宮本均は、紗希が持つスマートタグの履歴が最後に示した裏道で車を急停止させていた。ほとんど同時に黒塗りの車が後ろへ停まる。
降りてきたのは青木家の執事、田中だった。
「昇吾様」
「助かった。紗希の行方が分からなくなった。蘇我俊樹におびき出された可能性がある」
「証拠は?」
「見てくれ」
昇吾が車を降りる少し前。莉々果から届いたメールを差し出す。
「紗希と仕事をする小田莉々果さんからのメールだ。これは彼女と紗希の共有する仕事用のメールアドレス。音声入力だからいくつかは奇妙な文章になっているが……」
「なるほど、お父様、琴美……間違いはなさそうですね」
田中は頭上に高くそびえるホテルをチラリとみて、彼は頷いた。
「こちらのホテルでしたら、青木産業の不動産部門にて土地をお貸ししております。何とか致しましょう」
「頼んだ」
昇吾と均はそのまま、ホテルに向かって歩き出す。田中は車に戻り、どこかへ連絡をかけ始めた。
昇吾の姿にホテルのドアマンが驚いた表情をみせ、声をかける。
「青木昇吾様でいらっしゃいますか?」
「ああ。宮本総一郎氏と内々で話がある」
昇吾の言葉に一瞬だけドアマンの口元が小さく歪んだ。ほとんど確信をもって、昇吾はホテルの方へ足を進める。
ドアマンはインカムに何かを早口でまくし立てているが、聞き取る暇はなかった。
昇吾はそのままホテルへ入る。ランクは高すぎず、低すぎず、だが特有の雰囲気があるホテルだ。心得のある支配人が、部下たちを統制しているのだろう。
「お客様、お待ち……えっ、青木昇吾様? そんな、し、支配人は」
慌ただしいスタッフの動きに乗じて、昇吾は足を進めようとした。その時だ。
「昇吾くん、こっち」
「え、時哉兄さん?」
均が目を丸くする。時哉は手招きをすると、昇吾と均をエレベーター内へ引っ張りこんだ。
スタッフたちが右往左往するが、時哉が視線をくれると棒立ちになる。
エレベーターのドアが閉まる。すぐさま時哉は10階のボタンを押した。
「どういうつもりだ?」
昇吾が様子をうかがう様に尋ねると、時哉が言う。
「父さんの隠す真相がわかったんだ。真琴は本当の妹だった」
「ちょっと待ってくれ。真琴は隠し子じゃなかったのか?」
「均。あとでちゃんと話すよ。でも今は紗希さんと、そして何より母さんをこれ以上傷つけないことが重要なんだ」
時哉は優しく笑みを浮かべた。昇吾は彼の変化に対し何かを問いかけようとしたが、すぐさま意識を切り替えざるを得なくなる。
(って――……昇吾、さん……――)
かすかに聞こえた声。エレベーターが上昇するごとに、声が近づいてくる。
「10階の奥の部屋だ。部下は均、牽制して」
「分かった。いいんだな?」
均が確かめる様に時哉を見つめる。兄弟ではあるが、兄がこんなにも自我を表に出すところを、均は初めて見た想いがした。
「僕は家族の味方だよ。父さんにもこれ以上、罪を重ねてほしくない」
「……実際、罪には問えないのかもしれないな」
「さあ、どうだろう。警察にも連絡しておいたよ。誘拐なのは間違いないからね」
兄弟の会話が途切れると同時、紗希の声が昇吾の心に突き刺さる。
(昇吾さん……助けて……!)
エレベーターのドアが開くとほぼ同時。昇吾は廊下へと飛び出した。人気のない廊下の奥に、数名のスーツ姿の男と、そして真琴、さらに明音が立っている。
「うそ、お兄様? 昇吾? どうして」
真琴が叫びをあげる。明音は呆然としたまま、言葉もない様子だった。
「お前たち【動くな】!!」
均が全力で睨みを放つ。廊下にいたスーツ姿の男たちは、何かをしようとした動作そのままに硬直していた。
明音は声も出せないまま、壁に張り付く。恐怖を感じている彼女の中では、真琴にかけられた【絡繰り】と均の【絡繰り】がぶつかり合い、混乱を引き起こしていた。
(紗希、あと少しだ!)
昇吾は全力で心のうちで紗希に話しかけた。すると。
(あと、少し?)
まるで昇吾の声に応えるように、紗希の声が響いてくる。彼女はまるで叫ぶように、昇吾へ思いの丈を叩きつけた。
(っ、昇吾さん。愛している。たとえ何をされても、何があっても、貴方だけを、ずっと、ずっと……!!)
もう昇吾には、なりふりを構う時間はなかった。男たちの間をすり抜けて、奥の部屋の入り口に手をかける。
「急がば回れだよ、昇吾くん」
「っ、すまない、時哉さん」
時哉がカードキーを差し出した。鍵が開く。室内から甘ったるい香りが逆流すると同時、昇吾の眼前に露わになったのは、押し倒された紗希とその上に馬乗りになる総一郎だった。
紗希の白い足は何も履いておらず、体を縛られているのも見える。
やめて、と小さく叫ぶことさえも叶わない紗希は、震えていた。
「恥を知れ!!」
昇吾の怒声が室内に響き渡ると同時。総一郎に向けて時哉が声をかけた。
「父さん。もうおしまいだよ」
総一郎の体が不自然にびくつき、崩れ落ちる。時哉が【絡繰り】を使ったのは明白で、昇吾は一瞬だけおののいたが、それよりも紗希が大事だった。
総一郎を突き飛ばすように退かして、昇吾は紗希を抱きあげた。
抱きしめた彼女の体は震えており、微笑んだ顔には涙が幾筋も流れ落ちている。
ショーツとブラジャー、それからワイシャツだけにされた体だが……昇吾が危惧していた決定的な出来事は起きて居ないと確信できる。
「紗希、すまなかった……」
「私こそ、ごめんなさい。ごめんなさい、昇吾さん……!」
泣きじゃくる紗希の声を聞きながら、昇吾はただひたすらに彼女を救い出せた今に感謝していた。