目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

灰の城 上

 銀の翼がネオンに濡れて七色に煌めいた。ビルの屋上を飛ぶように跳ね、六枚の銀翼を羽ばたかせたイブは影法師を思わせる黒衣の男を視界に映す。


 エネルギー集約装置と高熱線フュージョンセル。鈍色の銃口に集まるエネルギーが真紅の熱を持ち、一筋の熱線として撃ち放たれる。


 レーザーライフルの地上射撃……。銀翼の一枚を盾として用い、熱線を弾き落としたイブは空中に浮遊したまま二枚の銀翼を振るう。硝子の大剣を彷彿とさせる銀翼は瞬く間に黒衣の男を両断し、美しい白銀を鮮血に染めた。


 これで十五人目、レーザー兵器を持つ黒衣の男を八人、強化外骨格を纏った女を五人、まだ年端もいかない子供を二人。銀翼に染み付いた血を払い、ホロで彩られた電子の美女を突き抜けたイブは大きく跳躍すると背の高い時計塔に片足を着ける。


 「キリが無いわね」一言そう呟き、大通りを走る車の群れを見下ろし「リルス、例の緩衝地帯は見つかった?」脇に抱えた少女へ視線を寄せた。


 「近いけど遠いわね」


 「どういう意味?」


 「これだけ襲撃を受けて、その度に迎撃する。距離が近くても、時間が無駄に掛かっているのよ。貴女だって薄々そう感じているでしょう? イブ」


 HHPCのホロ・キーボードを撫でるリルスの深い溜息が鼓膜を叩く。


 確かにそうだ、延々と足止めを食らっているような不快感。不可視の糸が張り巡らされた商業区は宛ら獲物を捕らえる為の巨大な罠。今こうして時計塔の上に立ち、熱源反応を追えば次から次へと黒衣の男達が街を駆け、己等を殺す為に動き回っているのが良く見える。


 「面倒ね、いっそのこと全員始末しようかしら」


 「実に短絡的で楽観的な思考ね。尊敬するわ」


 「あら、皮肉を話せるならまだ余裕があると見ていいのかしら?」


 「冗談」


 クスクスと薄い笑みを浮かべたリルスに焦燥感は見られない。ズレた眼鏡を元の位置に戻し、HHPCの液晶モニターを軽く叩いた少女は「さぁテフィラ、詳しい話を聞かせてくれないかしら? 貴女の兄と震え狂う神の関係性を」と、肩を竦めて話す。


 「……追手は?」


 「今のところ全員イブが殺ってくれた。暫くは大丈夫だと思うけど、長くなるなら要約してくれると助かるわ」


 モニターに映ったテフィラは辺りを注意深く探るような仕草をする。電気信号模擬体……仮想の中で生き、現実世界に存在し得ないのにどうして其処まで警戒するのだろう。リルスを通して電子の少女を一瞥したイブは、展開していた銀翼を身体に密着させ、一つ息を吐く。


 「簡単に云えば兄は教団と取引をしたんです」


 「取引?」


 「はい、そのデータを見つけたのはつい三日前のことで、私もにわかには信じられませんでした」


 「そうよね、死者の羅列首領が直々に取引するなんてあり得ない。彼は基本的に仲介人を通して話をするし、自分の姿を見せない人間だもの。で、取引の内容は?」


 「中層街の市民権及び、総合病院の入院願い。その為に兄は教団へ違法サーバーの一部使用権と組織が持つ中層街との緩衝地帯を売った。それが信じられないんです」


 「……中層街の市民権と総合病院の入院願い、ねぇ」


 細く、鋭い目つきで思考に耽るリルスはイブへ視線を送る。


 「中層街の市民権交付はサイレンティウムが管理している筈だけど? カルト教団が取引条件に提示出来ると思えないわ。それに、総合病院の入院だって基本的には中層民の権利と市民保護業務の一環よ?」


 「だから兄さんは騙されているんです! そう判断するしかない……違いますか?」


 赤いレーザー・ポインターの点がイブの眉間を照らす。僅かな反射光を見逃さず、驚異的な瞬発力を以て長距離射撃を防いだイブが移動を再開する。


 スナイパーライフルの弾道から、敵は既に此方の位置情報を掴んでいる。何故こんなにも早く対応出来るのか、有効な一手を切ることができるのか……。地上に展開されていた黒衣の一団を一掃し、三角飛びでビルの屋上に飛び乗ったイブへ巨大な鉄塊が振り下ろされる。


