裸電球の拙い明かりが仄暗い部屋を照らす。
少し手足を動かせば剥き出しのコンクリート壁から伸びる鎖が耳障りな金属音を響かせ、ショック・バトンの紫電が空を裂く。太腿を這うゴキブリの感触に悲鳴を上げ、窪んだ瞳に恐怖を宿した少女は、鉄格子の向こう側に立つ完全機械体の男に助けを乞う。
「お願いよ! 助けて、私達は」
短い舌打ちと鈍色に光る機械眼。錠を開け、少女達が保管されている一室に踏み入った男は見せしめとばかりに浅い呼吸を繰り返す少年の腹を力の限り踏みつける。
「何か言ったか?」
「……」
ショック・バトンを少年の赤黒く変色した傷口に押し込んだ男はスイッチを押し込み、バトンに紫電を奔らせる。その瞬間、少年は通電実験を施された蛙のように痙攣し、唾液と血を撒き散らしながら力なく項垂れ白目を剥いた。
「ひ、人でなし! か、彼を、治療を」
「それ以上喋らないで」
焦燥した少女を黙らせたのは、彼女達同様鎖に繋がれた少女だった。頬を腫らし、口角から血を垂れ流す少女はエメラルドを思わせる翡翠色の瞳で男を睨み、もう一度「それ以上話したら彼の命が危ないの。そろそろ分かりなさいよ、何度同じ間違いを犯すつもり?」と少女の押し黙らせる。
「で、でも、サテラ、このままじゃ彼が」
「そうね、貴女がそうして喚いている限り機械体は無意味な暴力を振るうだけ。 そうでしょう? 違う?」
妙に落ち着いた……気丈な空気を一切崩さないサテラはすすり泣く少女を一瞥し、男を睨み付けながら腰にぶら下がる電子キーを見据える。
この一室は商品として売り捌く人間を保管するための倉庫なのだろう。鉄格子の向こう側には常に武装した完全機械体の男二人が時間制で自分達を見張り、必要に応じて行動する。叫んだ者が居たならば暴力を以て黙らせ、女が助けを求めた場合関係が深い男を嬲る。男が反抗的な行動に出たならば、女を拷問に掛けて心を折る。暴力に慣れていない、或いは他人の痛みに敏感な者を従わせる方法を見張りの完全機械体は熟知している。
口の中に溜まった血を吐き捨てたステラはぐったりと項垂れる元リーダーへ視線を向け、下層街という環境を舐めていた自分たちの愚かさを悔いる。
彼の理念とサークル内の仲間達の信念に共感を抱いたのは本当だ。下層街の人間であろうとも、他人を思いやる心を説けば必ず受け入れてくれると。汝隣人を愛せよ、頬を叩かれたら反対の頬を差し出せという聖書の教えを下層街に広め、愛と平和の素晴らしさを伝える。その為に下層堕ちに処された中層民に紛れ、下層街にやって来た。
だが、現実とは非常なもの。下層堕ちの意味も知らず、下層街の状況も事前に調べていなかったサテラ達を襲ったのは圧倒的な暴力と陰惨極まる死臭の香り。道端に転がる腐りかけた死体を見た瞬間、一人が恐怖の余り発狂し、頭を撃ち抜かれて死んだ。その死体に群がる死体漁りが血に濡れながら臓器を掻き出し、保存容器に入れるとそれをバイヤーに売り付け金銭を得る地獄。
血に染まる叫喚と弱者を狙う亡者の牙。中層民は下層街に住む者からして見れば、牙を持たぬ盲目な羊達なのだ。安全を保証された籠の中でぬくぬくと育てられ、脅威も知らずに肥え太った家畜。爛々とした眼に濁った欲望を滾らせ、判断が遅れた者を次々と殺し、新鮮な臓器を抜き出す老若男女の群れから逃れたサテラはこの瞬間に下層街のルールを本能で理解する。
弱肉強食の理……。弱者は強者に食われる餌であり、強者もまた更なる強者に食われる食物連鎖。彼等にとって自分達は皆等しく弱者という括りに纏められ、狩られる存在なのだ。中層街でどれだけ優秀であったとしても、金と権力を持っていたとしても、それは所詮中層街でのみ通用する力。銃の取り扱い方法も知らず、人を殺したことも無い人間がこの狂気の中でマトモな精神で居られる筈がない。
