が秋葉原の空に響く……激しい蹴撃音が奏でられ、凍った看板はスライムの真上に移動した。
「結衣にゃん、新田のご主人様! あとは任せるにゃ!」
看板と共に落下しながらそらは叫ぶ。呼びかけられた新田と結衣は頷きながら、落ちて来る看板に向け、結衣は肩口から生えた朱雀の翼を広げ、新田は彼の家に伝わる呪具、白虎の牙に霊力を注ぎ炎の虎を生み出すとそれに乗り飛ぶ。
「結衣、看板に取り付け! 俺も同調させる!!」
「うん、分かった! 朱雀の力よ……看板を、燃やせ!!」
スライムの体内に突き刺さった凍った看板。それに取り付いた結衣と新田の二人は、霊力を看板へと注ぎ込む。
特に主になるのが結衣の朱雀の力……彼女に宿る朱雀が生み出す浄化の炎が、凍った看板を通しスライムの粘液で出来た身体を内側から蒸発させていく。
「新田! 閉じ込められた人は!?」
「大丈夫だ、結衣の炎なら中の人たちは死なない! 遠慮せずいけ!!」
了解、そう叫んだ結衣は全力で朱雀の炎を凍った看板に通す。
その炎はスライムの体内深くに刺さった看板から溢れ出し、絡みつく粘液を蒸発させていく。
「いいぞ、結衣! 火力マシマシにしてやる!!」
新田は結衣の霊波に同調させるように自らの霊波を調整し、結衣の霊力に合わせる。
すると吐き出される炎の勢いが増し、一気にスライム全体へと広がる。
そして……ぷちゅんと音がしたかと思うと、スライムの身体が弾け、体内に捕らわれていた人や車たちが解放された。
「やった!」
「残念、まだや!」
思わず結衣が声を上げる……だが、その声に飛び降りて来た妲己の声が重なった。
電気街交差点を埋め尽くしていた巨大スライムを退治した新田たち千紙屋。だが、喜ぶ結衣の声に妲己の声が重なる。
「残念やな、千紙屋はん……まだ終わらんよ?」
そう言うと妲己は胸元から管を取り出す。
「妲己!? それにその管……管狐でも呼ぼうと言うのか!!」
「ハズレや、坊や……この管に入ってるの、それは……」
妲己はそう告げると、取り出した管を一つ開く。
すると中から飛び出して来たのは二体目のスライム。やっとの思いで倒したのに……そう誰もが思った瞬間、妲己は更に二本、管を見せる。
「さて、これの中身はなーんだ?」
「ま、まさか……」
新田が、結衣が、そらとユキがそれぞれに声を上げるなか……妲己は残る二本の管を開く。
「滑液よ、融合せえ! そして秋葉原の地を飲み干すんや!!」
管から飛び出した合計三体のスライムは、お互いを飲み合い一つになろうとする。
そしてそれらは巨大な粘液の海となり、電気街交差点を中心に新田たちを飲み込みつつ波のように広がっていった。
「さて、次はどうする、千紙屋の坊やたち……今度は粘液の海や、広がるのは止められへんで?」
余裕の表情を浮かべる妲己とは逆に、膝までスライムの粘液に浸かった新田たちの顔には焦りの色が浮かぶ。
先程は集合体だから看板を使った一撃で倒せたが、今度は違う。海のように広がっていると言うことは、攻撃した先で千切れる可能性がある。
そしてスライムは千切れた先から分裂する……被害が拡大する可能性が高かった。
「くっ、みんな、兎に角攻撃するんだ! スライムを消滅させれば、その分拡大は防げる!!」
そう叫ぶ新田は式神である石灯籠のあやかし、古籠火の灯りの部分から炎を放ち足元の粘液を焼いていく。
それを見た結衣たちも、各々の能力で自分の足元の粘液に攻撃を仕掛ける。
「ふふっ、必死やな……ここでさらにこいつらを呼んだらどないする?」
必死に対処しようとする新田たちの様子を見て、心底楽しそうに笑う妲己はパンパンと手を叩く。
すると何処からともなく、魚の身体に人間の手足が生えた中国の半魚人。その群れが現れた。
