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第31話 不機嫌なベルナデッタ

 翌日朝、三人での食事会の話を聞いたベルナデッタは、大変に不機嫌だった。

「ふーん、私を放ってそんな楽しいお食事会があったんだ、ふーん。お姉様ったらひどいことをするわ」

 のけ者にされたと暗に言わんばかりの不満が噴出するわ、エリカには見せたことのないジト目を披露して睨みつけてくるわ、ベルナデッタは「なぜ自分がその場にお呼ばれしなかったのか」とルカ=コスマ魔法薬局のカウンターで仕事中のエリカへ強訴してくる有様だ。

 かれこれ一時間以上不満たらたらのベルナデッタへ、エリカは何度も何度も同じ言葉を繰り返している。

「だから、今度はベルも誘うわよ」

 そのたび、不信極まるベルナデッタは念押しする。

「約束よ!? 次も誘われなかったら、私、泣いてしまうわ!」

「はいはい、必ずね」

「絶対だから!」

 子どものようにプリプリと怒るなど淑女に相応しくない感情表現だが、友人との食事会というイベントは意外と貴族や上流階級の子女たちが経験しないことなのだ。お茶会ならまだしも、食事は自宅の屋敷で信頼のおけるシェフが作ったコース料理を毒味させた上で親しい身内とだけ、舞踏会など不特定多数の集まる場では軽食メインで、晩餐会は格式高く滅多にお呼ばれしない。まさか、王都とはいえ下町の食堂でカジュアルかつ賑やかに友人同士だけで集まって食事するなど、レア中のレアイベントだった。

(特に、男性との食事となったら確実に結婚を意識したものになるし、この前のエルノルドもその気でベルナデッタ誘ったりしてあのザマだものね……)

 ベルナデッタが拗ねるのも頷けるが、あれは成り行きでそうなって……と説明しても、自分をなぜ呼ばなかったと譲らないため、一時間以上の平行線ののち、やっと溜飲が下がったベルナデッタが本来の目的である報告を始めた。

 内容はもちろん、ベルナデッタのノルベルタ財閥とロイスルをはじめとする魔法使いたちの共同事業の進捗について、だ。

「ロイスルからいくつか、商品案の提案があったわ。うちの『複合型魔法装置マルチツール』開発部でその提案を熟議した結果、いくつかすぐに実現可能なものがあって、試作品をロイスルに見せたの。そうしたら、関係する魔法使いの家々から魔法使いが派遣されてきて、それぞれにチームを設けて本格的な商品共同開発に乗り出すことになったのよ! 話がとんとん拍子に進んでいいことだけれど、こんなに魔法使いが協力的態度を取るとは思いもしなかったわ。当然、彼らにも何か考えがあってのことでしょうけど」

 ベルナデッタはいつものようにスラスラと報告してくるが、とんでもない話である。

 すでにノルベルタ財閥と魔法使いたちの関係は進展して、新商品開発まで漕ぎ着けられている。最初、ベルナデッタがロイスルと会食してからまだ一週間と経っていないのに、展開が早すぎる。

 ところが、ベルナデッタ曰く、ノルベルタ財閥から魔法使いたちへと支払う金額——主に各家の得意な魔法分野の魔法特許使用料となる——は、エリカの目玉が飛び出すレベルの大金だった。

「平均して魔法特許使用料がこのくらいで、って支払いの予定額を伝えたら、魔法使いたちはみんな驚いていたって……このくらいなのよ?」

 そう言って、ベルナデッタは参考資料としての契約書の一部をエリカへ渡す。付箋のあるページをめくると、一年間で見たこともない桁数の金額が魔法使いの家ごとに支払われるという記載があった。おそらく、エリカの実家サティルカ男爵家の屋敷を売り払ってもこの額には遠く及ばない。それどころか、多くの国内貴族より収入が上回ることになるのでは、と予想できる。

 さすがノルベルタ財閥、太っ腹である。これで魔法使いたちの困窮問題は一挙に解決してしまうだろう。

「これは確実に、契約書内の魔法特許使用料が想像より桁違いだったからでしょうね……」

「そうかしら? このくらい、『複合型魔法装置マルチツール』一つの売上の十%にも満たないのに」

「魔法使いのところも、お金に苦労していたのよ」

 ふぅん、とベルナデッタは気のない返事をした。どうやら、大金持ちのご令嬢には貧しさを広く深く想像することができていないようである。

 これなら今までの協力でもっとアルバイト料をもらっておけばよかった、と真摯に後悔するエリカだったが、今更ベルナデッタには伝えられないので黙っておいた。

 ただ、話はこれで終わらない。

「もっとも、ロイスルとしては私に各家を紹介する際に、各家から私へ繋ぐことが大恩を売るに等しかったみたい。困窮していたであろう家々は、この先野心を抱くにせよ、家を畳むにせよ、お金が必要だったわけだもの。一時の大金じゃなく、継続して何十年と子々孫々まで入ってくる魔法特許使用料は、本当なら先祖伝来の魔法の研究を続けたい彼らの習性的にも望むところだった、というわけね」

「ははあ、Win-Winどころか喉から手が出るほどのことだったのね」

「貴族って貧乏だったとしても見栄を張るし、額に汗して商売事に手を出すことにためらいがある方々も多いのよね。それに、代々研究してきた魔法の一部を公開するだけで特許使用料が入るというのは、ある意味では不労所得だから彼らのプライドも保たれる」

(少なくとも、困窮極まった魔法使いたちがヤケになって魔法の技術を闇社会に売り渡すようなことがなくなったなら、全然オッケーだわ)

