ドス黒い瞳と疲労が滲む目元の隈。ダナンと呼ばれた青年の瞳をジッと見つめ、ゴーグルの奥に蠢く闇から目を逸らせない。
中層街では見た事が無かった暗い瞳。ガスマスクを通して聞こえる荒い息遣い。右腕の代わりにぶら下がっている黒鉄の機械腕.......全身を隈なく包み込む漆黒のボディアーマーが重々しい音を奏で、アサルトライフルの冷たい金属音がサテラの鼓膜を叩く。
「何だ、人の顔を見て。言いたい事があるなら言え」
「……貴男は、何者ですか?」
何者……その言葉にダナンは馬鹿馬鹿しいと鼻で笑い、鎖で繋がれている少年少女を一瞥する。
「依頼を請けた遺跡発掘者だ。お前等を助けに来た。これで十分か?」
「依頼? 誰から?」
「治安維持軍」
「……」
まだ信用できないとダナンの目を睨むサテラは、股に挟んでいた硝子片を摘む。機械体が相手では傷一つ付けるだけで精一杯だった心許ない獲物だが、生身の人間相手ならば頸動脈を斬り裂くだけで致命傷に成り得よう。
皮膚を裂き、肉が抉られる痛みに堪えながら硝子片を握り締める。熱い血が掌から流れ、裸足に滴り落ちた。敵か味方かも分からない、自分達を助けるよう依頼された人間であるかも定かでない正体不明の黒い男へ硝子片を振り翳したサテラは、ダナンに腕を掴まれる。
「無駄だ」
「……」
「そんなもので俺は殺せない。もし殺せたとしても、お前等一人で此処を脱出出来るのか? いや、不可能だ。抗う力も無い餓鬼、それも憔悴しきった連中に何が出来る。死にたいなら勝手に死ね。生きたいなら黙って付いて来い。お前等の生死なんぞ俺には仕事の一環でしかない。違うか? 餓鬼」
サテラの手から硝子片を取り上げ、踏み砕いたダナンの視線がステラへ向けられる。
「ステラ」
「なに? ダナン」
「医療パックを渡し終わったか?」
「うん、あ、それとこれ渡しておくね」
少女の手には鍵の束が握られており、それは部屋の前に倒れている機械体が持っていた拘束具の鍵だった。
「ダナン、あんまり刺激しないほうがいいんじゃない?」
「別に刺激しているワケじゃない。分からせているだけだ」
「それを刺激してるって言うんだけど? ほら、その女の人の目、ちゃんと見た方がいいよ」
憎悪とは程遠く、だが徐々にその感情が現れるサテラの瞳。周りで傷を治療する少年少女とまるで違う反応を見せるサテラにダナンは頭を掻きながら、
「……分かった、分かったからそんな目で俺を見るな」
と、顔を覆うガスマスクとゴーグルを取り外す。
「……」
「時間は有限だ、黙って俺の後に」
「わ、分かってる。えぇ、貴男の言葉は十分に、理解しているから」
無精髭が伸びた武骨な顔、灰色の髪と褐色肌、優男とは言い難いダナンの素顔は野性味溢れる濃い面構え。自分とさほど齢が離れていない男……否、青年からサッと視線を外したサテラは熱を持つ頬を擦り、埃で汚れたスカートの裾を握る。
一目惚れなんて在る筈が無いと思っていた。様々な喜劇や悲劇を鑑賞し、その物語の中で語られる恋物語など所詮は夢想の産物である。都合の良い白馬の王子様が囚われの姫を助けるメロドラマ、窮地に陥ったヒロインを颯爽と現れたエージェントが救い出すヒーロー、言葉数少ない不愛想な主人公が活躍する映像作品……。
どれも観客に精神的快楽を与える為に作られた虚構の物語であり、ご都合主義を極めた精神麻薬の一種。それに心をときめかせ、自分自身を重ね合わせるのは現実の不都合から目を逸らす弱者の言い分だ。しかし……青年の顔を見れば見る程サテラの心臓は早鐘を打ち、合理性を削ぎ落す。年若い少女が早熟しているからと云って、恋を知らぬとは限らない。
「ならいい。歩ける奴は自分で歩け、歩けない奴は這ってでも進め。止まった奴は置いて行く。生死は問わず……死んだ奴を守る義理は無い。行くぞ」
「ま、待って、えっと」
「……ダナンだ。連れの名前はステラ」
