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拙く、脆く、強かに

 何故グローリアが此処まで己を信じてくれるのか分からなかった。銃口を突きつけられている関わらず、ヒドロ・デ・ベンゼンと変わらない友愛の情を示すグローリアはダナンにとって理解できない劇薬であり、彼が信じ続けていた下層街での生き方を根本から揺るがす人間の形をした劇物。機械腕を撫でるグローリアの手を振り払い、黄金の瞳を一瞥したダナンは舌を打つ。


 「……グローリア」


 「何だい? ダナン」


 「……お前がどんなに俺を友人だと言っても、耳障りの良い言葉を吐いたとしても、俺は多分……お前を本当に信じることは出来ないだろう。下層街で生きてきた俺と、中層街のお坊ちゃまであるお前とは文字通り住む世界が違うんだから」


 「……」 


 殺さなければ生き残れず、生きる為に他者を殺し続ける下層街。権利と自由が保証され、法の下で人が裁かれ生きる中層街。命の価値が全く違う世界で生きるダナンとグローリアの間には不可視の壁が存在しており、その壁は分厚く硬い心理の障壁。


 誰かが死んでも気にも留めず、路地に腐った死体が転がっていてもそれが普通のことであると、驚嘆に値しないと割り切る下層民は死に対して無頓着だった。自分さえ生きていれば是と断じ、殺意を以て牙を剥く他者の命は非ずと処す。ダナンも下層民の例に漏れず生き残るためには他者を踏み躙り、躊躇いなく銃の引き金を引く。無慙無愧の悪鬼達が弱肉強食の理に弄ばれ、従わざるを得ない辺獄で友人を持つことは贅沢なことなのだ。


 「グローリア、お前は俺が泣いていると、自分自身を殺していると言ったな? ……俺はな、さっき、昔の馴染を殺した。旧い友人をこの手で殺したんだ」


 機械腕から展開した超振動ブレードの刃が肉に深く埋もれ、生温かい血が刀身を伝って地面に落ちる感覚を覚えている。呼吸が時間とともに薄くなり、命が潰える瞬間を嫌でも感じ取っていた。救って欲しいと祈り、殺して欲しいと願ったセーラの命を自らの手で奪ったダナンはグローリアをドス黒い瞳で見据え、薄く笑い、


 「友人であろうと俺は命を奪った。他人……それこそ顔も知らない誰かを殺すことに迷いは無いし、殺す必要があるなら躊躇わない。だが……俺は、信じてくれた人間さえ殺すことが出来る屑なんだよ。そんな塵屑が……お前と友人になんて成れる筈が無い。いや……なっちゃいけないんだ。理解しろよ……グローリア」


 歩き出そうとした瞬間、胸ぐらを掴まれ頬を思い切り殴られる。


 熱を伴った痛みと口の端から流れた血。眼を白黒とさせ、驚いた表情を浮かべるダナンの眼に映ったのは、極限にまで抑え込んだ怒りを湛えたグローリアだった。


 「そうやって……君は誰とも向き合わずに逃げ続けるのか?」


 「……」 


 「自分だけを視界に収め、泣き叫ぶ心を認めずに生き続けるのか? 君を信じた人間、君を信じようとした人間を見つめずに生き続けることは……裏切りだ。言葉と行動で示さない沈黙の嘘を君は何時まで続けるつもりだ? 答えなよ……ダナンッ!」


 ヒドロ・デ・ベンゼンでは僅かに余裕を崩したものの、堂々とした態度を示し続けていたグローリアの怒りにダナンは奥歯を噛み締め血を拭う。


 「……お前に何が分かる。中層街のお坊ちゃまが俺の何が分かるッ!! 逃げ続けるだと? 裏切りだと? それを認めなきゃ生きていられない場所で生きてきたんだよ俺はッ!! お前のような生ぬるい……命の心配をしなくてもいい場所で生きちゃいない!!」


 「そうだとも私達は全く別の世界に生きているッ!! だからこそ理解し合えるんじゃないのか!? 違う価値観を、思いを酌み交わせる筈なんだ!! どうして私が君と友人になりたいか、なろうとしているか教えてやるッ!! 私は救いたいんだ、誰一人余すことなく泣いている人間を、涙を流す人間を救いたいんだよ!! 君のような……本心を隠してまで生きようとする人間を、救いたいんだ……ッ!!」


