紗希の唇から言葉がこぼれる。
「……私はあなたを愛している。たとえ死んでしまうことがあっても、愛し続けるという自信があった。だけど」
三年前の出来事から、紗希は話し始めた。
「
その日から生まれ変わったのだと、紗希はつづけた。
いままで、真琴が犯したと思われる罪について感づいていたが、説明のしようがない状況であり、証拠をつかむという行動もできなかったこと。
だから、真琴のやることなすことにケチをつけ、不条理に怒りをぶちまけることでしか、周りに伝えられなかったこと。
そんなある日。母親との思い出を振り返り、自分の今までを深く反省した。
そして、真琴と昇吾が結婚すれば、青木財閥はますます安泰となるだろう、という周囲の評価を見聞きしたことをきっかけに、婚約解消の準備を始めたと説明する。
「昇吾さんが幸せになる未来に、私は本来、いてはいけないのよ。私がどれほど想っていたとしても、今回のように周りが振り回されるだけ……」
話し終えた時。紗希の胸の中にあったつっかえは、少しだけ落ち着いていた。
前世の記憶について正直に語れたわけではない。しかし先ほどまでの恐怖やためらいはなく、冷静さを取り戻しつつあった。
「なら、君の願う俺の幸せはどんなことだ?」
黙ったまま紗希の話を聞き終えた昇吾は、そう切り出した。
「……それは」
昇吾が真琴と結婚し、幸せそうに微笑みあう光景を頭の中に思い描く。
すると昇吾は眉をひそめ、紗希の頬を撫でた手で、今度はそっと手を握った。
「君は俺が華崎といれば幸せになれると思っているようだ。でも、それは俺が求める未来じゃない」
紗希はもう、昇吾が自分の頭の中を読み取ってしまうことに、抵抗感を持たなかった。
きっと自分が、よほど分かりやすいのだろう。ポーカーフェイスには慣れていなかった。
「俺が幸せだと思う未来は、君のことをもっと知らなかった段階であっても変わらない。会社がもっと成長し、多くの人が幸せに過ごせる未来だ。たとえ華崎に恋をしていたとしても、俺の幸せはそこにはない。恋や結婚と幸せは、必ずしもイコールじゃない。君も知っているだろう?」
昇吾は目を細めた。光り輝く宝石や、美しい星空を見上げたときのような、優し気な表情だった。
「紗希は?」
「私の、願う未来は、昇吾さんが幸せであること。莉々果や会社の人、蘇我家の人、皆が幸せであることよ」
昇吾の大きな手が紗希の背にまわり、ぎゅっ、と抱きしめてくる。
「本当に……?」
彼は改めて尋ねる。
紗希も思わず彼の背に手を回した。広くて温かい背中に触れられる日が来るなんて、思いもしなかった。
婚約解消を願い出たあの日から、紗希の運命は変わっていったように思う。
昇吾と何故か距離が縮まり、彼から思いがけず優しく、大切にされた。
未来が変わっていき、真琴からは敵意をはっきりとむけられるようになった。
そんな今。紗希が改めて思う幸せとは、何なのか。答えが出ない。
「じゃあこれも、約束にしないか?」
「約束?」
「一緒に暮らすうえでの約束だ。君の願う本当の幸せ、本当の未来を教えてくれ」
それは紗希にとってとてつもなく勇気を伴う決断という、自覚があった。
今でも十分に幸せだ。昇吾がそばにいて、抱きしめてくれて、彼の気持ちを伝えてくれる。
(本当の未来って何だろう……)
前世が失敗だと思ったのは紗希だけだ。でも、昇吾や真琴にとっては、きっと正解だった。そして他大勢の、紗希が顔も知らない人たちにとっても、幸せな未来だったのかもしれない。
「ちなみに俺は、紗希とこうして話せて、幸せだと思う」
臆面もなく言う昇吾は、子供のようにクスクスと笑い声をあげた。
「君をエスコートして、ドレスアップさせる権利も持っている。一緒に食事もできるし、電話もできる。小さなことかもしれないが、俺には幸せだ」
胸のうちに、無意識に紗希は答えを思い浮かべていた。
今の彼を信じよう。そう思ったからこその、言葉だった。
(私も幸せよ、昇吾さん)
まるでその言葉が伝わったかのように、昇吾は微笑んだのだった。