翌日。午前中のうちに、紗希は莉々果へ連絡を取った。
『今のところ、分かっているのは白川サイドが今回の件を強く否定してるところだね。勝手に話が出たけど、火のない所に煙は立たない、と思っている人もいるし……』
ゲストルームに早速設置したパソコン越しに、莉々果が言う。
紗希は状況説明のための動画撮影をしたいと考えていたが、状況はそれを簡単には許してくれない。
『紗希ちゃん連絡先知ってるなら、相手に連絡とるってのもありじゃない? というか、昇吾さんがそれやってくれそう』
「でも。私が退職する原因になったのは、白川さんと親密な様子が会社で噂になったからなの。それで、彼に私がほとんど抱きしめられるような状態で告白を受け、個人的な連絡先を受け取ったのは本当。誰が告発したのか、そもそも誰に見られたのか、それは分からないんだけど……」
篤に告白されたのが、遠い昔のことのように思えてくる。
しかし今の紗希には、彼にイエスと答えるつもりは全くなかった。
『待って、告白って言った? あの記事、ほぼ誹謗中傷だと思ってたんだけど』
「えっ……あ、それは」
黙っていようがないと思い、紗希は声を潜めて莉々果に伝える。
「ずいぶん昔、私が子供だった時に白川さんとは会っていたの。それで最初は懐かしさから話がしたいと考えたのかと思っていたら……告白を受けたの。好きだって」
思い返してみても、ぞっ、とする瞬間だと思う。
篤は紗希を正面から抱き寄せるようにして、耳元に唇を寄せ、何を言うかと思えば『僕は身を奪って見せる』だ。
説明すれば、流石に衝撃を受けた様子の莉々果に紗希は苦笑する。
自分だって、どう考えていいか分からない出来事だった。
『なるほど。なるほど? でも、だったら辻褄が合うか……』
急に納得した風に話し出した莉々果に、紗希は驚いた。
「なにが?」
『ネット上でどこから炎上するか分からないとはいえ、中には関係者が話したとしか思えないこともあったんでしょ? それに、紗希ちゃんのことを炎上させたいなら、今までも青木昇吾と華崎真琴のことで書けばいいじゃない、暴論だけどね。でも……白川篤自身があの記事を望んでいたのだとしたら、あんなふうにネットで一気に出回って、そしてあっという間に落ち着くのもありうるんじゃないかって思って』
莉々果は頭を抱え、しばらくぶつぶつと呟いた。
『白川と紗希ちゃんがやり取りをしたのは、会社の控室だったんだよね? 部屋に監視カメラがあったとしても、話の内容まで事細かに、誰かが精査することがあるの? この個人情報保護に躍起になってる時代に?』
深い疑念を抱いた声に、紗希は思わず声をかける。
「ね、ねえ、莉々果。そんなことあると思う? これから篤お兄さんは青木産業のイメージCMを撮影するのよ? そんな大事な仕事の前に、いくら私を、その、好きだと考えたからって……」
信じがたい気持ちでいっぱいで、紗希は狼狽していた。
「ありえないわ。仮に追い詰めるためだとして、私を追い詰めてどうしたかったの?」
『彼は紗希ちゃんが追い込まれて、自分に頼ってくると考えたんじゃないかしら』
莉々果の言葉に、紗希はハッと思い出す。
──でも……もし、本当にどうしようもなくなったら、いつでも僕を頼ってほしい。絶対に君を守るよ。
もしも篤が本心から自分との恋愛を望んでいて、紗希を追い詰めるためだとしたら、なんてやり方だろう。
どのようなやり方でも使う。その行動に、紗希は思い当たることがあった。
「……篤お兄さんも、ビルオーナーのように真琴さんに脅されているというのは、考えられる?」
尋ねられた莉々果はしばらく黙り込み、呟くように答えた。
『ゼロじゃないと思う。脅すための材料がわからないけど、華崎真琴は昇吾さんの会社の人事部にいたんでしょ? その地位に上り詰めるまでの間に、何か脅す材料を手に入れて、紗希ちゃんへの気持ちを利用したとか? だとしたら相手も被害者だけど、とにかく情報不足よね』
やはり、逃げるわけにはいかない。
紗希は改めて、自分の幸せを考える。幸せの形は柔らかく、あやふやで、手を伸ばすのがためらわれた。
それでも。少なくとも篤が何を考えているのか、どうしたいのか、ちゃんと知ってからにしたい。
「……莉々果。私、お願いしたいことがあるの」
『もちろん。ただし』
「昇吾さんにも相談する。生配信で状況説明の動画を出したいの、どう?」
『協力するわよ。私としても、これからの紗希ちゃんのチャンネルには期待してるんだから』
ニッ、と笑みを浮かべた莉々果は、親指と人差し指を交差させてハートマークを紗希へ送った。