三月たちが退学試験を受けている体育館から少し離れた校舎にて、その試験は行われていた。
通称──『新学期前試験』。クラス2以上の生徒らが強制参加となる、新学期前の最終試験である。
本来であれば、1年を通して得た成績に応じて新学期のクラス分けが確立される。しかし、中にはあと一歩で上のクラスに届かなかった者や、想定外の事態でクラスの降格を余儀なくされた者もいる。
そんな者達にとっての最後のあがきの場として設けられているのが、この『新学期前試験』である。
多くの生徒が一堂に会するこの試験会場は、三月たちがいる体育館よりも遥かに熱気を帯び、熾烈な戦いが繰り広げられていた。
(……さて、注目すべきはやはり彼女ですか)
学園の勢力図を把握するため、外野から観戦していた彩香の視線は、試験の中でひときわ異彩を放つ少女に向けられる。
(生徒番号229番、『
会場の奥、静かに対局を続ける少女。彼女の指先が駒を置くたびに、相手の戦意が削がれていく。冷徹なまでに計算された冷たい攻め筋は、相手にとって一瞬の隙も許さず、反撃の機会すら与えない。
──彩香が観戦に来る前からすでに何人もの対戦相手を打ち倒し、連勝を重ねていた。
("氷結の女王"とまで呼ばれている彼女の実力は……クラス4。あの若さで既に学園の卒業条件を満たしている大物新人ですか)
彩香は手に持った資料をめくりながら、神無月の驚異的な成績を再確認する。
昨年、天将学園に入学したばかりの新人。……にもかかわらず、瞬く間にクラス1の頂点に立ち、桜が散り終わる前にはクラス2へと昇格。
そして半年をかけてクラス3へと上り詰め、年度末の最終試験でクラス4に到達していた。
(改めて見ても凄まじい成績……。たった1年でこれほどまでに学園内での地位を築き上げるとは。『不可侵』と言われるクラス5への昇格も時間の問題ですね)
彼女の思考の間にも、神無月はさらに勝利を重ねていく。
"強者"──という言葉はまるで彼女のためにあるかのように。
今回神無月たちが参戦している『新学期前試験』は、将棋に対局におけるポイント奪取戦である。
すべての参加者が一定のポイントを所持した状態でマッチアップを行い、対局の結果とクラス差によってポイントが変動する仕組みだ。
そして神無月のクラスは4。クラス2やクラス3の生徒にとって、彼女は"ローリスクハイリターン"に見合う格好の相手だった。
さらには、入学からわずか1年という経歴のせいで、同じクラス4の強豪と比べても神無月の実力は一見見劣りするように思われる。そのため、神無月に挑戦しようとする者は後を絶たない。
そんな状況も相まってか、格下とばかり戦うことになっている神無月は途中からつまらなそうな表情を見せ始める。
「はぁ……めんどくさいわね」
神無月は小さく溜息をつきながら、次の対局へと向かう。
挑んでくる相手は皆、格下。どれだけ連勝を重ねても、彼女が自分より格上のクラス5やクラス6の生徒達と戦わない限り、今日だけでクラス5へ昇格できるほどのポイントは得られない。
それでも、この試験で得たポイントは新学期以降の所持ポイントにも加算される。そのため、どれだけ小さい変動であっても、神無月にとってはこの試験は"狩場"としては十分に価値があった。
──それから数時間後。
あれだけ熾烈を極めていた『新学期前試験』も段々とおさまりが見え、満足する者、目を輝かせる者、あるいは絶望に浸る者など多種多様な雰囲気が漂うようになっていた。
「そろそろ頃合いかしらね」
もう何局目になるのか。神無月は最後の対局を終えると、静かに席を立ちあがる。
そして、眠たそうに隣に座っていた少女の肩を軽く叩いた。
「……んあ?」
肩を叩かれた少女は振り向くと、大きなあくびをして同じく立ち上がる。
「行くわよ、
「もういいの? 凛」
「ええ」
知音と呼ばれた少女は、神無月の指示に従うように隣に付き添う。
今回の『新学期前試験』では、一定のポイントを超過した者にはいつでも自由に試験を抜けられる権利が与えられている。そのため、その条件を満たしている神無月は、早々にその試験を切り上げるつもりだった。
「おい、見ろよ……」
「あれが噂の……『氷結の女王』と『眠り姫』……!」
「今日の試験、二人とも全勝らしいぞ……」
「なんだよそれ、いくらなんでも強すぎるだろ……」
神無月と知音が歩き出すと、その道の先に集まっていた周囲の生徒たちは恐れるように道を開ける。
1年を通してみても半信半疑だったあの噂は本当だったと、今日の試験で他のクラスにまで知れ渡る二人の異名。──彼女たちの噂は、今日の試験を経て、より多くの生徒に知られることとなった。
そして、二人はそんな周囲の反応を気にも留めず、試験会場を後にする。その足取りには、すでに新学期での安泰な学園生活を確信するような余裕さえある。
やがて、彼女たちは三月たちの退学試験が行われている体育館の前を通りかかる。
「……凛?」
体育館前で足を止めた神無月に、知音は声をかける。
その知音の視線は決して体育館の中に向くことはない。
「私は少し見ていくわ、知音はどうする?」
「アタシはいいよー」
「そう? 珍しいわね、いつも新しい情報には目が無いのに」
「だってー、中に入りたくないもん」
「……?」
知音の態度に違和感を覚えた神無月。しかし、少し考えた後、彼女は思い当たる。
「……あぁ、そういえば今年だったわね、アナタのお姉ちゃんが入学してくるの」
途端に沈黙する知音。
普段は余裕の笑みを浮かべる彼女の表情が、珍しく
「……嫌いなんだよ、あの人」
「へぇ、知音がそんな風に人嫌いするなんて相当ね。アナタのお姉ちゃん、そんなに強いの?」
「強いなんてもんじゃないよ。……怪物」
何とも酷い表現をする知音の心情からは、嫌悪というより恐怖のようなものが窺える。
「それは戦うのが楽しみね」
「後悔しても知らないよー。……まぁ、そういうわけだから、アタシは先に帰るね」
「分かったわ、またね知音」
「またねー、凛」
そう言い残し、知音は先に帰路につく。
「……それにしても、あんなに嫌悪してるところを見たのは初めてね」
神無月はそう呟き、静かに体育館の扉を開けた。
「──