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第9話 元悪女と、それからのこと(2)


 庭先などは丹念に手入れをされているが、決して豪邸とは言い切れない。ごくありふれた民家。


「ここが、莉々果の実家……」


 車から降りながら、紗希は興味深く周囲を見回す。言われてみれば莉々果の実家がどのような場所なのか、話を聞いたことはなかった。


―― 華崎和香が面会を希望している。


 コンビニエンスストアの駐車場でそう聞かされた紗希は、どうすべきか悩んだ。


 和香は真琴の義母でありながら、一度は紗希が心から信頼した相手。だが、彼女の様子は少しずつ変化していき、ついにはパーラーの店主に変装して紗希自身に薬を盛った相手でもある。


「……私。【死に戻り】を自覚したのは、和香さんに紅茶を淹れてもらっている瞬間だったの。それからの3年間、彼女は少しずつ私を認めてくれたように思っていた。だから、とてもショックだったの」


 和香が変装を解いた瞬間を思い出しながら、紗希は指先を強く重ね合わせた。


「怖い。怖いけど、面会は受け入れるわ。彼女が本当は何を考えていたのか確かめたいから……」


「紗希ちゃんならそう言う気がしてた。病院で会うという手も考えたけど、状況が状況だから」


 そう言った莉々果が均に合図を出す。車は走り続け、やがて、見覚えのない民家の前に到着した。表札には『小田』と書いてある。


 案内する莉々果が肩越しに振り返りながら、紗希へ言う。


「宮本、蘇我、青木……三家にとって中立の立場となると、私の家だからね」


 庭を通りすぎ、玄関から紗希は中へ入る。レトロな印象の家具や家電がいくつも並んでいた。何世代か前のハウスメーカーの住宅展示場のようにも思える。


「ヘンな家でしょ? 過去の記憶を持ち越しているかどうか確かめるために、昔懐かしいものを置いといて、その使い方が分かるかどうかで判断しているの」


 さらに奥へと向かう莉々果。


 その案内に従った紗希の視線の先。奥のリビングに、彼女はいた。


 華崎和香は質素なスーツを身にまとい、一人がけのソファに深く腰掛けている。


「和香さん……」


「紗希お嬢様!」


 和香は立ち上がらなかった。いや、立ち上がれないのだ。ソファには縄があり、彼女の腰を縛り付けている。


 紗希の視線を感じ取ったのか、和香が微笑んだ。


「気になさらないでください。これは当然の措置ですから」


「……分かった、わ。和香さんは今、逮捕されているの?」


 問いかけながらも、紗希の指先が小さく震える。震えを抑えようと両手を重ねると、腕全体が震えてしまいそうだった。


 和香は首を横に振る。


「逮捕はされていません。実際にあの飲み物へ薬を投入したのは、宮本家の者だったのです。お店の監視カメラにも録画されています。……ですが私がお嬢様のもとに運んだのは、事実ですから」


「……そう」


 嘘か本当か。紗希には確かめる術がない。いや、むしろ深く聞くことで、和香が面会を申し出た理由を聞き逃してしまうかもしれない。


「和香さんは、なぜ私に会いたいと?」


「質問に質問で返して申し訳ありません。お嬢様はすでに【死に戻り】について、ご存知ですか」


 知っているも何も、当事者だ。だが明かしてよいのか分からず、紗希は控えめに頷くにとどめた。


「……ええ」


 頷いた紗希に、和香は遠くをみるような目をした。彼女は少しだけ俯いてから、静かに話し始めた。


「ずっとお嬢様に隠していたことがあります。実は。私と、お嬢様のお母様は、姉妹なのです」


 何か言うべきだ。反応をすべきだ。そう思っても紗希の口から言葉は出てこない。半開きにした唇からは、かすれた吐息が漏れただけだった。


 頭の中が混乱していくのが分かる。琴美は、母は、和香と姉妹関係にあったなんて、まったく知らなかった。


「……二十年以上前。私は蘇我俊樹が宮本家の女学生を妊娠させたスキャンダルを隠す代わりに、華崎家の娘に真琴を迎えろという指示を受けました。その当時、真琴はまだ産まれたばかり。名前もまだついていませんでした。名前は自由につけてよいと言われ、私は姉の琴美の字を貰ったのです」


 真琴は名前すらもらえずに宮本総一郎によって手放されたのかと思うと、紗希はショックのあまり意識が遠のきそうだった。


「華崎家にとっても、蘇我家にとっても、私たち姉妹のことは大きな秘密でした。姉妹と理解していながら、絶対に姉妹だとバレてはいけなかったのです。お嬢様が知らなくても、ちっとも不思議ではありません」


