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第30話 友人との食事会-2

 腐っても貴族令嬢、アメリーはノクタニア王国における『のろい』の意味をよく知っている。それだけに他人事ではない——すでに血液も取られている——ので、現状に対して割合理解が早かった。

「……解呪薬リカース? 本気で言っているの?」

「ええ。あなたの血液で研究がはかどって、最後の峠を越えたわ。ありがとう」

「全然、感謝されても嬉しくないわ」

「でも、解呪薬リカースの接種が進めば『のろい』の影響を受ける人々がいなくなると思えば、アメリーの貢献度合いは計り知れないもの」

「そんなこと、魔法使いたちが許すはずがないでしょう」

「だからどうやって接種を進めるか考えているの。何か考えて、エルノルドを助けると思って」

「だ、だから、どうして私が彼と」

 アメリーは照れ隠しにシーザーサラダへぶすりとフォークを刺す。勢い余ってクルトンが飛び、ステーキにかぶりつくキリルが空いている左手で器用にキャッチした。そしてそのまま肉と一緒に食べ、それを見たアメリーが目を見開いて驚いていた。おそらく、今日はアメリーにとって人生で一番驚いた日だろう。

 気を取り直して、アメリーは話に戻ってきた。

「普通に考えれば……接種? それを受けさせるには、一悶着あるでしょうね。でも、貴族たちをまとめて動かすもっとも効率的な方法は、一族の長に命令を下させること、でしょう。彼らは王の命令にさえ従わないこともあるけれど、さすがに己の属する家柄の頂点から強く命じられれば、恐れおののいて優先するはずよ」

 アメリーの『立派な家柄の貴族の子女』としての視点に、キリルが肉を飲み込んでから頷く。

「なるほど、それはあるな。王城の方々もよくそのようなことを口にしておられた気がする」

 ふと、エリカはキリルがドミニクス王子のことを殿下と呼ばず、「王城の方々」と言葉を濁したことに気付いた。エリカの前ではよく殿下殿下と口にしているが、場をわきまえたのだろうか。

 その点についてアメリーは特につつくことはなく、相槌を打つ。薮をつつくまい、という気持ちなのだろう。

「でしょうね。ノクタニア王国の最大派閥、閨閥けいばつといえば」

「エーレンベルク公爵家とその一族よね」

「そうね、国内貴族の半数以上がエーレンベルク公爵家と何らかの姻戚関係にあって、経済的にも結びつきが強いと聞いているわ。それゆえに、エーレンベルク公爵領を中心とした国内の広域経済圏が存在していて、この国の王都と二極化している、と」

「貴族じゃないとそのあたりは気付かないところよね。それがどれだけ重いことか、親族関係が自分の家を保つためにどれほど重要か」

「……エリカ、あなたの言うとおりよ。私はさほど詳しくないし、貴族の娘だから知っていることを話したにすぎない。これ以上は知らないわ」

「いや、十分すぎるだろう。アメリーはすごいな」

 キリルのさりげない褒め言葉に反応して、小皿に取り分けたラザニアを一口分運ぼうとしたアメリーのフォークがピタリと止まる。エリカは異変を見逃さなかった。アメリーがキリルのほうを向くことなく、憎まれ口を叩く。

「雑に褒められたって嬉しくないわ」

「そうか、すまない」

「真に受けないの。アメリーの耳、見てみなさいよ。赤くなっているでしょう? 照れ隠しよ」

「おお、本当だ」

 これにはアメリーが「えっ!?」と叫んで空いている左手で自分の左耳を慌てて包んだ。実はアメリーの耳はそこまで赤くなってはいないが、照れ隠しは図星だったようである。

 エリカにしてやられて、アメリーは悔しそうに眉根を寄せてラザニアを貪る。キリルはすでに目の前のスペアリブステーキを完食し、すかさずエリカは自分の皿に手付かずのまま載っている分をひょいとキリルの皿へ移した。暴食のキリルにラザニアまで荒らされてはたまらない、エリカもアメリーもまだ少ししか食べていないのだから。

