ぼんやりと……点けっぱなしのライトの明かりで目を覚ましたダナンは、二日酔いの頭痛に顔を顰め、鈍い痛みを訴える肩関節を揉み解す。
「……」
欠伸をかいて時計に目をやると、時刻は午前七時半。酒に酔い、最後には自らの意思で意識を手放したダナンは、己がどうやってアパートに戻ってきたのか、どんな状態で何を話したのか覚えていなかった。
五体満足で傷一つ負っていなかったということは、浮浪者や暴漢に襲われなかったということ。青白いディスプレイ・モニターの光に目を細め、キーを叩くリルスの背を司会に入れたダナンは身体に掛けられていた毛布を取り払い、「よう」と少女の肩を軽く叩く。
「おはようダナン、昨日は随分とまぁ恥ずかしい事を言っていたわね」
「覚えちゃいないな」
「それは残念。シャワーでも浴びてきたら? 汗臭いわ」
言われなくても。物干し竿からバスタオルを抜き取ったダナンは、リルスが淹れていたコーヒーを一口啜る。コーヒーは既に生温い苦水に変わっており、三十分以上放置されていたことを喉を通して理解する。
汗塗れのシャツを洗濯機に放り投げ、歯と歯の間に挟まっていた食べ滓を指先でほじくり出す。眠っている間は何も気にしていなかったが、リルスの言う通り今の己は汗臭さの他に、硝煙と血の臭いが濃いような気がした。
当たり前だ、二日以上風呂に入らず、戦い通してきたのだから仕方ない。戦って、殺して、イブを救うために奔走して、最後に酒を飲んで……。普段のダナンならば遺跡に潜り、遺産の回収とリルスの依頼を熟し、シャワーを浴びて泥のように眠る。これ程までに戦ったのは彼にしては珍しいことであり、頭痛の正体が二日酔いだけでなく疲労によるものだと気付くには十分なものだった。
シャワー室の扉を開き、仄かな明かりと水の音を耳にする。淡いライトに濡れるシャワー室からは二人分の少女……イブとステラの声が漏れ出しており、ダナンは溜息を吐きながら静かに扉を閉めた。
「リルス」
「なに? シャワー浴びないの?」
「先客が居た」
「そ、別にいいんじゃない? 裸を見たって減るもんじゃないでしょ?」
「……そうだが、そうじゃないだろ」
「へぇ、何が?」
煙草の箱から湿気た煙草を一本抜き、口に咥えたダナンは「お前は男に裸を見られたか?」と、呆れたように話す。
「別に貴男なら構わないけど? なぁに? 今更恥ずかしがってるの?」
「恥ずかしくないワケじゃない。女の裸なんざ見慣れている」
紫煙が漂い、それを手で払ったリルスは冷めたコーヒーを一口飲み「私の肌だって正面から見ない貴男がそれを言う?」厭な笑みを浮かべた。
「俺以外に言われた事もないだろ?」
「まぁね、リアルじゃ私の交友関係って意外と狭いもの。あぁ、それと貴男昨日の話は覚えてる?」
「昨日の話?」
「そ、あのエデスって云う治安維持兵からの依頼なんだけど……二つ返事で返すのはどうかと思うわよ? 私はね」
全く覚えていない。長くなった煙草の灰がポトリと落とし、逡巡するダナンの様子に呆れたと云わんばかの溜息を吐いたリルスはキーを叩き、モニターに遺跡の詳細マップを映し出す。
「遺跡発掘とはまた別の仕事よ」
「……」
「まぁ遺跡を通ることには変わりないのだけれど、貴男がエデスと交わした依頼内容は人命救助と組織壊滅の補助任務ね。治安維持軍が中層のマフィア組織を壊滅させている間に、貴男は遺跡を通ってサテラって子と、そのお友達を救助する。どう? 思い出せた?」
「いいや、全く」
「貴男今度からお酒は禁止ね。本当の偶に……私とイブが側に居る時だけ飲んで頂戴。わかった?」
「元から酒はあまり飲まないんだけどな」
「そういう事じゃないんだけど? 馬鹿みたいに飲むなって言ってんの」
「あぁ」
