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第8話 元悪女と、届いた声(2)


 宮本均は、紗希が持つスマートタグの履歴が最後に示した裏道で車を急停止させていた。ほとんど同時に黒塗りの車が後ろへ停まる。


 降りてきたのは青木家の執事、田中だった。


「昇吾様」


「助かった。紗希の行方が分からなくなった。蘇我俊樹におびき出された可能性がある」


「証拠は?」


「見てくれ」


 昇吾が車を降りる少し前。莉々果から届いたメールを差し出す。


「紗希と仕事をする小田莉々果さんからのメールだ。これは彼女と紗希の共有する仕事用のメールアドレス。音声入力だからいくつかは奇妙な文章になっているが……」


「なるほど、お父様、琴美……間違いはなさそうですね」


 田中は頭上に高くそびえるホテルをチラリとみて、彼は頷いた。


「こちらのホテルでしたら、青木産業の不動産部門にて土地をお貸ししております。何とか致しましょう」


「頼んだ」


 昇吾と均はそのまま、ホテルに向かって歩き出す。田中は車に戻り、どこかへ連絡をかけ始めた。


 昇吾の姿にホテルのドアマンが驚いた表情をみせ、声をかける。


「青木昇吾様でいらっしゃいますか?」


「ああ。宮本総一郎氏と内々で話がある」


 昇吾の言葉に一瞬だけドアマンの口元が小さく歪んだ。ほとんど確信をもって、昇吾はホテルの方へ足を進める。


 ドアマンはインカムに何かを早口でまくし立てているが、聞き取る暇はなかった。


 昇吾はそのままホテルへ入る。ランクは高すぎず、低すぎず、だが特有の雰囲気があるホテルだ。心得のある支配人が、部下たちを統制しているのだろう。


「お客様、お待ち……えっ、青木昇吾様? そんな、し、支配人は」


 慌ただしいスタッフの動きに乗じて、昇吾は足を進めようとした。その時だ。


「昇吾くん、こっち」


「え、時哉兄さん?」


 均が目を丸くする。時哉は手招きをすると、昇吾と均をエレベーター内へ引っ張りこんだ。


 スタッフたちが右往左往するが、時哉が視線をくれると棒立ちになる。


 エレベーターのドアが閉まる。すぐさま時哉は10階のボタンを押した。


「どういうつもりだ?」


 昇吾が様子をうかがう様に尋ねると、時哉が言う。


「父さんの隠す真相がわかったんだ。真琴は本当の妹だった」


「ちょっと待ってくれ。真琴は隠し子じゃなかったのか?」


「均。あとでちゃんと話すよ。でも今は紗希さんと、そして何より母さんをこれ以上傷つけないことが重要なんだ」


 時哉は優しく笑みを浮かべた。昇吾は彼の変化に対し何かを問いかけようとしたが、すぐさま意識を切り替えざるを得なくなる。


(って――……昇吾、さん……――)


 かすかに聞こえた声。エレベーターが上昇するごとに、声が近づいてくる。


「10階の奥の部屋だ。部下は均、牽制して」


「分かった。いいんだな?」


 均が確かめる様に時哉を見つめる。兄弟ではあるが、兄がこんなにも自我を表に出すところを、均は初めて見た想いがした。


「僕は家族の味方だよ。父さんにもこれ以上、罪を重ねてほしくない」


「……実際、罪には問えないのかもしれないな」


「さあ、どうだろう。警察にも連絡しておいたよ。誘拐なのは間違いないからね」


 兄弟の会話が途切れると同時、紗希の声が昇吾の心に突き刺さる。


(昇吾さん……助けて……!)


 エレベーターのドアが開くとほぼ同時。昇吾は廊下へと飛び出した。人気のない廊下の奥に、数名のスーツ姿の男と、そして真琴、さらに明音が立っている。


「うそ、お兄様? 昇吾? どうして」


 真琴が叫びをあげる。明音は呆然としたまま、言葉もない様子だった。


「お前たち【動くな】!!」


 均が全力で睨みを放つ。廊下にいたスーツ姿の男たちは、何かをしようとした動作そのままに硬直していた。


 明音は声も出せないまま、壁に張り付く。恐怖を感じている彼女の中では、真琴にかけられた【絡繰り】と均の【絡繰り】がぶつかり合い、混乱を引き起こしていた。


(紗希、あと少しだ!)


 昇吾は全力で心のうちで紗希に話しかけた。すると。


(あと、少し?)


 まるで昇吾の声に応えるように、紗希の声が響いてくる。彼女はまるで叫ぶように、昇吾へ思いの丈を叩きつけた。


(っ、昇吾さん。愛している。たとえ何をされても、何があっても、貴方だけを、ずっと、ずっと……!!)


 もう昇吾には、なりふりを構う時間はなかった。男たちの間をすり抜けて、奥の部屋の入り口に手をかける。


「急がば回れだよ、昇吾くん」


「っ、すまない、時哉さん」


 時哉がカードキーを差し出した。鍵が開く。室内から甘ったるい香りが逆流すると同時、昇吾の眼前に露わになったのは、押し倒された紗希とその上に馬乗りになる総一郎だった。


 紗希の白い足は何も履いておらず、体を縛られているのも見える。


 やめて、と小さく叫ぶことさえも叶わない紗希は、震えていた。


「恥を知れ!!」


 昇吾の怒声が室内に響き渡ると同時。総一郎に向けて時哉が声をかけた。


「父さん。もうおしまいだよ」


 総一郎の体が不自然にびくつき、崩れ落ちる。時哉が【絡繰り】を使ったのは明白で、昇吾は一瞬だけおののいたが、それよりも紗希が大事だった。


 総一郎を突き飛ばすように退かして、昇吾は紗希を抱きあげた。


 抱きしめた彼女の体は震えており、微笑んだ顔には涙が幾筋も流れ落ちている。


 ショーツとブラジャー、それからワイシャツだけにされた体だが……昇吾が危惧していた決定的な出来事は起きて居ないと確信できる。


「紗希、すまなかった……」


「私こそ、ごめんなさい。ごめんなさい、昇吾さん……!」


 泣きじゃくる紗希の声を聞きながら、昇吾はただひたすらに彼女を救い出せた今に感謝していた。



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