●第二十四夜 餓者髑髏(その一)
東京の夜は寒い……乾いたビル風が吹き晒す神田川沿い。浅草橋駅近くのアパートでは、寒い夜を乗り越えるため来客に鍋が振る舞われていた。
「お肉、お肉! んー、美味しい!」
玉子を溶いた器に鍋からお肉を大量に移した
噛み切ったお肉を美味しそうに咀嚼した彼女は、次のお肉を黄色い玉子液と混ぜると口に咥える……まるで止まらない機関車のような食べっぷりは、十六と言う若さに相応しい様相であった。
「お魚咥えたそら猫にゃ~、やっぱりタラは美味しいにゃ!」
こちらは煮込まれて白くなったタラの切り身を器の中で解して、猫舌なのかふーふーと冷ましてから頂くメイド服を着た
……彼女は人間ではない。猫又のあやかしであり、その証拠に頭からは猫耳が、お尻からは二股の尻尾がスカートに隠れ伸びて揺れている。
「結衣! それにそらさんも……お肉と魚ばっかり食べずに野菜も食べろ!」
キッチンから追加の具材を持って来たのは、今回唯一の男性でこの部屋の名目上の主、
そう言いながら、二人の為にお肉と魚を追加するのが、彼らしいのだが……そんな新田に白いセーターを着た
「あの、私たちまで来ても良かったのでしょうか……?」
一人なのに私“たち”……複数形なのは、彼女が人間と蛇女の二つの魂を持つ二重人格であるから。
今は人間の白が表に出ているが、彼女の中には蛇女のあやかしである
「良いんですよ、お鍋は人数が多い方が美味しいですから。ボクはそう新田さんが思っているのを知ってますので」
「獏……勝手に心を読むな」
そう新田にコツンと頭に軽く拳を落とされたのは、夢を喰う獏のあやかし、
彼女は夢……魂に入ることが出来る他、その表層部の感情を魂に入らずとも読んだりすることも出来る。
そんな獏の眼には、新田の魂が陽気な感情で溢れており、なんだかんだ言いながらこの場を楽しんでいることが解った。
「……お酒、飲みたい。お鍋と日本酒は合うのよ」
「すみません、その身体ではアルコールはどんな影響があるか分からないので……我慢して下さい」
新田にそう言われ、ガクっと力尽きテーブルに突っ伏したのは、今日の主役である雪女のあやかしである
今日は新田と結衣の住むこの部屋にユキが引っ越して来たお祝い歓迎会と言うことで、同じアパートに住む新田たちの友人のあやかしたちで出迎えたのだが……どうみても小学五年生ぐらいにしか見えない彼女の本当の年齢は二十八歳。
前の事件であやかしとしての力を使い果たし、その身体は再構成されたのだが……妖力が足りず縮んでしまったのだ。
「こうなれば自棄よ、食べてやる! ふーっ、焼き目を付けた豆腐もつるつるのしらたきも美味しいじゃない! なんでお酒が飲めないの!!」
雪女のため熱いままではダメなのか、ふーっと冷たい冷気で凍らせてシャリシャリになった白菜に、豆腐やしらたきと次々と食べるユキ。
ちょっと可哀想だと思うが、流石に子どもの身体でアルコールの摂取は認められない新田としては、ユキには我慢して貰うほかなかった。
それから時間は進み……締めのうどんを終え、鍋が空になった頃だ。獏が今日の本題を切り出したのは。
「今夜の仕事は、結衣さんの中に造られた東京……その中の異変を探す、でしたね」
食後のお茶を啜りながら、獏が新田と結衣に尋ねる。
結衣の魂の中の東京……彼女の魂には、朱雀、白虎、玄武、青龍と東京の四方を護り、四神結界を生み出す聖獣の力が宿っている。
彼らを住まわせるため、そして現実の東京に見立てるため、結衣の魂の中に箱庭の東京を造り、四神の結界を現実の結界として反映させている。それが古来より伝わる小で大を兼ねる見立ての儀式。
だが、この儀式は両方向……結衣の魂の中の東京の出来事を現実の東京へ反映させることが出来る反面、現実の東京に何か大きな出来事が起きればそれが結衣の魂の中の東京にも起きる。
