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第30話 友人との食事会-3

 エルノルドとの、という枕詞をつけなかったあたり、アメリーもエリカへ配慮していた。

 エリカは、まじまじとアメリーを見つめる。アメリーは持っていたハンカチで唇を軽く拭い、固く口を一文字に閉ざしていた。深緑の瞳が真っ直ぐエリカを見つめ返し、答えを待っている。

 エリカがその問いに答えるのは簡単だ。しかし、、これは難問だった。

 アメリーのために、エルノルドのために、どう答えればいい結末を生むだろうか。熟慮の末、エリカは重苦しい雰囲気を打破することにした。

「だって、エルノルドは私のことなんて好きでもなんでもないのよ?」

「それがどうしたの? 貴族の婚姻は、家同士の契約よ。夫婦仲なんて問題にもならないわ」

「うーん、そうねぇ……ほら、エルノルドはさ、すっごく好きな人がいて、やるべきことがあるのよ。だったら、応援してあげようって思うでしょ? 私と一緒にいたらそれはできないかもしれないなら、私から身を引けばいい。ただそれだけよ」

 アメリーの貴族令嬢の模範のような結婚に対する認識と、過去と未来シナリオを通してエルノルドを知るエリカの思いは、きっと上手く交錯することはないだろう。

 それでも、アメリーはエリカの思いを汲み取った。正確には、エルノルドへの思いに、共感できるところがあったのだろう。

 アメリーは、あからさまにため息を吐いた。

「呆れた。あなた、貴族令嬢失格よ」

「多分そう、間違いないわ」

「うむ、そうだな!」

「キリルうるさい」

 スペアリブステーキを食べ終えて思いっきり納得の相槌を打つキリルの踵を、エリカは靴のつま先で軽く蹴る。テーブルの下の出来事を知らないアメリーは、何かを考え込んでいた。

 そして、アメリーはおもむろに、重々しく口を開く。

「もっと早く、私があなたみたいに、自分のことは自分で決められれば……何もかも変わっていたのかしら。あの先生のおっしゃったことを、きちんともっと考えていれば」

 それはきっと、独り言だった。アメリーは自分自身へと問いかけている、そう受け止めたエリカは答えない。口の周りを脂だらけにしたキリルもだ。

 それに、実際に貴族令嬢が『自分のことを自分で決める』などほぼ不可能だ。名家、侯爵家ともなればなおさらで、親に従うことが当然であり美徳ならば、その反対は非常識で悪徳だ。アメリーがそんな批判を背負って生きていけるほど強いとは、エリカは到底思えなかった。ゆえに、その問いと仮定は無意味だ。

 エリカは、そっと話題を変える。

「アメリー、ロイスルとの婚約は今、どうなっているの?」

「分からないわ。もう随分、家に帰っていないし、連絡もないの。私には関係ないと思われているのでしょうね」

「そうなのか? アメリーの結婚なのに?」

 結婚どころか恋愛までてんで門外漢キリルの言葉に、アメリーが呆れた調子で応じる。

「そういうものなのよ、騎士様」

「む、騎士には間違いないが、俺の名前はキリルだ。キリル・ウンディーネ」

 何でまたこんなときにムキになって自己紹介を、エリカにはその意図するところが分からなかった。

 ところが、アメリーの顔色が一変した。得心がいった、とばかりにキリルへの呆れが感嘆へ変わる。

「もしかして前に、ホテル『ノクテュルヌ』へ行くときに道案内をしてくれた方?」

「ん? そうだが?」

(あれ? 二人は面識があったんだ……まあ、あのときは状況がヤバすぎて色々記憶があやふやだわ、私も)

 さきの三つ星ホテル『ノクテュルヌ』での混乱は、前世も含めエリカの人生でもっとも慌ただしかった事件かもしれない。ギャン泣き令嬢二人や強引に他人の血液を採取して逃走、そんなことは滅多にない。あってはたまったものではない。当事者のここにいる三人は、ある意味ではその後も縁があったと言える。

 その縁が、アメリーは嬉しかったようだ。

「気付かなくってごめんなさい。あのときは気が動転していて」

「だろうなぁ」

 キリルは鷹揚に頷き、オニオンスープを一気飲みしていた。

 どうやら、二人の相性は悪くないようだ。エリカとしては今後万一の際、アメリーの護衛としてキリルを派遣することも考えていただけに、ほっと一安心だ。

 それに、キリルならアメリーを粗雑に扱ったりしないだろう。エルノルドと三角関係になったって——。

 そこまで考えて、エリカははたと思考を停止した。

(……何考えてるの、私。アメリーが好きなのはエルノルド、キリルじゃないわ。あくまで、キリルは信用できるって話よ。まったく)