 和香は軽やかに笑いながら話を続けた。


「それで。信じてもらえるかは分からないのですが、琴美は、一度人生をやり直した存在だったのです」


 苦いものがこみあげてくるような思いがして、紗希は力なく項垂れた。


「蘇我家の力、【死に戻り】よね。あの日、お父様に聞かされたわ」


 たとえ母が自分を愛していたとしても、結果として彼女を死なせたのかもしれない。そう思うと、紗希は自分の体に流れる血が恨めしくてたまらなかった。


「ええ。……私は中学生の時、琴美から、彼女にとっての前世を聞かされました」


 前世という単語に、紗希は昇吾に伝えた言葉を思い出していた。


『死に戻ったとき、私、母の死は『自殺』だったと思っていた。でも篤お兄さんは母の死を『心不全』だと思っていて……その理由が分からなかった』


 溢れ出る涙を止められないまま、紗希は昇吾に語り掛けた。


『でも今日、静枝さまに、お義母さまに抱きしめられて、たとえどちらの理由だったとしても、母は私を愛してくれていたと思えたんです……。ちゃんと昇吾さんにも、話しておきたくって……』


 そうだ。自分はそう考えたじゃないか。やっぱり、母の本当の死因が知りたい。紗希は和香の言葉をじっと待つ。


「前世で琴美は華崎琴美として生き、蘇我俊樹と恋に落ちた末に、紗希お嬢様を産んだそうです。ですが俊樹は浮気性でだらしなく、ついには宮本家の学生に手を出しました。その事件が表沙汰になると、あまりのことに琴美は、心を病んでしまったのです。琴美は家にいられなくなり、病院に入りました」


 紗希は深く目を伏せた。まさか前世でも実父は変わらなかったのか、と思うとひどく情けなくなる。


「入院した琴美は回復せず、ついには紗希お嬢様を置いて自ら命を断ちました。ですが、命が尽きるその瞬間に、ふっと紗希お嬢様の顔がよぎったのだそうです。どうして自分は我が子を置いて死を選んでしまったんだろう……それは、それは、激しい後悔だったといいます」


 胸のうちにあふれだす母への想いを、紗希は止められなかった。泣かないようにと思っても、目頭が熱くなってしまう。


「母は、死を後悔したのね……」


「ええ。そして気づくと、華崎琴美だったころに戻っていたのだと、琴美は言いました。私は中学生で、最初はいったいどういう意味なのか全く分からなかったのですが、琴美があまりにも真剣なので最後には信じたのです」


 何度も和香の話を頭の中で繰り返しながら、紗希は母に起きた出来事を理解しようとした。しかし理解しようとすればするほど、困惑してしまう。


「母は、中学生にまで戻ったの?」


「はい。そのため、最初は私に協力を申し出て、蘇我家への嫁入りを阻止しようとしたんです」


 4年前。死に戻った紗希も同じ行動をとった。しかしさまざまな偶然……主に昇吾が心の声を聞きとれるようになるというイレギュラーにより、運命は大きく変わってしまった。


 琴美にも、運命を変えるチャンスがあったはずだ。


「だけど、その。お母さまは、私のお母さまになってしまった。そうよね?」


「……お嬢様。私が以前に言った通りです。琴美は、お嬢様のこと強く愛していた。死への恐怖に『紗希に会いたい』という気持ちが勝ったんです」


 紗希の両目から水がしたたり落ちた。あふれ出る涙が膝上に落ちていき、数が増していく。


 母が自分に教育を施した訳。それは、自分の死を覚悟していたからだった。


「琴美は自分が死ぬ可能性を考えながらも蘇我家の娘となり、そして蘇我俊樹を婿として迎えました。そして今度は紗希お嬢様に十分な教育を施す中で、結局無理がたたり、身体を壊して亡くなってしまった……」


 深くため息をついて、紗希は自分が叫びださないようにこらえた。自分が母を死に追いやったのは、事実だった。罪深さに身が引きちぎられ、今にもここから消えてなくなりたいような思いがした。


 だが、同じくらいに嬉しくなってしまう。母は、母だけは、それほどまでに深く自分を愛してくれたのだ、と。


 ぶつかり合う感情を何とか抑えようと、紗希は膝上に強く右のこぶしを打ち付けた。


「お嬢様の様子がおかしくなっていく様を見て、私はお恥ずかしながら、姉のことを思ってしまいました。姉があれほど手をかけたのに、どうして、と」


「思って当然よ! ……当然すぎるわ」


 涙交じりで震えた声をあげる紗希に対し、和香も涙をこぼしながら答える。


「いいえ。当然ではなかったのです。姉のためを思うなら、私はお嬢様をいさめるべきだった。そして……思うに、真に後悔した蘇我家の人間だけが、死に戻ってやり直せるのだと思います。お嬢様も、何か後悔することがあった。それが何かまでは、私には分かりません。ですが、どうか、これだけは覚えていてください」


 和香は顔をあげ、紗希をじっと見つめた。


「お嬢様を幸福にするために、琴美はこの世に戻ってきたんです。だからどうか、精いっぱい、ご自身の幸せをお求めになってください」


 微笑んだ和香の顔は、つきものが取れたように晴れやかだ。


 紗希は和香の言葉に時が止まったような感覚を覚えていた。母に愛されていたこと、自分が幸せを求めたこと、そのすべてを許されたような、そんな感覚。


 すーっ、と胸の奥にあったつっかえが、解けていった。


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