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命の選別

 引き金に指を掛け、感情を殺して引き金を引く。ゴーグルに飛び散った血をグローブで拭い、両手で頭を抱えて伏せる女の脳天へ銃口を向けた男はHHPCを一瞥し、女が捕縛対象外の人物であることを確認すると躊躇なく銃を撃つ。


 短い射撃音と飛び散る脳漿、咲き誇る鮮血の赤い華……。ブーツの靴底に血が染み込み、目の前に組み伏せられた人々を見渡した男は、その中に下層街治安維持兵部隊長が居る事に気が付いた。HHPCの捕縛対象リストには彼の名前が記されていた。


 白いバスローブ一枚だけを羽織った部隊長はガクガクと全身を震わせ、周りを歩き回る部下へ慈悲を乞うような視線を向ける。だが誰一人として彼を庇う者は存在せず、己に課せられた任務を粛々と熟す姿は治安維持兵の鏡と称すべき行動。憐れみを含んだ視線をかつての上司へ向けた男は、ヒドロ・デ・ベンゼンで培った罪悪を持ち帰ろうとした同僚へ視線を向けた。


 銃を持つ兵士へ反抗しようとする人間は誰も居ない。薬物で脳を冒され、果てしない欲望に骨の髄まで焦がされていようとも、圧倒的な武力の前には些細な抵抗など無意味であると自覚しているのだろう。丸腰の人間が得物を握る兵士に敵う筈が無い。それだけは理解している同僚達へ一種の敬意を払った男は、己等を遠巻きで見つめる肉欲の坩堝構成員へ視線を這わす。


 質の悪いアサルトライフルを構え、危害を加えようものなら即刻射殺しようとする強い殺意。二十四時間三百六十五日薬物で満たされたガスマスクで鼻と口を覆い、焦点の合わない瞳で欲望を滾らせる構成員の姿は男からして見れば異常の一言だった。もし銃口を構成員へ向け、空薬莢の一つでもチャンバーから排出しようものなら彼等は兵士同様一切の迷い無しに戦闘行動を開始する。此方が全滅するか、敵が死に絶えるか……血で血を洗う戦いを想像した男は深い溜息を吐き、指先を震わせる若い兵士の肩を叩く。


 「あんまり緊張するなよ、俺等が黙ってれば連中は何もしない」


 「……」


 「もし不安なら安全装置を外すなよ? 殺しが嫌なら俺が代わりにやってやる」


 「先輩は」


 「ん?」


 「嫌じゃ……ないんですか? 自分の上司と、仲間を殺すのに、抵抗は無いんですか?」


 「馬鹿だな、そんなことを躊躇っていたら下層街勤務なんて希望しないし、直ぐに異動願いを出すだろうさ」


 「じゃぁ先輩は何で」


 「金のため」


 「……」


 「給料は良いからな、下層街勤務は。それだけさ」


 「そう……ですか」


 目鼻口を覆うガスマスクの向こう側で、黒い遮光レンズの奥にある兵士の目には何が映っているのだろう? 床に組み伏せられ、両手を頭の上に乗せた人間を哀れに思っているのだろうか? 


 一人ずつリストと照らし合わせ、名前が記されていない人間を処分していた男は命乞いを始めた同僚を撃ち殺し、諦念を醸し出す部隊長へ銃口を向ける。


 「……私を、殺すのか?」


 「リストに名前がなければ」


 「恩を仇で返すつもりか?」


 「これが俺の仕事ですので」


 「……お前には、血も涙も無いのか⁉ 私には家族が居るんだ、幼い娘と妻が」


 「妻子が居ても女遊びをする余裕があるのは羨ましいですね。あぁ勘違いしないで下さい、俺は下層街勤務になってからそう云ったモノを断っていたので。それと、良かったですね。隊長はリストに名前がありました。中層街の法務官とゆっくり話してきてください」


 口汚く罵る部隊長から視線を外し、次へ向かった男は深く項垂れる同僚へ銃口を向ける。


 「……殺すのか?」


 「リストに名前が無かったらな」


 「……本当に?」


 「それが俺の仕事だよ、お前だって昔は喜んで人を殺していただろう? まぁ俺は自分のやるべき事だったから殺していたけどな」


 「……嫌だ」


 「……」


 「嫌だッ!! 死にたくないッ!! 頼むよ、助けてくれよ!! もうこんな場所で遊ばないから、お前から新しい部隊長に」


 短い銃声が木霊した。脳天を撃ち抜かれたかつての同僚は瀕死の魚のように痙攣し、やがて動かなくなる。HHPCを操作した男は捕縛対象外リストにチェックを入れ、淀んだ瞳で次へ足を進めた。


