●第二十六夜 小名木(その四)
その日、皇居におわす方々は、昨夜の新宿駅での事件を受け寝ずの体勢を取っていた。
国家鎮守の要たる陛下たちは神聖なる鎮守の森で鎮魂の祈りを捧げる。
だが、彼らの直下から、巨大な地響きと共に大妖怪、土蜘蛛が皇居を壊しながら復活する。
「陛下、お逃げ下さい!」
「そう言う訳にも行きません、この国の鎮守のため私たちは生を得ております。国家未曾有の窮地です、逃げる訳にはまいりません」
近衛の者にそう言われるも、祝詞を唱え皇居の結界で土蜘蛛の復活を喰い止めようとする陛下。
だが皇居に張られている結界の要の一つ、丑寅の方角にある
「くっ、無念です……」
「陛下! 早く地下壕から避難電車へご乗車下さい! 東京が……滅びる前に!!」
そう近衛に説得されると、悔しそうにまだ無事な地下道を通り、陛下は安全な都外へと避難をする。
陛下が避難した直後、東京の街を襲う大地震と共に、崩れた皇居を踏みしめ封印されていた大妖怪、土蜘蛛は復活した。
「あれが、大妖怪。あれが関東大震災の原因である土蜘蛛、か……」
東京直下を襲った大地震により辺りは停電し、都心の明るさは消えた。
崩れたビルや商業施設、家屋が潰れ逃げ惑う人々……この事態を防ぐため戦っていた『千紙屋』の
「結衣、東京の建物は古い物もあるが、耐震性のある建物も多い……地震の影響はない物と考えろ」
それよりも、今は復活した土蜘蛛の対処だ。そう彼は結衣に告げる。
復活した土蜘蛛が本格的に暴れ出したら、それこそ東京は火の海になるだろう。
そして東京を護る四神結界の一柱、再生の力を司る朱雀の力が衰えた今、一度壊れれば東京の復活は難しい。
「分かってる……私の中の朱雀が言ってる。割れた卵は戻らない。この東京の街は、壊れたら終わりだって」
「なら、やるべきことは決まったな……俺たちで、あの土蜘蛛を倒すぞ」
そうして、二人の見習い陰陽師に、東京の未来は託されたのであった。
それは鬼の顔をしていた。
それは虎の胴体を持っていた。
そしてそれは、蜘蛛の手足を揃えていた。
関東大震災を起こし、江戸城を崩し、東京を壊滅させた大妖怪、土蜘蛛。
そんな土蜘蛛の足元である皇居であった場所に、新田周平と芦屋結衣は降り立つ。
「で、どうやって戦うの?」
結衣の問いかけに、新田は土蜘蛛の姿を見上げながら答える。
「最大火力でぶつかるしかないだろうな……ちまちまやっていたら東京の街に被害が出る。結衣は空から、俺は下からだ」
作戦と言う程の作戦ではない。どちらかと言うと無策にも近いと言えよう。だが、それ以外に戦う方法がないのだ。
相手は巨大なあやかし、それも大妖怪と呼ばれる規格外な物。ちっぽけな人間でしかない新田と結衣の二人にはアリと象より巨大な山である。
だが、二人は見習いとは言え陰陽師。普通の人間に出来ないことも出来る。
例えばそう……二人に力を与えてくれる四聖獣、白虎と朱雀の力を借りると言うことも。
「白虎の牙よ、我にその力を貸し与えたまえ……古籠火、炎の虎を生み出せ!」
「朱雀の炎よ……土蜘蛛に炎の捌きを! 炎の、矢ぁぁっ!!」
土蜘蛛の足元を、新田が生み出した炎の虎が駆ける。そして炎の爪で土蜘蛛を斬る。
結衣は弓に変えた式神の唐傘お化けに炎で出来た矢を番え、次々と打ち放つ。
だが土蜘蛛の巨体は怯まない。陰陽師たちの攻撃をいとも簡単に弾くと、南に向かって歩き出す。
「何処へ行く気だ!?」
「多分、朱雀だよ……今の東京で弱っている四神が分かるんだ。それと、再生の象徴だから」
追いかける新田の上を滑空しながら、結衣がそう答える。
朱雀は南の平地・湖沼に宿る聖獣。だが南の地……江戸湾、東京湾のある臨海地区は再開発で高層ビルが立ち並んだ。
高層ビルは山……北の玄武の特性を持つ。反属性の山の属性に取り囲まれ、朱雀は急速に力を弱めていた。
そして朱雀は別名不死鳥とも呼ばれ、破壊と再生を表す。その力が衰えたことにより東京の復活する力は失われると同時に、土蜘蛛に施されていた結界のうち一つは破壊され、その復活に繋がっていた。
「あぁっ、国会議事堂が!」
「構うな! 建物は直せる! それよりも前に回って侵攻を遅らせろ!!」
皇居の周りを取り囲む御堀を飛び越え、国会議事堂に着地する土蜘蛛。