今回、結衣は魂の中の東京で何かが起きたと感じた、それはきっと事実なのだろう。
問題は何が起こったのか……交通事故程度のことでは結衣の東京は反映しない。きっと重大な事件が起こっている。
そう判断した新田と結衣が所属するあやかし相手の融資・保証会社である『
「そうだ……片付けもあとは鍋を洗うぐらいだし、さっさとやっちまうか」
新田はそう言うと、結衣の魂の中に行きたい人は挙手と参加者を募る。
今回の集まりはユキの歓迎会だ。そのついでに結衣の魂の中の調査を行うに過ぎない。
だから強制はしない……新田はそのつもりで聞いたのだが、全員が手を上げたことに彼は驚く。
「みんな、折角の集まりなのにいいのか?」
「水臭いことを言わないのにゃ、新田のご主人様……東京の危機にゃんでしょ? 協力するに決まってるにゃ!」
驚きの顔を浮かべていた新田に、代表してそらがそう告げると、結衣は感激したのか彼女に抱き着く。
「そらちゃん! みんなも、ありがとう!!」
「ふふ、いいってことにゃ!」
胸の谷間に埋まる結衣の頭をよしよしと撫でるそら。そんな光景に、新田は念には念を入れ白たちにも確認する。
「俺と結衣、それに魂に入るため獏は仕方ないとして……白さんもユキさんも本当に良いんですか? ゲームでもして、待っていてくれても良いんですよ?」
「今日の事件は知りませんが……置いて行かれる方がツラいこともあるんですよ?」
「私は……あなたたちに命を救われた。なら返すのが道理ですよね」
二人の言葉に、新田はそれ以上言えなくなる。二人の気持ちを大事にしないと、そう思うと、それに応えるべく手早くリビングのテーブルを片付ける。
「みんな、ありがとう……それじゃ、獏、頼む」
「はい、頼まれました! 結衣さん、手を差し出してください」
こう? と結衣は片付けられたテーブルの上に片方の手を差し出す。獏はそれで良いですと言って彼女が差し出した手に自分の手を重ねる。
「皆さん、ボクの手に手を重ねて下さい……そうです、良いですよ」
結衣の手の上に獏が、そして新田、白、そら、ユキと手を重ねていく。
「それじゃあ、行きますよ……結衣さんの魂の中へ!」
最後に獏が反対の手を重なったみんなの手の上に重ねると、全員の意識が剥がされる。
意識が……魂が結衣の手を通って、彼女の魂の中に送り込まれたのだ。
次に気付いた時……そこは、無人の東京であった。
結衣の魂の中、そこは誰もいない東京の街。魂の球体となってゆっくりと降りる新田たちは、まずは自らの姿をイメージしなくてはならない。
「みんな、イメージが終わったら呼んでくれ」
そう言って新田の魂が物陰に隠れる。以前の失敗から、新田はイメージ中の女性陣を見ないことを選択したのだ。
「イメージとは?」
「それはですね……」
初めて魂の中の世界に入るユキの魂が声を上げる。獏が説明しようと声をあげようしたが、それを遮り白が先輩風を吹かせながら魂のままでいる危険性を伝える。
「それはですね、魂のままだと結衣さんに吸収される危険があるからです。だから自分の姿をイメージして、魂を護る必要があるんです!」
そして、こうやって……と、魂から四肢を伸ばし、生まれたままの姿へ魂を変化させる白。
それから服を……と言ったところで、ふとユキが声を上げる。
「なるほど、こうするのですね」
白が振り返ると、そこにはメリハリのある大人の姿になったユキが、オフィスカジュアルなスーツを纏って立っていた。
「え、ええぇぇっ!?」
イメージしていた服が搔き消えながら驚きの声を上げる白の姿に、何時もの赤いセーラー服を身に纏った結衣がポンと手を叩く。
「そっか、白さんはユキさんの本当の姿を見てないんだ……実はね」
そうユキの事情を改めて説明すると、小さい子が頑張っていると思ったのに……と白はショックで肩を落とす。
