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第32話 餅は餅屋、王子に相談

 昼前ということもあり、王城は人出が多く、キリルの案内で通用門を通らなければ長い渋滞に巻き込まれてしまっていたことだろう。

 そのキリルの手配で、ドミニクス王子への面会許可はすでに得てある。公務を一切担当していないため時間に余裕があるのだろうが、本来ならがいきなりアポなしで訪問して目通りが叶う相手ではもちろんない。

 エリカは失礼のないよう、借りた薄手のショールで魔法薬局受付嬢の簡素なドレスと白衣を少しでも隠し、緑色に光って眩しくてしょうがない髪も束ねてきた。貴族令嬢には見えないとしても、魔法調剤師ですと名乗れば信じてはもらえるはずだ。

(こういうとき、『金冠魔法調剤師ゴールドクラウン』の証明になるワッペンが役立つのよね。『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』のほうはまだ用意できてないけど)

 エリカの白衣の胸元にあるワッペンは、まだ金色だ。『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』という新しい称号は微妙に周知されておらず、実はルカ=コスマ魔法薬局も対応に苦慮している。客に偽物扱いされては信用が商売だけにたまらないし、それなら金色のままでいいじゃないか、というわけである。

 今のところ、魔法学院代表に押し付けられたような『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』の称号は、社会的に役立っているとは言いがたい。ドーピングアイテムのおかげで体力をはじめあらゆる能力が飛躍的に向上したのはいいものの、それで劇的に何かが変わったかと言われればはっきりと口には出せない。少なくとも、ちょっと走るだけで息切れすることはなくなった、そのくらいだ。ゆえに、登城の際にも『金冠魔法調剤師ゴールドクラウン』として身分を証明したままのエリカは、まだ誰にも「『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』のエリカ・リドヴィナです」と自己紹介したことがなかった。それが少しだけ歯がゆい。

 王城内を足早に進むキリルの背中を追いかけて、景色を憶える暇もなく、ドミニクス王子の住まう王宮の円塔トゥールへと辿り着いた。白磁のタイルが夏の日差しを受けているが、不思議とそこいらに反射光は確認できない。何らかの魔法的な処置がされているのだろう、さすが王族の住む場所である。

 となると、円塔トゥールの内部も涼しかった。またしてもキリルが大声で挨拶しながら進入していき、衛兵たちは慣れた様子で見送ってくる。今度こそ床のタイルに滑らないよう慎重に足を運び、ドミニクス王子の寝室には夏の花である紫雲木ジャカランダの連なる小さな花々が天井や壁に豊富に吊り下げられ、ミニローズとかすみ草が部屋のあちこちで小山こやまのように花瓶に生けられていた。中心にあるベッドも夏仕様となっており、綾織あやおり仕立ての白色系刺繍布が天蓋からカーテンまで統一されている。

 夏を忘れ、なのに夏を感じさせる幻想的な部屋の主『かすみ草の君アルテス・ル・ジプソフィユ』は、ベッドで起き上がり、クッションを背もたれにして待っていた。

「久しぶりだね、エリカ」

 相変わらずの儚げな雰囲気をまとうドミニクス王子は、伸びてきたピンクブロンドを緩く三つ編みにして、肩にかけていた。薔薇色、とまではいかずとも、頬に薄いピンク色が差している。

 エリカはキリルからスツールを受け取り、ドミニクス王子のベッド脇へと立つ。

「お変わりないようで安心しました、殿下。お身体の調子はいかがでしょう?」

「このところ安定しているよ。おかげさまでね」

 まもなく「座って話をしよう」とドミニクス王子の許しが出たため、エリカはスツールを置いて、神妙に腰掛ける。その態度から察したのか、ドミニクス王子はエリカへ社交辞令を排して本題に入るよう促す。

「君がいきなり来ることは今までなかったことだ。それゆえに、重大なことがあったと認識している。遠慮なく話してくれ」

「はい。さっそくですが」

 花の香漂う寝室に似つかわしくない話が、幕を開けた。

 ノクタニア王国を蝕んできた『のろい』とその対策として解呪薬リカース開発の秘密裏の成功、それによる魔法使いの反発や接種問題といった山積する課題。

 エリカは単刀直入に、要点だけを話す。それだけで理解できるほどドミニクス王子の頭の回転は早い、病さえなければ優秀な才能を持つ王子なのだ。

解呪薬リカースの開発、大規模接種……これはまた、本来ならば国家規模の話だね」

「はい。ですが」

「そもそも『のろい』をかけられるような階級の人々はごく少ない。現状、魔法使いに依頼する大金を用意し、その死が大金に見合うほどの人物は、ほとんどが王侯貴族だろう。ゆえに、王族をはじめ貴族たちから迅速かつ大規模に接種することは、理に適っているね」

 ドミニクス王子の認識は間違っていない。実際に『のろい』をかけられる対象は、王侯貴族程度だろう。だが、『のろい』はかけられた本人だけでなく、『のろい』をかけられて死ぬ可能性があると恐怖する人々の数だけ影響力が広がる。それ自体が『のろい』の一端であるかのように、恐怖がさらなる恐怖を呼び、長い間の身分階級を問わぬ国中の人づてに『のろい』の効果がすっかり強化されてしまっている。

 となると、解呪薬リカースの接種だけが決定的な『のろい』対策になるとは限らず、あくまで王侯貴族たちへの接種が『のろい』への抑止力と恐怖の緩和に繋がるのみで、そこから『のろい』の恐怖のイメージ払拭へ別の手を打つ必要がある。

 ドミニクス王子が国家規模の話と言ったのは正鵠せいこうを得ており、その先はもはやエリカがどうにかできる話ではなくなっていく。それも含めてドミニクス王子に任せるためには、巻き込むしかなかったのだ。