 金の為に人を殺し、任務を言い渡されたのならばそれに従うのが兵士という生き物だ。引き金を引き、血を浴びる瞬間に自我を殺せば仕事として割り切れる。銃を握る手に感情など必要無い。倫理やジレンマを心の棚に乗せ、人間性を排して行動する。己は人間ではなく兵士であると言い聞かせ、自分自身を騙し通せなければ生きられない。


 無感情に引き金を引き続け、両脚を真っ赤に染めた男は若い兵士へ視線を寄せ、ゴーグルを手で覆う姿に呆れてしまう。自我を切り離せないなら、感情を殺せないのなら兵士を止めてしまえばいいのにと。ちっぽけなプライドを殴り捨て、中層街に戻って違う職を探せばいい。別に自分自身を追い詰めてまで従事する仕事でもなかろうに。


 「大丈夫か?」


 「……」


 「少し休んでろ。後は俺と他の兵士がやる」


 「……大丈夫、です」


 「……ハッキリ言えばいいか?」


 「……」


 「足手纏いだ。人を殺せない奴が、血を見ることも出来ない奴が兵士になんぞなるんじゃない。お前はこれからも凄惨な光景を眼にするぞ? 目を覆っても、口を塞いでも、鼻を摘んでも意味は無い。前にも言ったよな? 兵士を辞めるか、中層街に戻るかを。せっかく隊長に話を通してやったのに」


 「……」


 掌をギュウと握り締めた兵士は銃の安全装置を外し、男の横を通り過ぎると深呼吸を繰り返す。眼前には全裸で這い蹲る男女の姿があった。


 HHPCを操作して捕縛者リストの中から必死に名前を探す。どうかこの手を血に染めないでくれと。拭っても拭いきれぬ罪悪を背負わせないでくれと。額から流れ落ちた脂汗が兵士の目に沁み、荒くなる呼吸と合わせて心臓の鼓動が速くなる。

 「―――ッ!!」息を飲み、リストに記載されていなかった名前と顔に脳が拒絶反応を示す。救いを求める女の瞳が兵士の瞳と重なり合い、影に蠢く狂気が殺意を呼び「馬鹿野郎」耳元で男の声が囁かれると銃声が鳴り響いた。


 「……」


 「今回の作戦が終わったらお前は中層街に戻れ。兵士なんざ……お前のような甘ちゃんには向いてねぇよ」


 「……はい」


 深い溜息を吐いた男は兵士の肩を叩き、HHPCへ目を向けると別動隊からの入電に気付く。


 「タスク1、応答しろ」


 「此方タスク1、ニトロ1どうぞ」


 「作戦は終了だ。違法プラントは既に破壊されていた」


 「了解、捕縛者を連れて撤収する。最重要保護対象はどうした」


 「問題無い」


 違法プラント破壊の為に投入された部隊が引き上げを決めた以上、此方も撤収するべきだ。男は新たに据えられた部隊長へ目を向け、僅かに頷くと捕縛者を立ち上がらせて歩を進める。肉欲の坩堝構成員の舐めるような視線に耐えながら、銃で元部隊長の背を押した。


 「……野良犬が飼い犬にでもなったつもりか?」


 「……」


 「所詮お前等は……いや、俺達は上に飼殺される運命にあるんだよ。その殺される前に、良い思いをしようとしたのは間違いか? えぇ? 俺達は」


 「違うな」


 「……」


 「飼い犬にも、野良犬にも、嘘で塗り固めた誇りがある。俺はな……家族の為に人を殺すんだよ。アンタらみたいに私利私欲の為に殺すんじゃない」


 「……そうかよ」


 「そうだよ」

 男の低い声が有無を言わせず元部隊長の言葉を否定し、嘘を上塗りする欺瞞であることを強く自覚させる。だが、そんなものは結局のところ自分が背負うべき罪悪を見なかったことにしたいだけなのかもしれない。体の良い言い訳を並べ、騙し騙しで生きていく。それが男の選んだ道であり、地獄への片道切符。


 ふと視線をエレベーターへ向けた男は、銀の少女を背負って駆ける知人を見かけた。黒いアーマーに身を包み、灰色の髪を靡かせる屈強な青年へ手を振った男はそのままヒドロ・デ・ベンゼンを後にした。



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