「まあなんだ、可愛い後輩の本当の姿を見れたと言うことで良かったじゃないか……それよりも、ほれ、早くイメージを急がんと、新田が来るぞ?」
そう落胆する白の肩を叩くのは、彼女の片割れ……魂の世界では二つに分かれる蛇女の朔夜だ。
そう言われ、周囲を見ればまだ服をイメージしてないのは自分だけ。そらもしっかりとメイド服を身に纏っている。
「おーい、そろそろいいかー?」
「ご主人様、まだダメにゃー! 白にゃん、早くするにゃーっ」
物陰から呼びかける新田の声にそらがそう返事を返すと、早くイメージするにゃ! と落ち込む白に呼びかけるのであった。
魂のイメージを終えた結衣たちは、別に隠れイメージを済ませていた新田と合流する。
そして新田は魂の中と言うことで車……社用車のワンボックスカーをイメージすると、その扉を開く。
「東京は広い……これで移動しよう。みんな乗ってくれ」
ハーイと返事をしながらワンボックスカーに乗り込む結衣たち。ナビシートには結衣が、そしてセンターシートとリアシートに分れそらたちが乗ると、新田も運転席に乗り込む。
正直、車の構造とかはよく分かっていない。だがスマートキーを持ち、ブレーキを踏みながらスタートボタンを押せばエンジンが掛かると新田は知っている。
その知っている通りにイメージした車は、新田の動作に答えるようにエンジンが目覚めた。
「それじゃ、出発するぞ。シートベルトは締めたな?」
無事エンジンが掛かったことに内心で安堵のため息を漏らしながら、助手席の結衣を、そして後席に座る皆を振り返りながら新田は声を掛ける。
全員がシートベルトを締めたことを確認した新田は前を向き直すと、アクセルを踏み、ゆっくりとワンボックスカーは走りだした。
「結衣、東京の何処で異変が起きたかは分かるか?」
とりあえず秋葉原方面に向かい車を走らせつつ、そう結衣に尋ねる新田。
結衣はと言うと、うーん、と呟きながら難しい顔で目を閉じる。
「山手線の内側……なのは間違いないんだけど、それ以上は近づかないと分からないかも」
「そこまで分かれば上等だ。山手線沿いにぐるっと回ろう」
やがて新田たちを乗せたワンボックスカーは秋葉原の駅前に到着する。
電気街の交差点……巨大スライムが暴れた交差点は、当たり前だが何も起こっていない。
「ここで……みなさん戦ったんですね」
「そうにゃ! そらの活躍、見せてあげたかったにゃ!!」
呟く白に、街路に沿って広がる粘液の海、そして魚の身体に人間の手足が生えた半魚人の群れ。それと戦ったそらは、凄い活躍をしたのだと胸を張る。
「そうか、凄かったのう……ぜひ次は見せてくれると嬉しいのう」
白の隣に座る朔夜が面白そうにそう告げると、信じてないなとそらは結衣とユキに声を掛ける。
「結衣にゃん、ユキにゃん! そらが活躍したことをこの蛇女に説明して欲しいのにゃ!」
「蛇女とは酷いのう? 『朔夜にゃん♪』って呼んでもええんやで?」
蛇と猫は敵同士……白の膝の上を通してそらと朔夜はいがみ合う。
「あはは、ボクも見たかったですねー。見たいのでイメージを呼び出しますか?」
そんな二人に、獏が話しかける。彼女にかかれば、脳裏に浮かべたイメージを取り出すなど魂の世界では容易。巨大スライムを呼び出そうとした獏を、慌てて結衣が止める。
「獏ちゃん。またスライムのまみれになるのは嫌だから、止めてね? あ、新田、左!」
「んっ、左?」
交差点に差し掛かっていた新田は、結衣に言われ慌ててハンドルを左に切る。
「おっとと」
ちょっと急に曲がったものだから、車内の全員が右に傾く。
「なんで左……東京駅方面なんだ?」
ハンドルを戻した新田が結衣に問いかける。すると彼女は、うーんと、なんとなくと言う返事。
ただここは結衣の魂の中。なんとなくと言う感覚が大事なのだろう……今の新田はその直感を信じることにした。