 馬鹿げた理想論だ。叶えられる筈が無い。救世主にでもなるつもりか? そんなことを臆面無く言い放つなど……狂っている。


 だが……グローリアの眼に溜まる涙は本物だ。彼は本当に己の理想を信じ、実現できると考えている。彼の気迫に気圧されたダナンは「そんなもの……理解できるかよ」と呟いた。


 「今は理解しなくてもいいし、されないと分かってる。だけど、私は本気だよダナン」


 「……」


 「どうやったら君の涙を拭えるのか、泣いている心を救えるのか、私には分からない。多分……それは君自身が見つけるべきものだから。けど、それを見つける手助けは出来る」


 「対価を支払うべきだ。俺が、お前に」


 「必要無い」


 「……欺瞞だ、その言葉は」


 「それが友人というものだろう? ダナン」


 真摯な言葉が心に突き刺さり、一切の疑いを孕まない視線が痛い。グローリアの眼を直視することが出来ず、俯いたダナンは下唇を噛む。


 信じていても裏切られる。信じようとしても欲に濡れた言葉が鼓膜を叩く。どうせ裏切られるのなら、自分がバツを喰らうのなら、そうなる前に殺せばいい。友人などという甘言に惑わされず、鼻から信用せずに利用してしまえ。利用して、骨の髄までしゃぶり尽くし、用済みと判断したら眉間に弾丸を撃ち込めばいい。それが……下層街で云う友人関係だ。


 だが、グローリアが語った友人の意味はダナンが知る友人と全く異なるもの。救うために手を伸ばし、助ける為に力を尽くす関係。それはダナンにとって理解し得ぬ思考であり、存在し得ぬ思想。眼の前に差し出された手を握るべきか否か。逡巡するダナンへグローリアは微笑みかけ。


 「もし」


 「……」


 「もし私が君を裏切り、どうしようもなくなってしまった時、君の手で殺してほしい」  


 「……お前も」


 「ん?」


 「お前も、アイツと同じ事を言うのか? 俺に咎を、罪を背負わせるのか? ふざけるな」 


 「違うよ、ダナン」


 「何が違うッ! あぁ分かった、お前を殺せばいいんだろ? この手で、無惨に、躊躇いなく殺してやる……ッ!! そうして殺せば俺は」


 「私の言葉は、決して君を裏切らないという誓いさ」


 「誓いだと?」


 「そうだ、誓い……。私は君を裏切らないし、どうしようもなくもならない。だからこうして君へ誓いを立て、命を預ける。ダナン、君が私の言葉を信じられず、疑うのなら私は自分の命を賭けようじゃないか」


 「……馬鹿野郎」 


 「……」


 「お前の言葉は重いんだよ。俺みたいな人間にとって、お前は重すぎる」


 「こうでもしないと私の言葉を聞かないだろう? 君は」


 確かに……そうだ。頭を振るい、やっとの思いでグローリアの瞳を見つめたダナンは頬を掻く。 


 「……グローリア」


 「何だい? ダナン」 


 「別に……命を賭ける必要は無い」


 「どうして?」


 「お前の命なんざ欲しくないし、死にたいのなら勝手に死ね」


 「……」


 「俺の目の届かない場所で、決して俺に気付かれないように死んでくれ。だが、何かあったら話して欲しい。メールでも、通信でも、コールでも何でもいい。だから、俺の力が必要になったら迷わず呼べ。俺は下層街に住んでいるが、どんな手段を使ってでも中層街に向かう。グローリア……俺はお前に生きていて欲しいんだ。俺を友人と呼んでくれる奴に……一日でも長く生きて欲しい。お前が死んだと知らなかったら……ずっと生きていると信じられる」


 「約束しよう、ダナン」 


 ダナンの肩を軽く叩いたグローリアは柔らかな笑みを浮かべ、手を差し出す。その手を握るかどうか……迷いを見せながらも、恐る恐る握り返したダナンは深い溜息を吐き。


 「じゃぁ行こうかダナン」


 「……あぁ」


 グローリアの背を追ってヒドロ・デ・ベンゼンを後にした。



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