 男女の誰がくっついただの別れただの、うっかり恋愛思考で頭がいっぱいになるところだった。エリカは反省し、考えを振り払う。

 エリカは、アメリーとキリルが話で盛り上がっている横で、傍観している自分がちょうどいいポジションなのだと信じていた。それゆえに、他の立場になることを考えたことがなかった。幸せにすべき登場人物たちと同じ立場になっていいとは、かけらも思っていなかった。

 同時に、他人の幸せを真に願う人間が、自分以外にもいると思っていなかったのだった。







 満腹になった三人は、食堂を辞して、アメリーの家に戻ってきた。夜も更けてきたというのに、小火と救助によって割れた窓がそのままである。

 こういうとき、エリカは行動が早い。エリカが掃除道具を持ってきて無言で動きはじめたのを見て、キリルも自分にできることをやりはじめ、うろたえていたアメリーも少し考えて自分にできることを探しだした。

 その結果、エリカは路地に散らばったガラス片や木片を箒で掃き、アメリーは室内の煤のついたテーブルや家具を水拭きし、キリルが割れた窓を隠す方法を探して実行する役割分担ができ、ひとまず外観の心配はなくなった。割れ窓理論のように、一目につく汚れや破損をそのままにしておくと、そうしてもいいのだとばかりに被害が広がっていくのだから、さっさと片付けるに限る。

 おおよそ作業が終わったころ、三人は玄関先に集合した。作業の進捗や今後の処置について共有しなくてはならない。最低限、アメリーの居住する家としての体裁を保てればいいとはいえ、不動産の原状回復は大事だ。

「ひとまず、使っていなかった雨戸を応急処置して破れた窓を塞いだから、明日にでも修理を頼めばいい。オーブンは……まあ、それも」

「難しいかしら」

「そうでもないんじゃない? エルノルドにいい大工を紹介してもらって直せば、もっと使いやすいものになるかもしれないわ」

「……もう料理はしないわ、今度は小火じゃすまないかもしれないもの」

「そりゃ、誰にも習わずに上手くしようったってそうはいかないでしょ?」

 アメリーはむっとして、それからすぐに抵抗を諦めた。もう今日は何回も似たようなやり取りをして、エリカに口先では勝てないと思ったのかもしれない。

「分かったわ、マリステラに教えてくれるよう頼んでみる。でも、その前に修理ね」

「うん、よかったら私も手伝うから誘って」

「あなた、料理はできるの?」

「少しならね」

「ふぅん」

「何なら、ベルナデッタも連れてきていい?」

「ベルナデッタって、どうして彼女を」

「楽しげなことには首を突っ込みたがるのよ、あの子」

 それは事実である。ベルナデッタは行動力のかたまりだ。面白そうなもの、儲けに繋がりそうなもの、役立ちそうなものがあれば目にも留まらぬ速さで動きだす。そういうところは令嬢らしくないが、ヒロインや商人としては一級の才能だ。

「分かった……この間のことについて、謝らないといけないし、誘ってちょうだい」

「じゃ、ベルにも言っておくわ。そうだ、お茶のついでにクッキー作ったりもできちゃわない?」

「クッキーか! 俺も」

「キリル、仕事は?」

「それはまあお前の護衛としてだなクッキーを毒味」

 すかさずエリカは爪先でキリルの靴を蹴った。要するに、食い意地が張っているだけのおとぼけ騎士っぷりである。

 そんな中、アメリーは口を手で軽く押さえ、笑っていた。

「あなたたち、仲がいいのね。そういうやりとり、見ていて飽きないわ」

 エリカは、まるで他人事のようにそう言うアメリーの腕を引くふりをした。

「何言っているの。次はアメリーもこの中に入るのよ?」

「いやよ、私にはできないわ」

「そう言いつつ楽しみでしょ?」

「勝手に言っていなさい」

 エリカの手を振り払おうと必死になるアメリー、ちょっとふざけてアメリーの腕をどうにか引こうとするエリカ、それを見て楽しげなキリルの三人が、路地ではしゃぐ。

 友人と遊ぶことのなかったアメリーにとっては、初めての友達らしい遊びの時間だったのだろう。顔を真っ赤にして、それでも口角は上がっていて、満足げな表情をしていた。

 散々はしゃいだのち、エリカとキリルは、アメリーへ近い再訪を約束して別れた。

「またね」

「ではまた!」

「……さようなら、またね」

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