「またあんたたち! 強くないのは分ってるけど……人手が足りない!!」
半魚人とは以前にも戦ったことのある結衣は、強くはないことを知っているが、こいつらは兎に角数が多い。
そして今は粘液の海を広がるのを止めなくてはならない……正直、半魚人の対応に割いている手はない。
「ああ、もう! 人手が足りなさ過ぎて猫の手でも借りたいぐらいよ!」
「呼んだかにゃ?」
思わず叫んだ結衣に、そらが手を上げる。
そう……今回は以前の戦いとは違い、半魚人の天敵が存在したのだ。
猫野目そら、彼女は猫娘……いや、猫又のあやかしである。
メイド喫茶『フォークテイルキャット』に勤めるウェイトレスであり、メイド服から飛び出る空色の二股の尻尾と猫耳は自前の物。
彼女は伸ばした指先から鋭く長い爪を尖らせると、結衣に向かって言う。
「猫の手が借りたいかにゃ? なら、そらにお任せにゃ!」
そう告げたそらは、粘液の海を飛ぶように跳ね、半魚人の群れへと飛び込んでいく。
その姿は、まさに獲物を前にした猫のよう……壁や電柱、車の屋根を踏み台にし半魚人に向かい飛び掛かると、鋭い爪でその身を斬り裂いていく。
「ふははは、お魚さんがいっぱいにゃ! ちょっと美味しくなさそうだけど、全部そらが狩ってやるにゃ!!」
四方八方から飛び掛かるそらに、半魚人たちは右往左往する。
その姿を、新田たちは思わず手を止めて、頼もし気に見つめてしまっていた。
「……半魚人の相手は、そらさんに任せて良さそうだな」
「うん……凄い生き生きしてる」
新田の呟きに、結衣も思わず同意してしまう。それぐらいに今のそらは輝いていた。
「何してるのにゃ! みんなはスライムの対処にゃ!!」
手を止めていた新田たちに、そらは顔だけこちらへと向けて何をしてるのと叱責する。
そんな彼女の声に、慌ててスライムへの対処を再開する一同であったが、依然としてスライムに有効な手段が無かった。
「局所的に燃やすんじゃ意味がない。もっと全体をなんとかしないと……」
式神の古籠火に炎を吐かせていた新田は、暖簾に腕押し糠に釘と言う言葉を実感していた。
それぐらい広がってしまった粘液の海は手応えが無く、何時終わるか分からない状況に焦りも生まれる。
そんな時だ、雪女のユキが新田に向け声を掛けたのは。
「新田さん……私を信じてはくれませんか?」
「ユキさん?」
新田は一体何を、とユキに問いかけようとするが、彼女が真剣な表情で見つめて来たことで次の言葉を飲み込んでしまう。
代わりに声を上げたのは結衣であった。
「ユキさん……何か考えがあるんだよね?」
「えぇ、信じてくれれば、きっと上手く行きます」
そう返され、結衣は分ったと頷く。新田にもそれでいいよねと尋ね、彼も頷いた。
「ありがとうございます……少し寒くなるので、お二人とも熱の確保を」
ユキはそう告げると、氷雪を巻き起こし空中に舞うと、眼下の交差点から溢れ出す粘液の流れを見る。
「これ以上は広げませんよ。いきます……絶対零度、広域放射!」
その言葉の直後、ユキの全身から青白い光が輝く。それはまるで彼女の力の源、雪女の雫の輝きと同じ光。
彼女の身体から放たれる青白い光は、まるでレーザーのように広がるスライムに向けて照射されると、その途端照射を受けた場所から凍り付く。
「凄い……スライムが凍り付いていく」
絶対零度の名の通り、あやかしと言えども分子レベルで動きを止められれば凍り付くしかない。
例えスライムが体内の粘液を循環させることで凍結を防ごうとしても、それ以上に冷却をすれば循環する先から固まっていく。
何度も何度も、念入りにスライムへ向け絶対零度のレーザーを放つユキ。しかし、その身体に異変が起きていることに、新田と結衣は気が付くのであった。