再びガスマスクとゴーグルで顔を覆ったダナンは、全員分の鎖の錠を解いたステラへ視線を寄せ、アサルトライフルを構える。
「ダナン……。私の名前は」
「仲良く自己紹介をしに来たワケじゃない。仕事で来たんだ。勘違いするなよ餓鬼」
「餓鬼じゃなくて、私の名前は」
ステラの言葉を遮るように部屋の外から銃声が木霊した。金属を削る弾丸が火花を散らし、跳弾する死の音色。
「……時間は有限だ」
重々しい鋼の音と通路に響き渡る男の怒声。
「俺は死にたくないし、生きていたい。お前等がどう思っているかなんて考えたくもない。いいか? 俺は自分の為に戦って、ステラを生かす為に敵を殺す。邪魔をするなよ……餓鬼」
ポーチから手榴弾を取り出したダナンは「ステラ、お前は前に出るな。無頼漢の連中を殺す」勢いよくピンを抜き、通路へ投げ込むと同時に部屋の外へ飛び出す。
「ま、待って!! 本当に」
「大丈夫」
「大丈夫って、貴女……まだ子供じゃない」
ダナンと同じような装備に身を包んだステラが銃を抜き、安全装置を外す。
「子供だけど? それがなに? 何か文句あるの?」
「文句っていうか……貴女、ダナンからステラって呼ばれていたわね。彼が心配じゃないの? 本当に死んじゃうかもしれないんだよ?」
「ダナンは死なない、絶対に。アンタが思う程弱くないんだけど? ううん、今此処で話をしてるのも時間の無駄よね。立って歩ける人は逃げる準備をして。立てない人は……どうしよう?」
冷静に座り込んでいた者達を眺め、顎に指を当てた少女は鼓膜を震わせる銃声に動じない。それが当たり前だと、何も可笑しいところは無いと云った風に云々と頭を捻らせ、逃げる為の算段を立てる。
「……歩ける人は肩を貸してあげて。銃声が止まったらゆっくりと、確実に歩くの。いいわね?」
「……えっと」
「サテラよ、お嬢さん。取り敢えず……役割分担よ、彼が戦闘を担うなら私達は自分達の事を何とかする。ステラちゃんは……後ろをお願い」
「信用するの? まだ会って間もないのに?」
「そうしなきゃ生き残れないでしょ? 私達は生きたいし、死にたくない。せっかく目の前に蜘蛛の糸が垂れているのに掴まない愚者も居ない。違う? ステラちゃん」
「……間違って無いよ。じゃぁ、今は大人しく待ってよう。多分ダナンならもう少しで」
「行くぞ」
機械体の生首を片手に、脇腹から血を流すダナンが現れる。ギラついた獣性がドス黒い瞳に煌々と揺らめき、殺伐とした雰囲気を醸し出す彼の姿は悪鬼修羅。
「ダナンさん、血が」
「問題無い。そのうち塞がる」
「問題無い筈がッ!!」
「それ以上喋るな、時間が勿体ない。ステラ、お前は俺から離れるなよ? 敵はまだ他に居る」
「……うん」
生首を適当に投げ捨て、傷痕を手で隠したダナンは立ち上がった少年少女達を一瞥する。疲労に満ちた焦燥感、絶望に眩んだ眼、痛みに呻く苦悶の声……死ぬか生きるかの瀬戸際の、辛うじて繋いだ生を手離したくないとする矛盾。
「餓鬼、お前は」
「サテラ」
「……」
「私の名前、サテラっていうの。ダナンさん、一つだけ聞いてもいい?」
「何だ」
「貴男に従って、言う通りにしていれば私達は生きて中層街に帰れるのよね?」
「……確約は」
「仕事なら」
「……」
「仕事ならそれを全うするべきよ。下らなくても、馬鹿馬鹿しくても、愚かしくても……一度請けた依頼はその後の信頼に繋がる。ダナンさん、ハッキリとした答えを聞かせて。私達は……生きたまま帰れるのよね? 貴男に従っていれば、必ず」
逡巡したダナンが深い溜息を吐き、乱雑に頭を掻く。黒鉄の機械腕が唸りをあげ、軋んだ金属音を奏でると「出来る限りのことはする。サテラ……だったか? お前の云う通りだよ。あぁ」納得したように頷いた。
「少しの間だけれど……宜しくお願い致します。ダナンさん」
「任せろ、餓鬼……サテラとそのお友達」