蜘蛛の脚を振るい議事堂を崩すと、隣接する日枝神社を破壊。そのまま建物を壊しながら南へ……東京タワーの方角を目指して進む。
「普通の蜘蛛と違って、鬼の顔だから眼が少ない……ひょっとして、狙えるかも!」
少しでも侵攻を遅らせるため、先回りした結衣は、土蜘蛛の顔を改めて見る。
その顔に複眼はなく、代わりに鬼の眼が二つ……柔らかい眼であれば、針のような攻撃でも通ずつかも知れない。
そう考えた結衣は、朱雀の力を使い周囲に無数の炎の槍を生み出す。
「下手な鉄砲も何とやら! 当たるまで撃つよ!!」
結衣は右手を掲げ、土蜘蛛に向かって右側……左目へと向かい指差し示す。
すると宙に浮かんだ炎の槍たちが、次々と土蜘蛛へと目掛け放たれた。
「いけっ、炎槍嵐!」
流石に眼に当たるのは嫌なのか、炎の槍が迫ると土蜘蛛は瞼を閉じたり、頭を動かしたりとなかなか命中弾が出ない。
それでも結衣は動きが止まったことを良いことに、眼に当たるまで炎の槍を生み出しては投げ放つ。
「ここは……国道一号線、東海道か! ならば、白虎の力が強くなるかも知れない!!」
結衣と土蜘蛛を追いかける新田と言うと、自分が今、日本橋を起点に西へ下る東海道……国道一号線に居ることに気付く。
彼が力を借りている白虎は、東海道に宿る……物流の拠点である東海道は、東の隅田川に宿る青龍と共にその力に衰えを知らない。
むしろ京都、大阪、名古屋と言った西の都市が発展すればするほど、その力を強めていた。
「分身の札は後三枚……今は切り時ではないな、必ず切るタイミングが来る」
新田が得意としている術の一つに、人型の札を使った分身の術がある。
霊力の消耗は激しいが、四人の新田による分身攻撃は並みのあやかしであれば一撃必殺の威力がある。
炎の白虎は、あの妲己ですら倒せる攻撃力……だがここで使うタイミングではない、そう彼の感が言っている。
神……平将門に仕えてから、彼の感は当たるようになっていた。
神託と言う物に近いのだろう。だからこそ今はその直感を信じ、新田は単身のまま白虎の牙に霊力を通し炎の虎を生み出す。
「……東海道の霊力を吸ったからか? なんだか何時もより大きい気がするな」
石灯籠の式神、古籠火の灯りの部分から炎が吐き出され、炎の虎を形作る。
しかし、何時もより霊力の通りが多い……まるで東海道、国道一号線が力を貸してくれたかのようだ。
「強くなるなら御の字だ……炎の白虎よ、奴の脚を止めろ!」
土蜘蛛の脚に向かい、白虎が吼える……その様子を、崩れた皇居より眺める者が居た。
失った両腕に瓦礫で出来た岩や石を張り付け、歪な義手にした小名木は、ポケットから煙草を取り出すと口に咥え火を点ける。
「ふふふ……土蜘蛛よ、この東京を灰塵に帰しなさい。それがあなたの願い……魔界を作ることにも繋がり、天海僧正の望みです」
土蜘蛛の望み。それは魔界と呼ばれる世界を作り出すこと。
もともと土蜘蛛はかつて地上を支配した土豪と呼ばれ、
そんな彼らが支配する世界……それを魔界と呼ぶ。
土蜘蛛は土豪たちの怨念の塊。高天原の神々を破壊し、地上を更地に変え、それを天海僧正……明智光秀が支配する。
最後の仕事だ、と小名木は投げ捨てたタバコを足で揉み消すと、ユラユラと幽鬼のように歩き出す。
東京を破壊するにはまだ足りない。この街は幾重にも張られた結界都市……残る結界を破壊せねば、この街で百鬼夜行を起こせない。
小名木が避難民で溢れる皇居の大手門から東京駅の駅前へと出ると、夕方が近いのに停電で街の灯りは灯っておらず、赤い夕陽がまるでこの街が流した鮮血のようであった。
夕日で赤く輝く東京タワーに土蜘蛛が迫る。
「不味い。このままでは増上寺が踏み壊される!」
東京タワーの足元に広がる増上寺は徳川家の菩薩寺……同じく徳川家の菩薩寺で、江戸城の鬼門を護る寛永寺と同じく東京結界の礎。
破壊されては堪らぬと新田は白虎に命じる。
「何をしてもいい、土蜘蛛を喰い止めろ!」
新田のその言葉に、炎の白虎はふと振り返る。まるで本当に良いのだな、と問いかけるかのように。
「あぁ……白虎、頼むぞ!」
そう叫んだ新田の中から、力……霊力が急激に吸われていく。
容量は問題ないが、一気に吸われたことから貧血気味になる彼は、視界が白黒のモザイク状になり地面に倒れ込む。
だが、その甲斐があったのか、霊力を吸収した白虎は土蜘蛛と変わらぬ姿まで巨大化し、土蜘蛛の進路を塞ぐように立ち塞がった。
