●第二十六夜 小名木(その一)
朱雀の翼を羽撃たかせ、東京の空を飛ぶ『
「もうすぐ皇居だよ! 大丈夫、息してる!?」
風圧で息も絶え絶えだった新田であったが、目的地である皇居が近付いたからか、結衣が肩口から伸びる朱色の翼を大きく広げたことで減速し、ホッと息を漏らす。
「だ。大丈夫だ……それより結界はまだ無事か!?」
そう結衣に新田は問いかけると、頷いた彼女は皇居の方を向く。
結衣の赤い瞳は霊視の瞳……見ることの出来ないモノも視ることが出来る特別な眼。
彼女はその視え過ぎる視界を制限するための眼鏡……アルビノ体質である自身の瞳を護るためもあり、黄色いレンズのサングラスを常用していた……を少しズラすと、皇居に張られた結界を視た。
「皇居の結界は無事! でも地下は分からない!!」
そう叫ぶ結衣の言葉に、新田は皇居の地下を思い出す。
確か結衣の魂の中に造られた東京の街では、地下鉄のトンネルが分岐し、皇居の下に秘密のプラットホームが設けられていた。
その先は迷宮のようになっており、その奥には妲己の話しによれば関東大震災の時に東京の街を壊滅させた大妖怪、土蜘蛛が封印されている間があるのだ。
「皇居の結界が無事なら、土蜘蛛は目覚めていない筈……結衣、急いで地下に、封印の間に行くぞ!」
「うん……!」
新田たちはそのまま地下鉄大手町駅の出入り口へと降下していく。
新宿駅が破壊された影響で電車が止まり、行く宛ても無く途方にくれていた通行人たちが、突然現れた二人に驚く。
「ごめんなさい、通ります!」
「ちょっと失礼する!!」
地下に降りた新田と結衣……結衣は朱雀の翼を背中にたたみ、コンコースを抜け改札を飛び越えると、電車の来ないプラットホームを新田と共に走る。
「線路へ飛び降りるぞ!」
先を行く新田がそう言うと、ホームゲートに手を置くと乗り越える。結衣も彼に続いて短いスカートをはためかせながら乗り越えると、そこにはスマートフォンのライトを点けた新田が待っていた。
「足元には注意しろよ? 電車は来ないと思うが……念のため急ごう」
確かに線路の上は枕木が等間隔で敷かれているとは言え走り難い。踏み外さないように注意しなくてはならないと新田の言葉に結衣は頷く。
二人はぴょんぴょんと飛び跳ねるように枕木から枕木へと渡り、地下トンネルを進む。
目的地は然程遠くない……なにせ、皇居の隣が大手町の駅なのだから。
トンネルに隠されていた扉を開くと、そこには短い編成の電車が停められていた。恐らく皇居に居られる方の脱出用の電車なのだろう。
新宿での事件があったためか、照明は点けられ職員と思われる人たちが走り回っている。
その横を、新田と結衣は素早く駆け抜けると、皇居の地下へと足を踏み入れるのであった。
迷宮のような皇居の地下……恐らく封印の間へ立ち入るのを防ぐためだろう。その迷宮内を今度は結衣を先頭に二人は走る。
「次はこっち! 瘴気が漏れてる!!」
「漏れ出る瘴気で道案内出来るのは助かるなっ!」
結衣を先頭にした理由……それは彼女の赤い瞳、霊視の眼だ。
その効果で最奥から漏れる瘴気を辿れば、道を誤ることもなく最短ルートを通ることが出来ると言う訳であった。
「進めば進むほど濃くなっていく……」
「自ら道案内してくれるとは、呑気な相手だ」
そう言う新田であるが、その顔は真剣であった。なにせ、瘴気が濃くなっていると言うことは、それだけ封印が解かれ大妖怪の復活が近いと言うことなのだ。
「新田、急がないと!」
「分かってる! 道はどうなってる!?」
「濃い! 瘴気が溢れてる!!」
視えない新田は気付いていないが、結衣の視界には二人の膝元近くまで瘴気が溢れて来ていた。
「新田は視えないかも知れないけど、かなり濃いからね。転ばないでよ!?」
転ぶと瘴気の渦の中……何があるか分からない、そう結衣は新田に告げる。