 「本当に……次から次へと、嫌になるわね!」


 全自動人型戦闘兵器『鬼金棒』。鬼面武者をモチーフにした意思無き鋼の傀儡は、攻撃が防がれたと見るや否や半歩後ろへ退き、半身で銀翼を回避する。白い排熱煙が頭部装甲の隙間から漏れ出し、真紅の双眼を照り輝かせる様は機械で再構築された戦国武者。


 「こんなものまで持ち出して……リルス、訂正するわ」


 「訂正?」


 「えぇ、黒衣の連中は私達の足止めなんかじゃない。本気で殺すつもりよ。何故か分からないけどねッ!!」


 コンクリートを用意に砕く一撃が振るわれる。リルスを抱えたままのイブは敵の背後を取るように弧を描きながら跳躍するが、人間には成し得ない鬼金棒の動きを超えることは出来ない。


 重い一撃を貰う刹那の間隙、銀翼から伸びたハック・ケーブルが鬼金棒の装甲の隙間を縫って制御中枢をハッキングする。セキュリティ・プログラムを書き換え、攻撃システムを侵食し、ターゲッティング・システムの強制変更を行った瞬間、イブの瞳が七色に煌めき電子の海の海流を視界に映す。 


 海流……ずっと気になっていた。何故通常の情報インフラとは別に、もう一つの特殊回線があるのか。既に時代遅れ……過去の遺産と云っていい電気信号模擬体の技術がテフィラに適用されているのか。在りえないと断じ、眼を反らしていた可能性が度重なる襲撃により確信へ至り、そうとしか思えなくなる。


 「リルス、変な事を言うけど聞いてくれる?」


 「どうぞ?」


 「普通の情報インフラとは別に、もう一つ違う回線を作る必要はあると思う?」


 「時と場合に依るんじゃないかしら?」


 「じゃぁ、その時と場合を貴女はどう見る?」


 「そうね……」


 必要に応じての秘匿回線か、個人或いは組織の為の回線かの二択。そう呟いたリルスは眼鏡のツルを指で押し上げ、不敵な笑みを浮かべる。


 「テフィラ」


 「何でしょう?」


 「もしも貴女を私のHHPCから弾き出したら、貴女はどうなるの?」


 「それは……区に浮遊するだけです」


 「貴女の手綱を握っている人は誰?」


 「兄さん……」


 其処でハッと息を飲んだテフィラが口を噤む。リルスの問いの意味を理解し、自分が口にした言葉が答えを導き出したことに、少女は気付く。


 「最初からバレていたのよ。貴女の考えも、この依頼も、全部メテリアにバレていた。私も確信が持てなかったけど、イブが気づいてくれたおかげで確証を得ることが出来た。さてテフィラ、私達はどうしたらいいと思う? 私やイブだけじゃなく、貴女も既に蚊帳の外じゃない。これからどう動けばいいのか、何をしたらいいのか、考える必要がある」


 追手は絶えず送られる。殺しても補充される実験用モルモットの如く、ゆっくりと、だが確実に二人を殺そうと影のように忍び寄る。


 「厄介ね、本当に面倒よ。死者の羅列に喧嘩を売ったと同じだもの。彼の計画を阻止する邪魔者が私達。組織の為に構築された商業区で戦うのは分が悪く、もし貴女の依頼を完了させたとしても死者の羅列は私達を逃さない」


 「……」


 「だから、私から一つ提案があるの。魅力的だけどリスクがある方法、たった一つの冴えたやり方、両刃の剣……どうテフィラ、聞いてみない?」


 「……話して下さい」


 「ありがと、なら簡単に説明するわ。肉体を得るの。情報ではなく、本物のね」


 「肉体を得る? 本物? あの、それはどういう」


 「鈍いわね、本当に一度しか言わないから良く聞きなさい?」


 リルスがそっとモニターに唇を近づけ、テフィラだけに聞こえる声で、


 貴女を貰う。


 そう囁いた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?