●第二十三夜 滑液(その四)
信じて、と彼女は言った。信じる、と仲間たちは告げた。
だから、彼女の身体に異変が起きても、
「(信じて下さりありがとうございます……)」
ユキは新田と結衣に感謝する。凍り付いた身体から一筋の涙が零れ落ちる。
それはとても暖かい涙であった。
「新田さん、結衣さんに救って貰ったこの命……今が使い所です。行きます!」
青白いレーザーのような、絶対零度の凍結光線を放つユキ。
そしてその代償に、段々と小さくなっていく彼女の身体。
「ユキさん、あと少しです!」
「頑張って、ユキさん!」
信じると言った新田と結衣の二人は、ユキに向かいそう声を掛けるしか出来なかった。
秋葉原の街が凍り付くなか、狩人が駆ける。
魚の胴体に人間の手足と言う半魚人の群れを追いかけ、猫又のあやかし、
「にゃははは、大漁にゃ! ってなんか寒いにゃ!?」
高カロリーの運動量が故に気が付くのが遅れたが、気付けばそらの周囲は氷の大地と化していた。
「にゃにゃ!? 秋葉原が凍ってるにゃ!!」
道路と言う道路を流れるスライムだった身体は、粘液が凍り付きまるで凍れる大河のよう。
震える寒さに二股の尻尾を丸めながら、滑らないように気を付けつつそらは新田たちの元へと戻る。
「一体何が起きて……るの……にゃ……?」
新田たちが見つめる先、段々と小さくなりながらも青白い光を放つユキの姿に、そらは何が起きているのかを悟る。
あやかしとしての力……その存在までをも賭けた力の放出に、ユキの身体が維持出来なくなっているのだ。
だが、その甲斐あって秋葉原の電気街を埋め尽くすほど流れ出たスライムの奔流は凍結し、限界を迎えた先からヒビが入っていく。
そのヒビは四方へと伸び、次から次へと砕け、やがてパリーンと言う音と共に砕けて舞った。
「綺麗……キラキラ光ってる……」
「ダイヤモンドダスト現象か……まさか、秋葉原で見れるとは思わなかった」
砕けた氷の破片が結晶となり空気中を舞う。それが太陽の光を受けて、まるで無数のダイヤモンドが煌めいたかのようにキラキラと輝く。
その本来は氷点下の地でしか見られない光景を前に、思わず結衣は綺麗だと瞳を輝かせると、そっと新田の手を掴む。
「結衣、どうした……?」
「……ユキさん、止めないと! スライムは倒したよ!?」
あまりにも美しい光景に見とれてしまっていたが、結衣の言う通り凍結したスライムは全て砕けた。
これ以上の冷気は必要ない……だがユキの身体からは、青白い光が漏れ出たままであった。
「っ! 力が暴走しているんだ! 結衣、ユキさんのところまで連れて行ってくれ!!」
新田がそう言うと、頷いた結衣は彼を両脇に手を入れ朱雀の翼を羽撃たかす。
ふわっと舞い上がった二人の身体は翼が空を打つごとに加速し、空中で氷雪の渦に乗り浮遊し暴走するユキの元へと舞い上がった。
朱雀の翼で氷雪の渦を抜けた新田と結衣の目に、青白い光の塊が映る。
「ユキ……さん?」
しかし、そこにユキの姿が見当たらないことに最悪の想像をした結衣が不安気な声を上げるが、それを𠮟咤激励するかのように新田が叫ぶ。
「大丈夫だ、まだ間に合う! ユキさんの力の結晶に霊力を送り込む……だからあの球体に、早く!!」
新田の声に押され、結衣は彼を連れユキの力の結晶へと急ぐ。
結衣に吊られる形になる新田は、両手を伸ばしユキの力の結晶……雪女の雫を抱き受け止める。
「霊力を全部回す! 結衣、あとは頼むぞ!!」
「う、うん、分かった! ……頼んだよ、新田!!」
抱きしめた雪女の雫に霊力を注ぎ始めた新田を気遣い、朱色の翼を大きく広げ、ゆっくりと地上に舞い降りる結衣。
新田は他の人よりも大量の霊力をその身に宿している。その霊力を彼は全力で注ぎこみ、ユキの姿を維持しようと願った。
そして光が眩しく輝き……そこには幼い少女が新田に抱き抱えられていた。
「ユキ……さん?」