 こういう気遣いが、ノルベルタ財閥、特にベルナデッタは長けている。困っている相手のプライドを逆撫ですることなく、上手く取引を進めていくためにはどこか『人たらし』な才覚も必要で、ベルナデッタも伊達に乙女ゲームのヒロインをやっているわけではない、というわけだ。

 当然、取引に持ち込むことも交渉を円満に進めることも、それだけではできない。

「彼らが『のろい』を交渉の手段にしてこないよう、あの手この手を尽くしたわ。各家の財務状況、家族事情、交友関係、取引先との上下関係……ありとあらゆる情報を収集して、初手で交渉が決まるよう。おかげで、ほぼすべての魔法使いの家が取引に応じてくれたわ、えへん!」

「(どう全力したかは聞かないでおこっと)……やっぱりベルはすごいわー」

「ふふん、もっと褒めて!」

「いつも褒めてるから大丈夫大丈夫。それと、ロイスルは? トネルダ伯爵家はどうなの?」

「ロイスル自身はお金には困っていないから、一応他と同じ契約はしてあるけど……そもそも、今の状況でも魔法使いの社会で地位を固めることができるらしいわ。こちらとしても魔法使いたちの正式な窓口になってもらえるなら有り難いかぎりよ。変に交渉がこじれることだけが心配だったけれど、ロイスルのおかげもあって何ともなかったし! あ、でも、何度か食事に誘われてちょっとうんざりしているのよね。何とかならないかしら」

「頑張って、ベル!」

「もう! 他人事だと思って!」

 ベルナデッタのうんざりというのも、あながち嘘ではない。ロイスルはしつこい、そういう性格だと原作中ロイスル自身が言っている。間違いなくうんざりするほどベルナデッタを食事に誘ってきているのだろう。

 それはベルナデッタが何とかしてくれると期待しておき、存外順調に進んだ魔法使いの懐柔策に合わせて、エリカたちは裏で進める真の目的——『のろい』対策である解呪薬リカースの大規模接種も進めなくてはならない。

(このままベルナデッタとロイスルの関係がいい感じに進めば、解呪薬リカースのことは魔法使いたちにバレずに接種まで漕ぎ着けられそうね。だけど、その肝心の接種を一斉に、迅速に完了させるためには、うーん……やっぱり、エーレンベルク公爵家に協力を依頼したほうが……でも、エルノルドがなぁ)

 もしエーレンベルク公爵家の協力を得られれば、解呪薬リカース接種は期待どおりの成果を上げられるかもしれない。そう思うと、やはりエリカとしてはその線でことを運びたいのだが、エルノルドの存在がネックとなっている。

 現状、エルノルドはエーレンベルク公爵家を敵視しており、エリカはエルノルドの婚約者である。もしエーレンベルク公爵家がエルノルドのことを把握して警戒していれば、当然エリカも警戒される。これでは解呪薬リカース接種の話を進めるどころではない、むしろエルノルドを何とかしなければ協力しないとまで条件を出されてしまいかねない。

 それだけは何としても避けたい。エーレンベルク公爵家の言う「何とか」とは、『ノクタニアの乙女』におけるエルノルドの後味悪い結末エンディングルートを再現するようなものだろうからだ。

(ひとまず、エーレンベルク公爵家へ協力を仰ぐとしても、どうやって話を持っていくかって問題が立ち塞がるから、現実的にクリアする手段を考えましょ。大貴族のコネなんて他には……)

 ちょうど、エリカの背後の廊下からガチャン、と扉が開く音がした。あれはトイレのドアノブの主張する音だ。ベルナデッタが来る前後から今まで、エリカの背後を通ってトイレへ入ったのは一人しかいない。

 ちゃんとハンカチで手を拭きながら帰ってきたのは、キリルだった。エリカとベルナデッタの視線を受け、とぼけた顔で応じている。

「ん?」

 これでもキリルは王城騎士、それもドミニクス王子に仕えるというのだから、将来安泰な有能騎士なのだが——。

 エリカがふと思い出したそのドミニクス王子は、キリルほどとぼけてはいないし、相談してみるのもいいかもしれない。

「ここは、殿下に協力していただいたほうがいいかも」

「何だ? お会いするか?」

「うん、早めに」

「そうか! なら行くぞ!」

「仕事中! 仕事中だから!」

 エリカは必死で、カウンターを飛び越えていこうとするキリルの腕を引っ張って押さえる。うっかりヒールが滑って危うくそのまま引きずられかけたが、ベルナデッタが真正面からキリルへ睨みを利かせてくれたおかげで馬鹿力キリルはあっさり止まった。何か弱味でも握られているのだろうか。ありえそうだ。だがあえて尋ねるまい、ろくでもないことかもしれないし、とエリカは気を遣う。

 ドミニクス王子への直訴、せっかくバッドエンドから抜け出せたというのにまた巻き込みたくないためあまりやりたくはなかったものの、今回が最初で最後ということならエリカは何とか許せる。

 ベルナデッタがここまで骨を折ってくれているのだから、エリカが逡巡しているわけにはいかないのだ。

「お姉様」

 体勢を戻したエリカへ、ベルナデッタが声をかけた。

「決して、無理はしないで。大丈夫、何かあったらまた一緒に考えましょ!」

「……うん、そうね。ありがとう、ベル」

「どういたしまして! それじゃ、また来るわ!」

 ベルナデッタは颯爽と薬局から飛び出していく。

 意を決して、エリカは早退許可をもらうために、奥の調剤室へと踵を返した。戻ってきたときにはすでにキリルが出立準備を整えており、以心伝心とまではいかずとも、互いにやるべきことを把握していた。

 再び王城へ。内心不安を抱えつつも、エリカは前へ進む。

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