いくら企業全体にかかわるCMの発表パーティーであっても、その場に婚約者を連れてくることは稀だ。
注目が集まる中、堂々とスーツを着こなした昇吾が紗希の腰へ軽く手を添え、リムジンから降りてくる。
二人はお互いに微笑みを交わしあい、何とも親密そうな雰囲気だった。
紗希は、シンプルだがエレガンスなデザインの黒いドレスを着こなしている。肩から首回りにかけては、レースが活用されたイリュージョンネックで、彼女の美しい肌に良く似合っていた。
滑らかな足さばきで昇吾の隣に寄り添うと、会場内を優雅に見まわす。
その一連の流れが、カメラに収められていった。
(はぁ……きれいだなぁ、紗希)
ため息をつきつつ、正常にスケジュールが進行されているかどうかを確認していた礼司は、ふと視界に入った女性に違和感を覚えた。
顔立ち。雰囲気。どこかで、彼女と会った記憶がある。
「……華崎さん?」
ギョッとして礼司が口にした瞬間、真琴と、バチッと視線が合うのが分かった。
彼女が微笑むと同時、内心の違和感が、むしろ減っていく。
(変だ……なんでこんなところに? 違う仕事? いや、それより)
何か不測の事態があったら、という名目で均と約束していた言葉を礼司はかろうじて口にした。
「均さん。三番テーブルのグラスが無い」
彼の胸の内から、違和感が消えていく。その隙に真琴は礼司の視界から消え去り、会場内の人込みに紛れていった。
「
呟くように言う礼司は、先ほど見た真琴のことを、忘れたような状態になっていた。
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昇吾が今後のスピーチのために立ち去った後、会場内の関係者席へ向かった紗希は、ホッとため息をついた。
「どうもお久しぶりです、紗希さま」
「まあ。田中さま。お久しゅうございます」
著名な業界関係者や投資家たちからの挨拶に応えながら、紗希はにこやかに頷いた。
蘇我家が今ほど凋落するより前には、パーティーで何度もこういった場面に遭遇してきた。
そして昇吾との婚約が決まった後は、たとえ真琴が隣に立つと分かっていても、パーティーの参加者を把握する癖がついている。
大規模な発表パーティーではあるものの、紗希は把握できる範囲の人数だった。
(うまくいって良かったわ。あとは……)
これからのスケジュールを脳内でおさらいしながら、紗希は自分の振る舞いの重要さを改めて感じていた。
今回のCMでは、「人と人との絆」や「関係の修復・調和」が大きなテーマとなっている。
報道陣から質問が出た場合は、昇吾が紗希自身がこのテーマにふさわしいと考えられたからと説明することになっていた。
(篤お兄さんと、直接話す機会もあるのかしら……)
CMにかかわった俳優たちが登壇するシーンもあると聞いているが、紗希と直接会話を交わすとは限らない。
それでも、どこか紗希は不安を感じずにはいられなかった。
すると。
「お久しぶりですわね、お姉さま」
聞こえてきた声に、紗希はハッとして振り返る。
立っていたのは蘇我明音。そして、彼女の隣にいる眼鏡をかけた青年だ。
(宮本時哉……前世では明音と夫婦になった人だけれど、今回もそうなるのね)
彼について紗希はそれほど深くは知らない。前世ではよく、明音のそばに隠れるようにしていて、まるで表に出てこなかった。
どうも今回は様子が違うと見て取れる。
張り切ったような雰囲気があって、眼鏡の奥に煌めく均とどこか似た目がらんらんと輝いているのが分かった。
宮本通信会社の創業家である宮本家。その長男の時哉は、次期社長と目されている。
そんな彼と明音が婚約すると聞いた時、紗希は何が起きたのか不思議に感じた。
現代のインフラとなって久しく、今後もますます需要が高まるであろうインターネットサービスに携わる会社だけに、かなりの競争率だったろう。
「明音、久しぶりね。お父さまの代理でいらしたのでしょう? お元気かしら」
何か実家にあったのではないか。
そう思って連絡を取ろうとしても、何一つ反応はない。
「そうね。お母さまもお父さまも元気でやっているわ。それより、珍しいわね。こういう場にお姉さまがいらっしゃるのは」
「あら、そうかしら?」
思わずとがった言い方をしそうになって、紗希はこらえた。
「人と人との絆」や「関係の修復・調和」をテーマとするCMがこれから発表されるのだから、ここでやりあうのはイメージ上よくない。
ところが、不仲が噂される蘇我家の姉妹が顔を合わせる様子に、見物客が集う雰囲気もあった。
噂はどこから出るか分からない。明音との会話によっては、明日の朝刊をにぎわせる始末となるだろう。
(昇吾さんはスピーチの用意中。いざとなったら、礼司に止めてもらうのが良いのかしら……)
招待を受けたであろう側をもてなすために、紗希はしとやかに立ち上がる。
すると。
「明音さん。そろそろお席に戻られた方がよろしいのではなくて?」
優し気な声が響く。紗希は衝撃とともに、声の主に視線を合わせた。
「……真琴さん?」
立っていたのは華崎真琴、その人だ。
なぜ彼女がこの場にいるのか、紗希には咄嗟に飲み込めなかった。
まさか昇吾たちが知らないとも思えない。では、誰かが手引きをしたのか?
考え込みそうになるより前に、時哉が動いた。
「僕の可愛い妹。どうしたの?」
柔らかい声に、紗希は耳を疑った。時哉の妹が真琴だなんて、まったく聞いた覚えがない。
「さてと。白川さんとの関係が精算できたからノコノコ出てきたのかしら? 紗希さん」
真琴の眼差しは紗希にねっとりと絡みつき、強烈な意思を伝えてきたのだった。