恐る恐る新田が声を掛ける。その声に、ピクっと瞼が震え、ゆっくりと瞳が開いていく。
「ありがとう……新田さん、それに結衣さん。そらさんも……大丈夫よ、ちょっと力を使いすぎちゃった」
少女はそう言うと、新田の腕の中から立ち上がる。そして振りかざした腕から放つ冷気を白い着物に変えると、その身に纏う。
「あーらーたー? ジッと見過ぎ!!」
今は着物を着たが、裸体の少女……力を使いすぎ少女の身体になった雪芽ユキの姿を見過ぎていたと、結衣は新田の頬を抓る。
「いてて、痛い、痛いって、結衣!?」
「えっちなご主人様には丁度良い罰にゃ!」
悲鳴を上げる新田を笑うそら……その微笑みは、氷雪を溶かし太陽のような笑みを彼らにもたらす。
そんな微笑ましい光景を、忌々し気に眺める者が居た。そう、今回の事件の首謀者である九尾の狐のあやかし、妲己だ。
「まさか、雪女にあんな力があるとは……炎も冷気も耐性を持たせたのに、それを突破されるとはなぁ」
今回は負けにしといたる、そう告げると半魚人の集団と共に秋葉原を去る妲己。
だが、今回については負けてもいいのだ。もっと大事なこと……大妖怪復活の儀式にさえ気づかれなければ。
「さて、小名木の様子はどうやろな? 上手く行ってればええんやけど……」
妲己の足は、東京の地下深くへと向かう。
そこでは、こなきじじいのあやかしである小名木が、大妖怪復活のため封印を解除しようと儀式を行っていた。
東京都内某所、地下深くに位置するそこは、妲己が前に来た時より禍々しい気配が溢れ出ていた。
「順調かえ?」
決められた手順で迷路のような通路を通り、その最奥部へと辿り着いた彼女は、呪言を唱え続ける小名木の様子を窺う。
「妲己か……まあ見とれ。まず第一の封印、四神の楔から解放する!」
小名木が声を上げたその瞬間、おぉぉぉぉっと言う禍々しい呻きが響く。
同時に第一の封印……東京の東西南北に位置する朱雀、白虎、玄武、青龍によって張り巡らされた四神結界による封印から大妖怪に打ち込まれた楔が解かれた。
「ふぅ……次は仏の手だ。妲己、山手線と中央線、そこを襲え。あれは仏の手状に配置され、人を乗せた列車を大量に走らせることで百度参りと同じ、いやそれ以上の効果を持たせている」
東京第二の結界、仏の手状に配置された山手線・中央線結界。それが大妖怪復活を妨げる次の楔となっている。
それを襲撃することで、大妖怪に施された封印を解除し易くし、なおかつ新田たち『千紙屋』の目を大妖怪の眠るこの地に向かせない……一石二鳥だと小名木は妲己に告げる。
「そうなると、山手線と中央線の結節点……新宿、そして神田やな」
「そうです、この二カ所を襲うのです! どうせ大妖怪様が復活すれば、滅ぶ地です……派手に壊して構いませんよ?」
そう告げる小名木の目が怪しく光る……妲己はおぉ怖いと呟きながら、了解と片手をあげる。
そして……第一の封印が解かれた時、魂の中に造られた東京に四神を宿す芦屋結衣は、何かを感じ取っていた。
東京、秋葉原。電気街の裏通りにある雑居ビル。その五階にあるあやかし融資・保証の『千紙屋』では、先の事件の後始末に追われていた。
「確かに派手にやって良いとは言いましたが……まさか電気街を凍結させるとは思いませんでしたよ」
パソコンのキーボードを目にも見えない速さでブラインドタッチするのは、千紙屋の社長であり、神田・秋葉原の氏神……そして電脳神である
「すみません……それしか方法が無かったもので」
「看板が老朽化して落ちた事故として片付けますか……監視カメラの録画データの書き換え完了。次は……」
将門の前のディスプレイには、次から次とウィンドウが開いては消え、開いては消えを繰り返す。その開いた瞬間に全ての処理を終え、次のタスクに取り掛かる将門に、済まなそうに新田は告げる。
「それで社長。ユキさんが子どもの姿になってしまったので、行き場が無くなってしまいまして……」