 肉を頬張るキリルが大人しくなり、つかの間の平和な食事の時間が流れる。その間は言葉少なではあったものの、ほぼ初対面に近い者同士で始終にこやかに団欒だんらんというのも疲れる。

 貴族らしくゆっくり料理を一口ずつ味わうアメリー、職業柄食事に時間をかけないエリカ、食事を腹に納める時間の最短記録をいつも狙うかのようなキリルの三人組では食べるペースがまったく合わない。だが、賑やかな食堂で周囲の弾むような会話が聞こえてくれば、自分たちが喋らずとも雰囲気を堪能し、それぞれが満足することができる。

「昨日の井戸の修理は手際がよかったなぁ! また今度も頼もうぜ!」

「今日ねぇ、学校の先生に字がきれいって褒めてもらった!」

「ほら鍛冶屋の奥さん、無事出産したみたいよ! 旦那が扉におっきな蹄鉄ていてつかけてたあそこよ!」

「そりゃあめでたいねぇ。お祝いは何がいいかな? そうだ、新しい布があっただろう。あれをやろう」

「はい、ガレットだよ、お待ちどうさま!」

 正直に言って、食堂で交わされる会話は三人にとって馴染みのあるものではない。キリルは多少あるかもしれないが、ドミニクス王子の騎士として王城で上流階級に接するようになってからは久しいだろう。

 それでも、とげとげしい言葉も、嫌味も、暗に揶揄するような言い回しもなく、ここにおどろおどろしい悪意は存在しない。貴族の生活圏では必ずどこかに潜むそれらから離れ、アメリーはこの環境に慣れ親しんでいるようで——どこか上機嫌に微笑んでいるように見える。騒がしく喧騒の絶えない平民のための食堂に、アルワイン侯爵家令嬢アメリーは溶け込んでいて、そう言われなければ誰も気付かないだろう。せいぜいがどこかの良家のお嬢様程度、食堂の店主夫婦だってアメリーを侯爵家の令嬢だとは夢にも思わないに違いない。

 そんなアメリーを、エリカは複雑な気持ちで見ていた。

 所詮、エリカも原作ゲーム中で表現されたアメリーの一面を知っていたに過ぎず、実際にアメリーと接してみて、原作の不幸なシナリオから遠ざけられた彼女は、生き生きとしていた。

 玉突き事故のように、これまでのエリカの行動が今のアメリーの穏やかな日常を作り出したのかもしれない。しかし、もしかすると——乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』は、アメリーの不幸をもって成り立つシナリオであったか、もしくは登場人物に不幸を押し付けるよう意図されたものだったとすれば?

 『ノクタニアの乙女』にハマっていたエリカは、アメリーのことにならないか? もしかして、エリカは他人の不幸な結末を見て喜んでいたのではないか? 心のどこかから隙間風のように入ってくるそんな思いにさいなまれるのだ。

(私が全員幸せにする、なんて思い上がっていたけど……私は、キャラクターの不幸を軽く見ていたんじゃないの? 他人の不幸を娯楽にして、今の私はむしろ、つぐないとして彼らをんじゃ……?)

 それはアメリーが、キリルが目の前で生きている人間だと実感するからこそ湧いてくる思いで、今まではベルナデッタという強烈なヒロインと一緒にいることが多かったせいで隠されていた。

 こうしてつまびらかになってしまった以上、エリカは自分の中の『償い』という負い目を消し去ることは難しい。自分が幸せにしなければ、彼らは不幸のただ中からずっと抜け出せず死に至るのなら、絶対に助けなければならない。言い換えるならば、

 重たい重たい使命感に、腹の底が冷える感覚がじわじわとエリカをむしばむ。

 そのとき、アメリーのさりげない、しかし思い切った問いが、エリカを現実へと引き戻した。

「エリカ、あなたはどうして、婚約を破棄するの?」

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