で、どうする? リルスの問いに目を伏せたダナンは煙草を灰皿に押し付け、水を掛けると「今日は遺跡に行く予定だった。そこに治安維持軍の仕事が追加されただけ。何の不都合も無い」賑やかな声が木霊するシャワー室へ視線を向けた。
「リルス」
「なに? ダナン」
「そのサテラって奴とお友達は何処に居る」
「商業区ね、どうかしたの?」
「……死者の羅列が関係してるのか?」
「関係してるけど、彼等はほぼ蚊帳の外ね。中層街のマフィア連中が下層で新しい組織を構成してるみたいで、この件に絡んでくるのは震え狂う神っていうカルト教団。貴男も名前くらいは知ってるでしょ?」
「名前も何も連中を何人殺したか覚えちゃいないな。けど何故震え狂う神が? 奴等はただの狂人共の集まりだぞ? 大きな事を成す組織じゃない」
「それが下層と中層の意識の差ってやつね」
モニターの画面に関係組織が表示され、サブ・ディスプレイに糸目の男が映る。
「コイツは?」
「エイリ―。マフィア組織のトップであると同時に、震え狂う神の信者の一人ね」
「何か関係があるのか?」
「それを今から説明してあげる。耳かっぽじって聞きなさい」
エイリ―と呼ばれた男の横に震え狂う神の教団シンボルと中層マフィアのシンボルが表示され、そこから更に矢印が伸びる。
「エイリ―は中層じゃ名の知れた資産家よ。主に不動産売買によって利益を得ているみたいだけれど、不透明な支出収入帳簿が見つかった」
「……」
「中層街じゃ下層街みたいにドラッグ類は禁制品で、水商売もサイレンティウムが許可した人間じゃなきゃ営業できない。で、禁制品の薬物の売買と違法風俗を経営しているのが」
「エイリ―ってことか?」
「残念不正解。中層マフィアの一斉摘発と構成員の下層堕ちは既に決定事項で、本拠地の壊滅も時間の問題。今はまだ泳がせている段階で、治安維持軍による中層マフィアの殲滅も下層街からだそうよ。エイリ―が何故マークされているか……それは震え狂う神の教祖を捕縛するため」
矢印が下層街の全体マップに伸び、赤いマークに突き刺さる。そこは下層街の中でも突出して教団の信者が多い場所だった。
「昨日下層堕ちの集団を見かけたでしょう?」
「あぁ」
「その中に無頼漢構成員が居たのも」
「知っている」
「なら話が早いわね。エイリ―の不透明な帳簿の中身は下層街で行っている人身売買と臓器売買、その際に経費として支出する無頼漢への依頼金よ。下層堕ちした中層民を捕らえ、売り捌いて富を得る手法。それがサイレンティウムにバレたみたいね」
「震え狂う神との繋がりは?」
「同じ教団に属する信者だって彼からして見れば金の成る木よ? 大勢居る信者の一人や二人居なくなっても、それこそどうでもいい人間が五十人消えても下層民は誰も気にしない。多分、エイリ―からすれば教団は単なる隠れ蓑……金を得る為の手段でしかない」
「ならエイリ―を捕まえても意味が無いだろう? 奴が重要な情報を持っているとは思えない」
「そうね、此処までの話だけを聞いてれば彼がそんな重要人物とは思えない。けど」
すっと……リルスはマイクロ・カードを可愛らしい巾着の中から取り出し。
「金の流れから情報を洗い、何処にどうやって流れているのかを知る事が出来たら大きな収穫になるでしょう?」
情報解析、分析用PCのカードスロットへ差し込んだ。
「私の仕事は情報の分析とクレジット・バンクのデータ送信解析よ。興味が無い仕事だけど、依頼報酬が魅力的だったから請けた。ダナン、貴男は手が空いていたら治安維持軍本隊よりも先にエイリ―を見つけて頂戴。彼のコードからハッキングを仕掛けて、教団のクレジット口座にバックドアを仕掛けるから」
「お前からの報酬は?」
「最高の生活環境。四人家族が苦も無く生活出来る広い家なんてどう?」
乗った。薄い笑みを浮かべたダナンは、火照った顔でシャワー室から歩み出たイブとサテラを見据え、新しい煙草を口に咥えた。