会場内の意識は、向かい合う紗希や真琴たちに向けられていた。
「可哀そうな白川さん。どうしてあなたみたいな人を好きになってしまったのかしら?」
挑発するような物言いをする真琴が、続けざまに言った。
「いくら明音さんがお父さまの寵愛を受けているからといって、立場を悪くするなんてよくないわ。あの記事が出回ったあとに、どうしてあなたは自分のことばかり考えたの?」
反論しかけて、紗希はハッとする。
自分の中の考えが、どんどん悲観的になるように仕向けられているような感覚があった。
まるで、意識の中に真琴の言葉が入り込み、冷静さを奪い取られるよう。
抗おうとするたびに、足元がぐらつくような感覚が襲い、言葉がうまく出てこなくなった。
前回のように真琴を前に身動きが取れなくなるのかと思いきや、まさか感情が乱れだすなんて、思いもしない。
だが、冷静になってみれば、真琴との会話の中で礼司は自分が彼女のために成すべきことを少しずつ勘違いしていったはず。
(真琴さんはもしかして、感情そのものに影響を与えるの? ……)
強すぎる感情のコントロールなら、この三年間で何度も味わってきたと紗希は思う。
昇吾へ別れを告げ、婚約解消を願い出るために特訓を重ねてきたからだ。
「誰か。青木産業を退職された方が、不満を申し出に来ているようなの。私は聞くことしかできないから、正式に対応できる方を紹介してさしあげて」
紗希がそう言い放つと、真琴の目が吊り上がる。
「何を言ってるの?」
「白川さまとのことは、私個人の問題であり、蘇我家の問題です。どうしてあなたがかかわる必要があって?」
「もちろん。だって私は、明音さんのお友達なんですもの」
明音を抱き寄せてみせる真琴に、紗希は改めて首を傾げた。
「だとしたら、ますますおかしいわ」
「っ、何が……」
「私のことを、あなたにどうこう言われる筋合いはないわ。それに、明音を心配する友人なら、この場ではなく、もっと落ち着いた場所で話し合うべきでしょう? そのほうが、あなたの立場にも相応しいわ」
真琴はどういうわけか、困惑したように紗希を見つめた。
彼女の目が微かに輝き、紗希の胸に冷たいものが走った。
その瞬間、言葉を発するのが不思議なほど難しくなり、彼女の周囲の空気が一瞬静まり返ったように感じられる。
紗希はその違和感に立ち向かうように、胸のうちで昇吾との日々を考えた。
夢の様な同棲。彼との会話。好き、という一言。
たったそれだけで、冷たいものが消え去っていく。
「なんで……私の能力が……」
その言い方に、紗希はふと、思い出すことがあった。
死に戻りを経験した時。紗希はこれまでの人生が、物語の一部であり、自分は舞台装置なのだと思い詰めていた。
真琴には【小説のヒロインとしての力】があり、どうしようもなかったのだと、諦めようとしたこともある。
(あの仮説が本当だとしたら……)
紗希が死去したことで物語はめでたしめでたしで終わったはずだ。
今の状況は自分が気に入らないとばかりに紗希に対応を迫ってくるのは、彼女が持つ力が正常に働いていないのかもしれない。
「真琴さんは
正直に尋ねた紗希に、真琴が身を震わせた。
「何よ、それ」
真琴の目が一瞬泳ぎ、その唇が震えた。
勢いよく噛みしめた歯が、かすかに音を立てる。嫌な音が響き、紗希はハッとした。
「ああ、いえ……ごめんなさい、思い付きで」
そこまで言った瞬間。
突然、会場の一角がざわつき始めた。制服姿の警備員が静かに近づき、真琴の両側に立ちはだかる。
「失礼ですが、来場者に渡されるカードをご提示いただけますか?」
その言葉が放たれると、周囲の空気が一気に凍りついた。
物珍しそうに見物していた人々も、真琴がこの場にいてはいけない人物だと理解したのだろう。
「セキュリティスタッフ集合。不審者を発見した」
周囲が騒がしくなる。宮本時哉と明音が釈明するように彼らに話しかけるが、このような場へ部外者を入れさせたこと自体、後で大きな問題になるはずだ。
また、明音たちへ取材をしたかったらしい記者たちが、落胆と興奮を綯交ぜにしながら彼らを追いかけるのが見えた。
ひょっとしたら株価に影響が出るかもしれない。蘇我家がどうなるのか、紗希には想像もつかなかった。
全くの無関係とも言い切れないが、すぐに連絡を取るべきなのか判断できそうにない。
せめて、と、明日香に向けてメールを入れる。義母である彼女が、今の蘇我家で一番信用が置ける相手だということに、何か皮肉めいたものを感じて紗希は内心で小さく肩を落とした。
(真琴さん、どうしたのかしら……)
あれだけ強大な存在に思えた真琴の姿に、紗希は戸惑いを感じていた。
かつては立ち尽くすしかなかったような状況。にも拘らず、今の紗希は真っすぐに前を向いて、状況を改善できた。
すると。
「紗希。よかった」
背後から昇吾の声が聞こえる。彼の腕が優しく自分を包み込むのを感じ、紗希は思わず、昇吾の胸に体を預けたのだった。