「炎の白虎……おっきくなっちゃった? 新田、大丈夫!?」
巨大化した炎の虎の姿に驚き、倒れ込んだ新田を心配する結衣の前で、白虎が吼える。
そして倒れながらも、土蜘蛛の方を指差す新田の指示で、白虎は駆け出す。
「止まるな……結衣。俺は休めば大丈夫だ。白虎と共に、戦え!」
「うん……新田もしっかり休んでて、行って来るっ!」
直ぐに復活する……と言う新田の言葉を信じ、結衣は朱雀の翼を広げる。
生み出される炎の槍の数は変わらないが、それを今度は空中でひとまとめにした。
「ちまちま削るのは飽きたんだよっ! えぐり取ってやる、大爆炎槍!!」
巨大な炎の螺旋を描く槍の束を土蜘蛛の顔面目掛けて投擲する結衣。それと同時に巨大化した炎の白虎も走り出す。
土蜘蛛も不味いと思ったのか、大きく後ろに飛び跳ねる……着地した先で巨大な地響きを起こしながらも、距離を稼いだ土蜘蛛に結衣の槍と白虎が迫る。
「うん? 白虎が先に攻めるのね……わかった。よろしく!」
巨大化した炎の白虎から意思のようなものを感じた結衣は、それに従うと槍の速度を落とす。
すると白虎はそれに合わせるかのように一気に加速し、土蜘蛛に飛び掛かると抑えかかる。
「まるで怪獣大決戦……」
ビルや家屋を破壊しながら暴れ回る土蜘蛛と、それを抑えようとする炎の白虎。
二体の巨獣が暴れ回れば、その周辺は更地になる。
結衣が見る限り、土蜘蛛と白虎、二体の強さは同等と言ったところであろうか? 東京を滅ぼした伝説の大妖怪に対しても、炎の白虎は一歩も退かない。
これは白虎が東海道の力を得ているのが大きいだろう。
白虎の宿る西への大道は東海道……国道一号線だけではなく、東名自動車道や東海道新幹線など、年を下るにつれその数は増え、その上を通過する人数も毎年のように増加し力が強化されていく。
今、四聖獣で一番強いのは白虎ではないか、そう結衣は思う。
そんな白虎が土蜘蛛の首元に噛みつき、動きを止める。
「今だ! 大爆炎槍、いっけーっ!!」
その瞬間だ、動きを停止させていた巨大な炎の槍を結衣は一気に解き放つ。
空中で螺旋を描き、それは土蜘蛛の左目を狙い飛んでいく。
動けない土蜘蛛は瞼を硬く閉じ、瞳を護ろうとするが、穿たれた炎の槍はその瞼を貫通し瞳を抉る。
次の瞬間、痛みからか蜘蛛の脚を暴れさせ、白虎を振り解くと刺さった槍を引き抜く土蜘蛛……どうやら脳までは達しなかったようであったが、穿った炎の槍は目的を果たしたようだ。
「片目になったみたいだね……これで左からの攻撃には弱くなった! 白虎、私が右から惹きつけるから、攻撃をお願い!!」
そう結衣が叫ぶと、白虎は了解の意味を込め天高く吼えるのであった。
霊力を一気に抜かれ、倒れた新田は夢を見ていた。
それは江戸城の鬼門にある結界の源、寛永寺が小名木によって破壊される姿。
そして、次に彼が向かうのは、更に東北に位置する神田明神……江戸総鎮守であり、平将門が祀られている社。
そして彼に呼びかける声が聞こえる。とてもよく見知った声だ。
『新田君……聞こえていますね。今、あなたの脳内に直接語り掛けています……小名木の目的は、神田明神です。土蜘蛛によって四神結界を破壊し、そして皇居結界を破壊することで東京で百鬼夜行を行おうとしています』
「(将門社長……?)」
秋葉原は『千紙屋』で待つ平将門……神田・秋葉原の氏神のため、この地を離れられない彼は、新田と結衣にこの事態の収拾を任せるしかなかった。
『既に山手線・中央線による仏の手結界は破壊されました……東京を護る三重の結界、残る二つのどちらかが破壊されれば、彼の野望は叶ってしまいます』
「(分かりました……小名木も、土蜘蛛も、俺と結衣で何とかして見せます!)」
頼みましたよ、新田君……その声と同時に、新田は目覚める。
短い休息であったが、東海道の上に居たためか霊力はバッチリ回復している。
夢で視た将門のお告げが正しければ、残された時間は少ない。
神田明神が最後の砦……それを破壊される前に、土蜘蛛を倒し、小名木を倒さねばならない。
「結衣! 待たせたな、このデカブツ、さっさと倒して次に向かう必要が出来た! 行くぞっ!!」
新田の声が空を舞う結衣に届く……力強くうんと頷いた彼女は、土蜘蛛へと向かい浄化の剣を構えるのであった。