「……今回の事件の功労者です。新田君、結衣君と一緒に暫く面倒を見てあげて下さい」
今のユキは小学五年生ぐらいの姿である。このまま今までの仕事に就くことは難しいだろう。そう相談する新田に対し、将門は結衣と一緒に二人で面倒を見るように伝える。
「それは……同居と言うことですか?」
「まだ、部屋は余ってましたよね? そう言うことです」
新田と結衣が住む社宅契約のアパートは、家族世帯用の部屋。新田と結衣、それぞれに一部屋宛がっていたが、まだ空いている部屋があるのは確かだ。
「ユキちゃん、一緒に住めるって!」
「結衣さん、その、身体は小さくなっても精神的には大人なので、ちゃん付けはちょっと……」
話しを聞いていた結衣が、ユキの手を握り喜ぶと、ユキは満更ではなさそうな顔で一応注意する。
何せ、今でこそ小学生にしか見えないが、妖力を使い果たして幼くなっただけで、実年齢は二十八なのだ。子ども扱いは心に来るものがある。
「あはは、どうしてもつい外見に釣られちゃって……んんっ?」
「どうしたんだ、結衣?」
不思議な顔をした結衣に、新田が問いかける。ユキもどうしたのかと首を傾げる。
「何か変な感じがした……何かが外れたような」
「外れた……その、ブラですか?」
新田たちに聞こえないよう、小声でそう確認するユキに、慌てて顔を赤くしながら違う違うと首を振る結衣。
一応、念のため外れてないか背中に手を回し、ホックが外れてないことを確認すると、結衣はホッとため息を漏らしてから頭を掻く。
「うーん、なんだろ。魂の中の東京で何かあった感じがするんだけど……よく分からない」
そう告げる結衣の魂の中には、東京の街が再現されている。
それは東京の守護結界である朱雀、白虎、玄武、青龍の四神の分霊を魂の中に造られた東京に配置し、霊力を注ぐことで、結衣の魂の中の東京を現実の東京に見立て、弱っている現実の結界を強化する見立ての儀式の為なのであるが、逆も然りで、現実の東京の出来事が結衣の魂の中の東京に影響を与えるのだ。
結衣が感じた何かが外れた感じ……それは現実の東京で何かが起こった可能性がある。
「……よろしく無いですね。一度詳しく調べましょう」
パソコンを操作していた将門であったが、作業の手を止めるとクルリと椅子の向きを変え結衣へ向き直す。
「今から魂の中に入るんですか?」
確認する結衣に、将門はそうですね……と少し考える。
「魂に潜るのであれば、夢見君に協力して貰わないといけません。今は少し席を外していますので、今夜にでもお願いしましょうか」
夢を渡り夢に入る獏のあやかし、
その後結衣の魂の東京を造るのに協力して貰ったり、四神集めを手伝って貰ったりと、なんだかんだと新田たちはお世話になっていた。
「そう言うことなら、今夜」
結衣が将門にそう告げた時だ。ガチャリと千紙屋の扉が開かれる。
「みんな、お疲れ様にゃ~! フォークテイルキャットから陣中見舞いにゃ!」
そこには新しいメイド服に着替えた
「みんな、今回は寒かったからにゃー! 今日のご飯は猫耳メイドさんの暖ったかハンバーグシチューにゃ!」
おかもちから取り出されたのは、猫耳が付いたハンバーグが入ったビーフシチュー。
くつくつと煮えたシチューは湯気を立て、氷点下で冷えた身体がとても暖まりそうであった。
「あの、私はその、あまり熱いのは……」
「大丈夫にゃ! ユキにゃんのは冷ましてあるにゃ!」
一つだけ冷めたシチューを出され、雪女だからか嬉しそうなユキに、そらは出来るメイドなのでと胸を張る。
「それじゃ、帰ったら獏を呼んで結衣の魂に入ると言うことで……冷めないうちに、いただきます!」
「「「頂きます!!」」」
新田の号令で、頂きますの合唱をする結衣たち。
一つは冷たいが、みんな熱々のシチューを口いっぱいに頬張り、冷めた身体を身体の奥から暖める。
……この時の彼らには、まだ食事を楽しむ余裕があった。
仏の手結界の破壊に妲己が動き出す、その時までは。