「視えないが、寒気は感じるよ……転びたくないのもな」
新田も新田で、見習いとは言え陰陽師である。視えなくてもそこに何かあるのかは分った。
「じゃあ、しっかり付いて来てよね!」
段々と濃くなる瘴気の渦。その中を掻き分けるように結衣と新田は駆け抜ける。
「結衣、待て!」
「どうしたの?」
新田の呼び声に、先を行く結衣が振り返りながら立ち止まる。
彼はポケットからコインを取り出すと、道の先に向けて指で弾く。
その瞬間、天井から粘性の液体……スライムが落ちて来て、コインを溶かしながら地面へと落ちる。
「これ、秋葉原で暴れた……」
「そうだ、スライムだ……ラストダンジョンが無防備な訳がないとは思ったが、厄介な番人を飼ってるじゃないか」
でもどうして気付いたの? との結衣の質問に、新田はこの一角だけやけに床が綺麗だと告げる。
「通りがかるネズミとかを餌にしてたんだろうな。そのついでに床を舐めてたんだろう……垢舐めとか言うあやかしを思い出すな」
ズラしていたサングラスを結衣が戻すと、確かに他に比べて床が綺麗であった。瘴気が視えない分、新田は床の状態が分かったと言う訳だ。
「で、どうするの? 迂回しても良いけど、道分からないよ?」
結衣が言う通り、恐らくスライムを迂回する道はあるのだろう。
だが、漏れる瘴気の量からでは迂回ルートは分からないと彼女はサングラスをズラし霊視の赤い眼で視ながら告げる。
「仕方ない……ここで霊力を消費するのは避けたいところだったが、やるぞ、結衣!」
「わかった……朱雀の炎よ、矢となれ!」
スライムが充満している部屋にわざわざ入る必要はない。結衣は式神の唐傘に朱雀の炎を通し弓に変え、新田はスマートフォンのストラップに化けた石灯籠のあやかし、式神の古籠火を構えると室外から炎を放つ。
「入り口のスライムから倒しながら進むぞ」
天井に炎を吹きかけながら新田が言うと、張り付いていたスライムがべしゃっと言う音と共に落ちて来る。
「了解だよ! 行くよ!!」
新田にそう返すと、落ちて来たスライムに炎の矢を射る結衣。
ジュ、っと言う音を立てスライムの体内に突き刺さった矢は、命中した先からその体液を蒸発させていく。
「いいぞ、結衣。俺も……!」
手にした古籠火から炎を吐きだし、まるで掃除をするかのようにスライムを剥がしていく新田は、入り口付近を片付けたと言うことで部屋の中へ一歩踏み出す。
途端に新田の足が床の中へと沈み込み、慌てて入り口の床に座り込むと足を引き抜く。
「大丈夫、新田!?」
「こ、この部屋、床自体がスライムで出来てやがる……」
驚く結衣に、脚についた粘液を焼き払いながら新田が答える。
床は擬態がバレたからか、床全体が青色の粘液で満ちたプールに変化する。
「流石に、ここは通れないね……」
粘液のプールに向けて結衣が炎の矢を射るも、スライムの量が多すぎて蒸発させることが出来ない。
「遠回り、する?」
攻撃が通じないと首をふるふると横に振りながら新田へと向く結衣に、新田は腕を組むと顎を指で触る。
「強行突破したいところだが……仕方ない。結衣、他に瘴気が漏れて来ている通路は分るか?」
「オッケー、調べてみる。ちょっと待って……うん、多分こっちだと思う」
サングラスをズラし、霊視の瞳で瘴気の渦をジッと見つめる結衣は、僅かにこちらに向けて流れる瘴気の流れを見つけ出すと新田を呼ぶ。
「こっちか……よし、行くか。スライムは俺が注意するから、結衣は瘴気を追ってくれ」
瘴気が視える結衣と視えない新田で役割を分担しつつ、迷宮の中を走る。
東京を滅ぼした大妖怪、大蜘蛛が封印されている最奥の間……東京の壊滅を企む天海僧正こと、明智光秀に仕えるこなきじじいのあやかし、小名木は、訪れた人の気配に同僚の九尾の狐のあやかし、妲己の名を呼ぶ。
「おや、妲己さん。遅かったですね?」