慟哭と嘲笑の中、運が良かったと云えばいいのか、不運は未だ終わっていなかったと云えばいいのだろうか……。殺戮の限りを尽くしていた浮浪者と子供達は一台のトラックを目にした矢先に逃げ出し、散り散りとなる。ステラの仲間達は助けが来たと安堵していたが、下層街のルールを理解していた少女は、更なる強者が現れたことを無自覚に悟っていた。
完全武装した機械体が放った言葉は今でも忘れない。一人二人と生存者を数え「生き残った豚はこれだけか」と話し、見せしめに一人殺して抵抗する者も容赦なく射殺した完全機械体は「中層街にもツテを作っておくもんだな、えぇ? エイリーさんよ」隣で立体パズルを組み立てる細目の男を一瞥していた。
エイリーは奇妙なシンボルが刺繍された外套を羽織る男だった。歯車と脳髄が複雑に絡み合ったシンボルは震え狂う神のもの。中層街でも過激な勧誘や布教活動が目立つカルト教団。
「えぇ私達の組織は全て教祖様のモノであり、震え狂う神という教団があるが故に下層に堕ちた迷える子羊もまた救われる。無意味で無価値な死ではなく、新たなる肉身の一部として意味のある死を得ることが出来るのです」
「へぇ、俺ぁ別にアンタらの宗教に興味がねぇけどよ。何だ? 下層の信者はもっと狂ってるように見えるがね」
「それは単純な死を求めている故に。我々が求める意味のある、価値のある死とは魂の解放なのです。肉体という鎖から精神を解き放ち、死による救済によって魂はあるべき姿を持って解放される。白き聖天使と片翼の救世主の救世は必ずや私達を約束の地へ誘うでしょう」
「約束の地、ねぇ」
「おや、興味がおありのようですね。どうです? 我々の教祖様による素晴らしい説法をお聞きになりますか?」
「残念、俺ぁ宗教ってやつに興味がねぇんだ。で、エイリーさんよ、アンタはこれからどうするつもりだ?」
「無論、商業区で必要な事をするまで。そろそろ区の支配者を交換するべきだと、そう思いましてね」
「死者の羅列に喧嘩を売るつもりか? 止めときな、連中はアンタが思ってる程甘くないぜ?」
「下層の組織など吹けば飛ぶ木っ端組織でしょう? それに」
「それに?」
「貴男方無頼漢にも悪い話では無いはずですよ? 私が属する震え狂う神と手を組み、中層街マフィアと業務提携を結ぶというのは」
完全機械体の男が豪快に笑い、底冷えするような声で「それ以上馬鹿な事を言うなよ? 殺すぞ」と、大口径携行ガトリングの銃口をエイリ―へ向ける。
「今此処でこうしているのはボスからの指示だ。無頼漢の構成員は誰もお前らとは手を組まないし、もし手を組んだ馬鹿が居たらソイツは死ぬ。死者の羅列と戦争するってんなら、それ相応の金を払えよ? 塵滓が」
男の言葉にエイリ―が蟀谷をヒクつかせ、静かな怒りを滾らせる。自らを落ち着かせるように深呼吸を繰り返したエイリ―は、余裕ある笑みを浮かべ。
「どうぞご検討を、無頼漢」
サテラ達を一瞥する。
エイリ―と呼ばれていた男は中層街で暗躍するマフィア組織の構成員にして、震え狂う神の信者の一人。下層堕ちが決定した人間の情報を何処からか入手し、下層街の組織と結託しているのだろうと、サテラは恐怖で竦みながらも二人の様子からその答えを導き出す。
「じゃぁ俺ぁコイツラを倉庫の方まで輸送するが、アンタはこれからどうすつもりだ?」
「品の検品と出荷先を纏めます。下層街は良いものです……人が金に生まれ変わるのですからね」
「そうかい、金は必ず払えよ? エイリ―さんよ」
その言葉を聞いたエイリ―は小さく「黙れよ、下層の屑が」と呟き、完全機械体の男を睨む。サテラが中層から下層に降り、囚われるまでの記憶は凄惨そのものだが、この場面を思い出していた少女は唇を噛み締め、脱出の機会を狙うのだった。