 ドミニクス王子はそこまで分かっているがゆえに、エリカの担当する部分だけに話の焦点を当てた。

「国王以下王族の解呪薬リカース接種に関しては僕に任せてもらってかまわない。だが、貴族となると高位貴族から説得していったほうがいいだろうね」

「はい、そのように。ただ、高位貴族となるとまったく繋がりがなく、説得にも一苦労することを考えると、まず熟慮して行動に移さなければなりません」

「うん、もっともだ。ならば、我が国でもっとも影響力の強いエーレンベルク公爵家を狙い撃ちすべきだ」

(ですよね)

「かの公爵家の当主は問題こそ多いが、話の通じない人ではない。『のろい』対策になると証明できれば、積極的に協力してくれるだろう。役に立つかどうかは分からないが、僕から手紙を送っておくよ。近日中に反応があるだろうから、少し待っていておくれ」

「承知いたしました。感謝いたします、殿下」

 エリカは深々と頭を下げる。それだけの働きをすぐさま約束してくれるのだ、やはりドミニクス王子に頼ってよかったと心底思える。それが後ろめたい気持ち——今更ドミニクス王子のために正しい選択をしていないのではないかという不安——を少しは和らげてくれた。

 それだけではない。

 ドミニクス王子は、「なぜエリカがわざわざ自分へこの話を持ってきたのか?」ということを考え尽くしたらしい。

「何か、他に悩みごとでもあるのかい?」

 これには、エリカも返答を言い淀む。この問題について何らかの障害があるのか、という問いなのか、それともエリカに対しての気遣いなのか、はたまた両方かを計りかねたからだ。

「大丈夫、正直に話してごらん。僕をわずらわせるだなんて考えなくていい」

「そんな、畏れ多いことです」

 そうは言ったものの、この計画内でエリカにできることはもうさほど多くない。ここから先はエリカだけではどうにもならないことのほうがはるかに多く、だからこそドミニクス王子を頼ってきたのだ。

 ならば、エルノルドの隠された秘密についても情報を共有すべきだし、エリカ一人で悩んでいても埒が開かない。

 本日二度目の意を決して、エリカはついに重い口を開いた。

「実は、私の婚約者が——」

 おそらく、エルノルドの実母とその実家——エーレンベルク公爵家の事情については、ドミニクス王子も知らなかったのだろう。

 エリカの婚約者であるニカノール伯爵家嫡男エルノルドは、エーレンベルク公爵長女であり実母のエレアノール・エーレンベルクを奪取、救助しようとしている。そのために色々と働いていて、エーレンベルク公爵家とは深い因縁があるのだ、という醜聞どころか下手するとノクタニア王国を揺るがしかねない大事件の予兆だ。

 これにはドミニクス王子も若干顔が引きつっていた。繊細な笑みを絶やさない美青年にとっては滅多にないことだ。原作ゲーム中でもそんな顔グラ差分パターンはなかっただろう。

 話を聞き終えたドミニクス王子は、王族らしく言葉を選ぶ。

「……貴族にはままある話と言いたいところだが、さすがにそれはエーレンベルク公爵家との協力関係を模索する上で問題になりかねないね」

「はい。こうなれば、私はエルノルドと婚約破棄してでも、と思います」

「うーん……それが無難ではあるが」

 ドミニクス王子は愁眉を見せて悩む。当然だ。万一順調にことが進み、解呪薬リカース接種問題はエリカとエルノルドの婚約破棄程度で済んだとしても、それ以外が何も解決していない。ついでに、トゥルーエンド発生条件を確実に潰すためにも、エルノルドの周辺事情は何とかしておきたいのがエリカの本音だ。

 念には念を入れて、ドミニクス王子は工夫を凝らす。

「仕方ない。ひとまず、エーレンベルク公爵へ送る手紙には、君の名前は直接出さないことにする。『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』といえば伝わるとしても、向こうもわざわざ隠す意図を察するだろう」

 これには突拍子もなく、エリカは素直に驚いた。ドミニクス王子がその称号を知っていて、なおかつ利用する道を作るとは微塵も思いつかなかったのだ。

「で、殿下、称号のことをご存じだったのですね」

「もちろん。ああ、もしかして気に入らないのなら」

「いいえ、ぜひ使ってください。称号一つで何とかなるなら、ぜひ!」

「うん、よかった。あとは、適宜こちらも対応する。そのためにはキリルを通じて進捗を逐次報告してほしい、ここにいるしかない僕にできることはすべてやっておこう」

「本当に、ありがとうございます!」

「どういたしまして。こうやって誰かの役に立てることは、嬉しいかぎりだ」

 それは本心からの言葉で、病床から離れられない身だからこそ重みが違う。しかし、だからと言って無理はさせられない。

 あくまで、ドミニクス王子に頼るのはエリカにどうしようもないことをどうにかするためである。エリカはその一線を越えないよう、細心の注意を払う必要がある。

(せっかく潰したルートを復活させたりしないわ。大丈夫、ドミニクス王子だって幸せにしてみせる)

 再度頭を下げたエリカの胸中を誰も理解できないとしても、その思いは変わらない。

 ドミニクス王子は、実に柔らかい声色でこう告げた。

「また何かあれば、遠慮なくおいで、エリカ。君は僕の恩人なのだから」

 エリカは無言で頷く。

 そのとおりだ。ドミニクス王子はエリカが救ったこの『ノクタニアの乙女』最初の一人だ。ドミニクス王子を救えたのなら、ロイスルもエルノルドもベルナデッタもアメリーも救えるはずだ。

 ドミニクス王子を救ったというその希望の火種がエリカの胸の中にあるかぎり、悲劇しかない結末を変えられるという確信の礎は崩れない。

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