だが返事がない……おかしいと思った彼が部屋の入り口を見ると、そこには二人の男女の姿があった。
「残念だったな、妲己は倒したよ……一尾だけだけどな」
「その声……! 千紙屋の新田か!?」
「私もいるよっ!」
最奥の間に現れたのは、あやかし向けの融資・保証を行う『千紙屋』……の真の姿。
東京で起こるあやかし事件を解決する『千神屋』所属の見習い陰陽師、新田周平と、同じく見習い女子高生陰陽師である芦屋結衣の二人。
ポーンと部屋の中に妲己の残した尻尾を放り投げる新田に、小名木はワナワナとその身を振るえさせる。
「その様子……どうやら間に合ったようだな? 小名木、ここでお前を倒させて貰う!」
古籠火を構える新田に、震えを止めた小名木は笑い声を上げる、
「倒す? 私を倒す!? ……面白い、やってみるが良い」
ニヤリと笑う小名木の姿に炎の剣を構えた結衣が吼える。
「何が面白いの! あんたたちのやったこと……許されないことだよ!?」
妲己により呼び出された半魚人やがしゃどくろ……それにより破壊された新宿駅。
大勢の怪我人や死人が出た。が、小名木たち天海僧正一派による事件はそれだけではない。
秋葉原でのスライムの暴走や海ほたるを占拠すると言った、立て続けに一般人に被害を出す事件を起こしていた。
東京を守護する四聖獣の一体、朱雀に東京を護ると誓った結衣は、その東京が破壊されるのが許せなかった。
東京を、そこに住む人々の暮らしを、友人を護るのが彼女の使命。
それを壊す天海僧正たちを、結衣は許せないのだ。
そしてその気持ちは新田も同じ。東京を、結衣を護ると決めた彼もまた、天海僧正たち……特に自分を操り結衣たちと敵対させた小名木が許せなかった。
「ふふ、良い感じに怒りに飲まれていますね……その波動が心地よいです」
怒りの感情に支配される新田と結衣の二人に向け、うっとりとした表情を見せる小名木。
それが余計に二人の感情に火を点け、行動に走らせる。
「古籠火! 奴を燃やせ!!」
「唐傘っ! 炎月斬、行くよっ!!」
式神を構えた新田と結衣が同時に動く。新田の石灯籠の式神、古籠火の灯り部分から炎が吐き出され、結衣の構えた唐傘お化けが剣になり三日月の燃える剣撃を飛ばす。
「ふむ、それくらいなら、交わす必要もありませんね」
炎の渦と斬撃を受ける小名木だが、動じた様子がない。
「そうか、小名木はこなきじじいのあやかし……身体は石で出来ているのか」
「半分正解ですね。私は身体を石に変えると同時に重さを……質量も操ることが出来るのですよ。それを外に向ければ、ほらこんなことも出来ます」
そう手を新田たちに向けると、超重力でその動きを封じる小名木は悠々と告げる。
こなきじじいとは、赤子の姿で気を引き、背に乗せればじじいの姿まで成長すると同時に身体を石に変えるあやかし。
その石の身体は、重さを背負えないぐらいまで自在に変える。
新田たちも年齢操作が出来ることは知っていたが、質量を操作出来ること……そしてそれを外へ向けられることまでは知らず、段々と重くなる身体に新田と結衣は必死に耐える。
「さて、どれくらいまで耐えられますかね?」
七十キロ台の新田と四十キロ台の結衣の体重は倍以上になり、遂に立っていられなくなる。
地面に大の字で這いつくばり、辛うじて動く瞳で小名木を睨む。
「どうしました、千紙屋さん。これで終わりとは言いませんよね?」
揶揄うように声を掛けて来る小名木に、二人は何とか式神を向けようとする。
「こぉ……なぁ……きぃ……っ!」
動けなくても、炎の虎なら……そう新田はスマートフォンを手に叫ぶ。
古籠火と共に、手にしたスマートフォンにストラップとして下げた呪具、白虎の牙に霊力を注ぎ、白虎の形をした炎の虎を生み出す。
炎の白虎は、新田の意に応えるかのように小名木へと向かって駆け出すのであった。